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寒さへのクレーム、人生は続く。

9月下旬、酷暑がほんの少しだけ和らいだ時期があった。すこぶる心地よく、心穏やかな数日間だった。

気候でこんなに気持ちが変わるものか、と驚き、というか
「気候ごときで」こんなに情緒が振り回されているなんて程度の低い人間だな、と自分を恥じた。
そこは大人として、暑いから機嫌が悪いとか気分が乗らないとか、そういうのはいかんだろう、と。自分でコントロールするもんだろう、と。この感覚が、すごく印象に残った夏の終わり。

ところが最近聞いたところによると、この気候による快・不快というのは感覚神経から脳に伝達することで思考や感情に大きく影響するらしい。つまり、暑すぎも寒すぎも当たり前に心には悪影響。
気候が、国民性どころか県民性にすら如実に現れるのだから、わたしの感情の振れ幅というのも甘えではなくまぁ普通のことらしい。そういう事にしておく。そりゃ我慢しないと何にも出来ないけど、生物として当然の感覚であるということ。
(いい大人が、暑い寒いで八つ当たりしたりぶつくさ言ったりしているのは見ていて気持ちの良いものではないですしね体調崩さないように意識しつつ当たり前に耐えねばならんのです)

本格的に寒くなってきて、これはこれで辛い。まず手指がぼろぼろになる。今年も秋の初め、この手の微妙な変化に季節の移ろいを感じた。あぁ冬が来るぞ。情緒なんてない。最終的に、ズタボロ血を滲ませた状態で数ヶ月過ごされなばならない。辛い辛すぎる。これから先の人生の半分くらいはズタズタの手で過ごすのか、と我が未来を憂う。(病院行かねば…)

冬は、好きとか嫌いとかの話ではなく、まじで生きる気力が失せる。冬季鬱とかそんなんだろうなぁ。
年々、体が動かなくなり、心まで凍てつく。

長女は、朝起こすたびに寒い寒い、と泣く。寝起きの機嫌とはいえ。風呂場でも、寒い寒いと泣く。
暑くて泣く事はなかった。でも寒いと泣く。

そういえば、甥っ子が小さい時も寒い寒いと泣いていたのをよく覚えている。

寒さって泣けるんだよな。分かるよ。
きっと感じていることは大人と同じなんだろうな。

とにかく、冬が辛い。
キラキラのイベントとか師走から新春への忙しなさ、みないそいそと張り切っているあの雰囲気は大好きだけど、それとこれとは別である。

とはいえ、年末年始のあの感じも、寒さが演出に一役かっているのだろう。

ホットドリンクが美味しい。あっついシャワーは気持ち良い。最初に便座をあっためようと発案した人まじで有難う。

娘たち、寒い寒いと泣くくせに、公園遊びは平気でやれる。感覚どうなっとる。わたしと彼女ら、生物学上は同じだと到底思えない。寒さを凌駕する、遊びへの情熱。
わたしはひたすら、帰ろう、もう帰ろう、と言い続ける。

酷暑も相当辛かったけど、寒さも堪える。それでも陽は昇る。生きるのは大変です。とはいえ命あっての物種。それでは、娘たちを起こします。

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