これって、やっぱり自分の為に書いているよね(結婚のはなしになる)

以前、職場の先輩に、「人と違うことを気にしなくていいよ。」と言われたことがある。若いときは特にかもしれないけれど、自分より人生経験や見る目のある他人のほうがわたしを見抜いていて、何年か後になって、あぁ、そういうことだったのか、と気づくという経験がある。
この「人と違う」というのは、ある意味誰にでも当てはまることかもしれないけれど、おそらく、世間一般的な大半とは少し違う、という意味で使われていたと思う。当時は全くそのようなつもりは無かったのだけれど、確かに少し変わっているのかもしれない。

この年になると結婚していないものへ周りからの言葉は、悪気がなくても大体みな、聞いたことのあるものだろう。世間全体が晩婚化しているし、おひとりさまを謳歌している先輩方が、堂々とテレビに出たりしているので、状況は少しずつ変わっているかもしれない。「子供を生まないと、女の価値が損なわれて賞味期限切れになるよ。」と、本人ははっぱをかける善意のつもりで(それはわかっている)年上の女性に言われたことがあるのだが、そういう脅しみたいなやり方で、わたしはあまり心を動かされることがない。わたしと同い年で結婚したくて必死に相手を探してたり、子供が欲しいのに思うようにいかない人が聞いたら号泣するのではないかというキツい言葉だが、それに脅かされてはならない。この方はわたしから見て、ある側面において社会に対して熱意のある人だけれども、あくまで自分の経験の範囲内でしか、ものをおっしゃっていないと思う。その枠の外で幸せだと感じる人も、いると思うのだけれど。

わたしは結婚したくないわけじゃないし、そうやって寄り添って生きていける人がいたら、とても素敵だと思う。ただこの間、お店を何軒か回って欲しいものを見つけられずにいて思ったことなのだけれど、欲しいものがいつも手に入るわけではない、というのはわかっている。偶然に出会ったことが、あぁこれは素敵かもしれない、と思えることはラッキーで、それを手にすることはあるかもしれないけれど、自分が心動かされないもの、わたしはそれで妥協したくないし、この先もっと手に取らないだろう、と。これをいい年したフリーター女が結婚に当てはめると、中々エグいことになるかもしれないが、細く(わたしの希望では)できれば少し長く、生きていければいいんじゃないかという(もしそれを赦すことができるのならば。人生は夢のようなものなのだ。)穏やかな覚悟があれば、小さな幸せというのは結構あるのではないだろうか。わたしはその幸せを感じる能力を、人生においてもっとも必要なもののうちのひとつとみなす。(それはいつも必ず、外側ではなく内側からくる。)

既婚者の人たちの愚痴もあれば、それを慰める人の意見もある。協力して子育てしている夫婦が、どちらからともなくTVで流れている子供向け番組の歌を口ずさみ、春にそよ風が吹くときのような自然さでハモるのを目撃したときなんかは、微笑ましくて思わず顔が緩み、何だかこちらまで幸せな気分になる。複数の既婚者の色々な大変さを聞いたのをもっと年上の人に話すと、それはその人たちの意見だから、惑わされてはいけない、と唯された。あなたはあなた、でも自分のことばかりをいうのではなく、相手が笑顔になったらそれが嬉しいなぁ、と思えたらいいよねぇ、とその方はおっしゃった。(何と素敵な。)

もし自分に問いかけて納得してした決断だったら、多少の大変さは仕方ないと思えるだろう。覚悟の上だから、と頑張れるかもしれない。(結婚に限らず。)欠陥の多い、とっても細やかな人生だけれど、わたしは自分とはまぁまぁ対話して生きてきた。それだけはしてきたなぁ。

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