我々はアルバムという不便さの中で音楽を知った。
久しぶりに地元に戻ったので、旧友たちと近況報告も兼ねてご飯に行った時のこと。
どんな会話の流れか忘れてしまったのですが、何故か音楽の話になり、
「我々はアルバムという不便さの中で音楽を知った。」
という話になりました。
私たちが学生の頃は今のように音楽配信サービスなどなかったので、気になるアーティストがいると「CDを買う・借りる」ということをしていました。
有名なシングル曲だけ聴く目的でも、シングルであればカップリング曲、フルアルバムでは他にもたくさんの曲が入っており、せっかく手元にあるならと他の曲も聴いてみる機会は自然と訪れます。
そしてそれにより「シングル曲は気に入っても他の曲は耳馴染まない」なんてことが当たり前のように生じていました。
しかしこの「耳馴染まない曲」が何度も聴くうちに気が付くと「好きな曲」になっていることがあります。
ここに音楽を深く知るポイントがあったのではないか、と、私たちはそんな会話になっていきました。
これはその会話の中で生まれた想像なのですが、
と、こんな想像。
(専門的知識に基づく根拠などは調べておりません。あくまで想像です。)
このように、好きじゃない曲も耳に触れることになるアルバムならではの不便さによって、私たちは音楽を深く知ることができたのではないか、という話になったのです。
現に私はこれにより、高校生まで流行りのJPOPしか知らなかったのが、
大学に入ってからは邦楽、洋楽のロックを中心に、メタル、ジャズ、テクノ、EDM、ソウル、ファンク、R&B、昭和歌謡・・・と多くの年代、ジャンルが徐々に聴けるようになっていき、音楽を幅広く楽しめるようになりました。
初めは分からなくても、耳が馴染んでくると「この曲、カッコいい…!」と思う瞬間が不思議と訪れるんですよね。
最近はSpotifyなど音楽配信サービスの登場により、曲をアルバムで聴くことがかなり少なくなりました。
アクセスすれば多くの多様な音楽と触れ合うことが可能で、似た系統の曲をおすすめしてくれるなど、音楽好きにとってはとても便利な世界です。
あの、アルバムを聴きこんで好きになっていくアナログスタイルの必要性が無くなり始めており、CDの売上が低迷している昨今、
正直どちらが良い、悪いという話ではないという結論になるのですが、
しかし私たちの世代は、あのアルバムならではの不便さによって音楽を知っていったのは事実。
不便さの中にある学びも大きかったよね、と、
そんな話でこの会話は着地を向かえました。
どんどん便利になっていく世の中で、不便さが無くなるのは良い反面、
不便だからこそ得たものもたくさんあったことを私たちは忘れてはいけないなと、気付かされた久しぶりの旧友との会話でした。
気が付くとおしゃべりに夢中で4時間程経っていて。
世間話に始まり、近況報告、音楽や映画の話、そして未来の話。
たくさんの楽しい時間を過ごすことができました。