世界遺産の街・ハルシュタットでの記憶と想いを辿る旅
「ハルシュタットはすごくよかった。いつか、行ってみるといい」
静かに落ち着いた、
耳によく馴染む声でその人はそう言った。
オーストリア中部、ザルツカンマーグートと呼ばれる湖水地方にある世界遺産の街・ハルシュタット(Hallstatt)。
今回の旅の拠点だったインスブルックから約4時間、オーストリアののどかな田園風景と広い空を見ながら電車を乗り継いで訪れた憧れの地は、人口約800人、歩いて1時間半もあれば街の隅から隅まで見て歩けるような小さな街だった。
ハルシュタットの名前の由来は
“Hall”がケルト語で「塩」
“Statt”が古いドイツ語で「街」
なのだと、現地のフォトグラファーさんが教えてくれた。
塩の街
その名の通りハルシュタットは塩坑で栄えた街で、街のはずれにある岩塩坑は、今では観光客向けに公開されている。
そんな、高い山々と湖に挟まれた美しい街は、私が訪れた2日間は雨続きだった。
ハルシュタットという街を知ったのは、3年前のことだったと思う。
その頃の私には、10歳ぐらい年上の、月に1回一緒にご飯を食べに行く仲の人がいた。
彼は、常に何かを面倒くさく感じているような顔をした皮肉屋で、私のことをよくいじって笑う、会話のテンポや切り返しから頭の良さしか感じない、優しい人で。
私は彼のことがとても好きだった。
オーストリア連邦鉄道ÖBBのハルシュタット駅と、ハルシュタットの街は湖を挟んで対岸にある。ハルシュタット駅には、対岸の街へ向かう船が出る船着き場以外、何もない。
電車を降りて、坂道を下っていくと船着き場。船着き場の入り口では日に焼けた小太りな陽気な船員が「Hello, welcome to Hallstatt. How many people? One ticket or two ticket?」と慣れた口調で船のチケットを売っている。ごくごく簡単な分かりやすい英語をハッキリとした口調でしゃべるのは、ハルシュタットに訪れる観光客の約半数が中国人か韓国人だからだろうか。
駅から街までは約10分。
雨のせいで他の乗客が船の中から外を眺めているのを横目に、一人甲板で雨に打たれながら徐々に近づいてくるハルシュタットの街を見つめていると、なんとも言えない思いが胸の奥底から湧いてきて
船から降り立った時、それが爆発した。
彼がオーストリアを旅した時のことを話してくれたのが、3年前の春。昔話をあまりしない彼が珍しく自分の昔話をしてくれて、彼の話し口調が好きな私は、それを楽しく聴いていた。その終わりに言ったのだ。
「ハルシュタットはすごくよかった。いつか行ってみるといい」と。
今でも覚えている、新宿歌舞伎町にある小さなビアバーで。
なんでそんな話になったのか、は覚えていないけど。
(多分、きっかけは私が飲んでいたビールなんだと思う。あのビアバーに行くと、私はいつもオーストリアの「エーデルワイス」というビールを飲むから)
船着き場を降りて数歩歩くと、街の中心地であるマルクト広場にたどり着く。
滞在先であるアパートの管理人と電話をしながら(英語での電話は未だに慣れない…)色とりどりの可愛らしい建物に囲まれた広場を抜け、湖沿いのメインストリートを歩く。
湖と
空が
広い
ハルシュタットがヨーロッパ旅行の旅先の一つとして有名になったのは、ここ10年ぐらいのことだそうだ。
一時期は若い人たちがどんどん出ていってしまい、高齢化と過疎化の進んだオーストリア奥地の小さな街。
SNSの普及と共に、その美しい姿を写した写真が世界中に拡散され、今では年間100万人もの観光客が訪れるそう(ハルシュタットの街中には1€で使える公衆トイレがあるのだけど、その儲けだけでも相当な額になったとか…)
”彼”がこの地を訪れた時は、もっと静かな、ただ雄大な自然だけがそこにある小さな街だったのだろうと
思う。
日が暮れて、夕ご飯を食べたレストランからの帰り道。
そして早朝、対岸のハルシュタット駅からの船がやってくる前の時間のハルシュタットは
ただ静かだった。
今はもう会うことのないあの人に、またもう一度会う機会があれば、ハルシュタットに行くという数年越しの願いを叶えたことを報告しよう。
あなたに教えてもらわなければ、私はあの素晴らしい場所に赴くことはなかっただろうから、ありがとうと伝えて
そして、ひねくれ者の彼があの小さな街を歩いて、どんな感想を抱いたのか
エーデルワイスでも飲みながら聞いてみようと思う。
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