秋の台所で娘と一緒に餃子を包む夕方のこと
先日、ネットスーパーの画面を見ている娘が「餃子の皮ってどれがいいのかな?」と訊いてきた。
市販の餃子の皮は、一般的なものと大きめのもの、米粉を使ったものを店頭でよく見かける。調べてみると他にも全粒粉やもち粉配合だったり、水餃子用の厚めのものなどがあるらしい。
娘には「私は大きめが好き~」と答えておいた。包みやすいから。
後でカートを見ると、挽肉やキャベツなど、餃子の材料が入っていた。
めったに食べる機会がないけれど、手作りの餃子は美味しいよね。
娘はハンバーグなど挽肉を使った料理をよく作ってくれるけど、餃子は初めてだ。
いや、遠い昔、一緒に餃子を作ったことがあった。
私がまだ元気だった頃、子供たちと一緒に餃子を包んだ。
娘は覚えていたらしい。まだ保育園だったと思うのに。
今までなら、私が餡を作ったと思う。でも、今回は娘が作ってくれた。
娘はあまり料理の経験がないのに、目分量で上手に作る。センスがいいのだろう。大変、素晴らしいことである。
「きゃべつ、このくらいでいいかな?」「いいと思う」などと、時々相談に乗りつつ、ダイニングテーブルの椅子に座って娘の背中を見ていた。
大きくなったなぁ。
産まれた時は、あんなに小さかったのに。ぐんぐん育って、ついに大人になった。そして同じ目線で一緒に生きている(身長がほぼ同じ)。
胸の中に熱い想いが込み上げる。
やがて娘の作業が終わった。
「できたよ~。一緒に包もう」
私は調理時用のハンドソープで手を洗い、娘の隣に立つ。
娘は餃子の皮にスプーンで餡を乗せ、端に水をつけて上手に包んでいく。
どこで覚えたのだろう。子供の頃のことをまだ覚えていたとか? いや、料理動画で勉強したのかな?
「上手いねぇ」と声をかけると、ちょっと照れくさそうに「でも量が難しいよ」なんて言う。
「うん。確かに」相槌を打つが、娘は少なすぎず多すぎずちょうど良い量で餡をすくっている。やっぱりこの子、できる……!
「ひだ作るの上手じゃん」と褒めると、「そんなことないよ~」とまた照れた。
私はあまり器用じゃないので、娘の作った餃子のほうが美しい。
小学生の頃から料理係だった私の、見事な敗北である。もちろんそれが嫌ではない。
餡を作ったのは娘だが、焼くのは私の仕事だ。
息子が独立した頃、大きいフライパンが焦げ付くようになったので棄てた。だからうちには小さいフライパンしかない。確か18cmとか20cmくらいの、パンケーキを作るようなサイズである。
したがって二回に分けて焼く必要があるし、きれいに並べることもできない。
餃子は鉄のフライパンがいいとか羽根を作るとかこだわりのある人もいるけど、そんなことは気にしない。おいしく焼けていればいいんだよ。ははは。
娘と一緒に作った餃子は、本当に美味しかった。
市販のチルド餃子は餡が少なくて食べた気がしないが、手作りは肉がたっぷりである。また一緒に作りたい。
美味しくて嬉しかったので、食後LINEで息子に写真を送る。
『お~、美味しそうだな』と返信があった。
『◯◯(娘)と一緒に作った』
『いいね』
『めっちゃ美味い!』
飯テロである。息子はまだ仕事中(休み時間)なのだ。
息子の家でも時々手作り餃子が食卓に上るらしい。
お嫁さんと二人で作っているんだろうか。そうだったらいいなと思う。
こんなに楽しいなら息子がいるうちに、三人で作りたかったな。
私はいつも体調が悪くて、あの頃にはやっぱりできなかったかもしれないけど、叶うなら一緒に作って美味しいねって食べたかった。
昔、元気だった頃の私は、よく子供たちと料理をしていたと思う。
育児はともかく教育については持論があったので、子供には三歳過ぎたあたりで包丁を持たせた。
子供用包丁で切れるものって何かなぁ? と考えた結果、ちくわにした。チーズを入れたりきゅうりを入れたりすることで料理をした実感が出るだろう。
包丁の持ち方を教えてちくわを切ってもらい、それを夕食に出して「上手だね、美味しいね」と褒めた。照れている二人が可愛くて仕方なかった。
私はこんなに尊い時間を過ごさせて貰っている。
娘もいつ独立するかわからない年齢だ。結婚する可能性だってある。
だから、今この時間を大切に味わって暮らしていきたいな。
今日はそんな、心も満足するような餃子だった。