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若かったわたしたち

新社会人として初入社した会社を、出産を期に退職して5年以上経つ。

有難いご縁で、現在はその会社のパートとして在宅業務をやらせてもらっている。このささやかな仕事が、子育てで荒廃、退化するわたしの脳みそへの刺激となっているのは間違いない。わたしの場合、労働や社会に対する責任感が全くない状態、というのも心理的に良くなかったようだ。

その会社で、新たに大きなプロジェクト(諸々ぼやかすため、そんな表現をする)が始まることになった。そのための新たな在宅パート要員が急募とのことだったので即決でこちらの業務も追加。

そのプロジェクトの責任者から、業務連絡のメールが届いた。その方は、かつての同期だった。

研修時代に仲良くなり、入社後も交流していた彼。今も同社に在籍していることは知っていたが、こうして第一線で活躍していることを実感すると感慨深い。わたしは、彼管轄のパート職員のひとりになったのだ。

今もこの会社で「生き残っている」同期は、わたしが知る限り彼だけだと思う。

新入社員時代、共にもがき苦しみつつ、食事に行ったりバカみたいな遊び方をしたり、笑い合ったりしてきた同期たち。

わたしの社会人一年目は彼ら・彼女ら無しで語れない。切磋琢磨し、高め合ってきたなんて言うと大袈裟過ぎるが、仕事への熱意がある真っ直ぐな人ばかりだった。負けてられない、とその存在に背中を押された。くだらない遊び心に、心から救われた。

月日が経つと、横並びだったはずのわたし達の関係は上下に別れたり、離脱したり、そう単純ではいかなくなった。社会に出るというのはそういうことだ。

もう、この責任者の彼とは8年くらい会っていない。

そんな彼が、こうやって新たな仕事(内容的にとても大変そうだ)に携わっていると知り、胸が熱くなった。しがないパート職員ながら、わたしも頑張ろうと思った。

学生時代の友人や、会社の同世代。ほんの一瞬、人生が交差した仲間がたくさんいる。若き日を共に過ごした人たちがそれぞれのフィールドでそれぞれの人生を生きているのだと思いを馳せる。

月日の流れと共に、人は変わる、立場も生活も、そしての関わり方も。歩幅や行き先を変えながら、時には共に、そしてすれ違いながら。

みんな、一生懸命生きて、一生懸命30代半ばをやってんだろうな。

そう思うだけで、わたしもしっかり、自分の人生を歩んでいこうと思える。

ついでに、久々に見た同期の名前から、そうやって前向きな気持ちになっているあたしって、結構イイ奴じゃね?なんて、都合よく自己肯定感も上げている。

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