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瞑想とマインドフルネスと座禅と

ちょっとしたきっかけで、先日「座禅」を体験した。

今まで、瞑想の伝授や、マインドフルネスのWSに参加したりした経験はあったのだが、「座禅」の体験ははじめて。

どれもやってることは同じにみえるけど、一体なにが違うんだろうと思いながらの参加。

私の認識では、瞑想やマインドフルネスは、色々と考える行為をやめて自分の中にぐーんと入っていく行為。
瞑想やメインドフルネスをすることで、集中力が高まったり思考がスッキリしたり、結果として仕事の効率が上がったりするイメージがある。
こころをクリアにするために行う瞑想やマインドフルネス。

姿勢を整えて、呼吸を整えて、こころを整える座禅。

座禅って一体なんなんだろう


座禅が終わった後に、住職さんからのお話を聞いた

瞑想も座禅も始まりは「仏教」だそう
インドからやってきた瞑想
ヨガの発祥であるインドと瞑想が近しい存在であると認識している人も多いのではないかと思う。

座禅は、仏教の中でも禅宗という宗派の修行だそう。
瞑想やマインドフルネスは、「精神の安定」のために行うのに対し、
座禅には目的がないらしい。

浄土宗や浄土真宗は、
死んで極楽浄土にいくために今を生きているという考えなのに対し、
禅宗は「今を一生懸命生きる」という考えがあるそう。
そう思うと、瞑想と座禅の目的が異なることが、なんとなく腑に落ちる。

人は生きていると、色々なもの、ことで自分に鎧を着せる。
自分を素敵に見せようとしたり、大きく見せようとしたり、
ああなりたい、こうなりたいと願ことは少なくないと思う。

それに対し、
「座禅」はその鎧を一枚ずつ剥ぎ取って等身大の自分になるための行為。

そうかそうか、なるほど。


最後に、住職から「いのち」についての話があった。

いのちって何だと思いますか? と。

『いのちが宿ることを、「宿命」といいます。
そして、うまれてくるときに何のために生まれてくるのか人には役割が与えられます。それを、「使命」といいます。
生まれてくるときに、だれを親にするか、誰を兄弟にするか選ぶことはできません。
けど、その自分に与えられたいのちをどう使うかは自分で決めることができます。それを「運命」といいます。
そして、人がなくなっていくことを「寿命」といいます。
「寿」は、とてもおめでたい字で知られていますが、「ことほ-ぐ」と読みます。
「ことほぐ」とは声を出して笑う という意味があります。
人が亡くなっていくことは、悲しいことですが、そこにはただ感謝の気持ちしかありません。
あなたの子に生まれてこれて感謝。あなたと出逢えて感謝。 と
故人との関係にただただ感謝してお別れをするのです。
だから、私たちはただただ感謝の気持ちを持って、ただただ「今を生きる」のです。』と。


話を聞いて、ぽろぽろと涙が止まらなくなった。
私は、浄土真宗という宗派だが無宗教と等しい。
けど、この禅宗の考えや教えは本当に共感できるというか、
大切にしたいものだと思った。


本当にただたまたま受けることになった座禅の体験だったのだけど、
すっごく大切な出来事で、これから生きていく上で大切なことを教えてもらったと感じている。


そして、
私はこういう文章を書いているときって瞑想状態でマインドフルネスだなぁと思う。

今、とっても研ぎ澄まされている。と感じる。


自分のための備忘録として。

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