憂いと嘆きのお月見シーズン
飲食業界の月見商戦には心底ウンザリである。8月半ば、息苦しいような暑さ(いやもう熱さ)の中で「月見だ芋だ栗だ」とプレスリリース、秋の味覚の切り込み隊長をキメた某ファストフードチェーン店は無粋だとすら感じた。何が秋だこの異常気象を思い知れ!
来る9月、企業はこぞって月見月見のオンパレード。ハンバーガー店のみならず牛丼やカレー店なども乗っかり、国をあげてのお月見パーリーである。秋に仕立て上げようとしている、これは陰謀以外のなにものでもない。
本当によくない。
とろーり・ふわとろ・まったり・パリとろ。魅惑的なオノマトペのオンパレード。
加えて、半熟・芳醇・濃厚。これほどまでにとろけそうな熟語があろうか。(いや、ない)
ビジュアルもよくない。
白地にまん丸、山吹色のたまごの黄身。このコントラストがそれはそれはもうめでたい感じ。つやつやぷっくりのフォルムもたまらん。
そもそもこの「月見」という概念よ。古(いにしえ)より月を愛してきた日本人のDNAに働きかける、この心穏やか尚且つセンチメンタルな感覚。
春のてりたまと何が違うんだよってそりゃね、趣ですよ、お、も、む、き。
秋の月見商戦は、情緒なのだ。情緒にいかに働きかけ、消費者を踊らせるか。まんまと翻弄されているわたし。さぁ皆さん、お疲れ様。ささ、のんびりゆるり、夏の疲れを癒しましょ。秋の夜風を感じつつ、玉子がとろり。うぅむ、あはれなり。
しかし、この「猫も杓子も月見」状態ではその趣や情緒とやらもあったもんではない、興醒めだ、ケッ。もうすっかり秋の風物詩然として、これを食べなきゃ秋を迎えられないわよ、なんてそんな訳あるかい。
しかし調べれば調べるほど、どの商品も魅力的で食指が動く、スマホ操作の指も動く。あれもこれも食べたい衝動に駆られ、わたしは液晶画面から目を離せない。そして、これらを全て味わうことなど到底叶わないのだと思い至り、悲しくなる。こんなに美味しそうなのに!こんなに食べたいのに!まじで勘弁してほしい。月見にはもうウンザリだ!!
そんなこんなで悩みまくるわたしを置き去りに、どうせ市場は次のシーズンへ向かう。愚かな一消費者の苦悩など知ったこっちゃない。
それならもう、いっそのこと食べないのが正解だ。悩みに悩み、月見からの決別、という答えを出す。
それにしても、月見に限らず、この世には食べたいものがこんなにもたくさんあって、対価やエネルギー量を気にしなければ容易く手に入るようなものばかりなのに、それを全て味わうことなんて出来ないんだな。人生って、苦しいな。そんな事を大真面目に憂いている。わたしはいつまでもこんな感じで年齢を重ねていくのだなぁと思うと、自分に幻滅する。
そしてまぁこんだけ大騒ぎしといて何ですがやっぱり、どれかひとつは食べると思います、月見。