ここはそういう潮だまり、だから
こんにちは。ハンドメイドアクセサリー作家の音海奏乃です。
今回は、置かれた環境とそこでどうやって生きているのか、というお話をしますね。100人いれば100人にそれぞれ意思があるように、暮らし方など環境も様々です。皆さんは、そんな環境について感じること、ありますか?
私が考える環境と、そこでの過ごし方を、言葉にしてみました。
介護といっしょ
他の記事でも何度か書いていますが、私は大学を卒業してから、介護が中心の生活を送っています。そうなった理由はここでは省きますが、それからというもの、自分のことは二の次、三の次な状態で、4年ほど過ごしてきています。
自分の時間がない、というものがどれくらいつらい環境なのか、最初の頃は全く想像できませんでした。寝たきりではないので、数時間おきに寝返りさせて、とか吸引して、というのはないのですが、記憶に障害が残ったため、目が離せなかったのです。自分で最低限のことは出来るから手間がかからないね、と看護師さんたちは口をそろえて言うのですが、それでも当時23歳の私には過酷に思えたのです。
だって、同い年の人たちはキラキラした生活を送っていたから。友人も社会に出て働いて、その傍らで趣味を楽しむ様子とかがSNSで届く……。あれ、こんなにも住む世界が違ってしまったんだ、と焦りました。久々に友人に会い、介護していることを伝えると、共感こそすれど、話の内容が想像できないようで、なんとなく平行線をたどってしまい、気まずくなったこともあります。逆に、友人が話す最近の流行よりも、周囲で話している子育て中の方の話のほうが、共感できる。
あれ、おかしいな……。私が思っていた大学卒業後の環境じゃない。
そういうことを繰り返していくうちに、友人からも、親族からも、少しずつ距離感が生まれて、今では昔のように気軽に接しているつもりでも、やはりどこかで「違う環境の人」と思うようになってしまったのです。
違う環境だから、分かり合えないの?
そんな風に、違う環境にいると感じてから、なんだかこちら側が「いわゆる一般の普通という概念」から外れた状態だと思うようになってしまい、何をするにも、遠慮をするようになってしまいました。
彼女は働いているから、頼みごとをするのは申し訳ない。あの人は、今頃趣味を楽しんでいるのに、介護の悩みなんて聞いてもらうのは時間泥棒だ。なんて考えているうちに、どこの誰にも「本当の悩み」は打ち明けられなくなっていきました。
その悩みの中に、ハンドメイドに関することもありました。ほかの作家さんの多くは、週末や子供を寝かしつけた後に、自分の時間があって、楽しそうに製作している。でも私は、家事と介護に追われて、時間もまとまって自分のために使えない。なんか、ずるいな。そう、思うようになってしまったのです。
それからさらに、気持ちは沈んでいきます。「作る時間がないから、売れないんだ」「製作と販売が同時にできないから、忘れられちゃうな」など、時間に関することだけでなく、お金との関係にも悩みます。というのも、我が家は昔から「稼ぐ人が偉い」という(今思えば)謎のルールがあったから。そのせいで、「売り上げがあれば私を優先してもいいのに、売り上げがないから私は我慢するしかないんだ」と思い込んで、好きなことさえも我慢して、やめてしまおうと考えるくらいになっていました。
まだこの時は、「この苦労を、辛さをわかってほしい」という思いもうまく吐き出せなかったため、余計に自分を責めるほうへと進んでいったんですね。でも、今考えれば、わかってもらったり、分かり合おうとする必要はなかったんですね。
だって、その世界は比較のしようがないから。100人いれば、100人の環境があって、一人として同じ環境の人はいない。だから比べられるわけがないのです。だからもし、何も知らない人に何か言われたとき、必ず言うのが、「まったく同じ環境、まったく同じ条件で、できる人だけが文句を言ってくれ」です。そう口にしてみると、そんなことができる人は一人もいないと気が付きました。ということは、その状況、条件、環境を比較している場合じゃない。それよりも、その中で自分ができることを増やして、生きていく力にしてやろうじゃないか。そう、考え方を変えたのです。
小さな潮だまりの中で
自分から飛び込んだにしろ、突き落とされたにしろ、「その環境に来たという事実」は変わりません。郷に入っては郷を楽しめ、そこに来たなら、そこに来たことを悔やむことに時間を使うより、状況を理解して、自分の力にする、そういう動きに時間を使うほうが有意義な気がしませんか?
私の場合は介護がきっかけで、今まで「普通」だと思っていたことがすべて崩れて、この環境、潮だまりへとやってきました。介護じゃない世界に目を向ければ、いろいろなパターンでそれぞれの環境へ来る人がいるでしょう。なわばりを取られて仕方なく来た人もいれば、ふらふらとしているうちにたどり着いた人もいて、中には純粋に興味をもってやってきた人も。
そこで「こんなところに来たくなかった」といって、仕方なく日々を過ごしていれば、きっとその人はそこから抜け出すのが難しくなります。前の考え方を引きずっていたままの私だったら、間違いなくこちらです。でも、「つらいけど、これがきっかけであんなことが出来るようになった」と考えると、経験したことが力に代わります。例えば私の場合は、料理の手際が良くなったり、役所の手続きがわかるので、もしさらに誰かが急にそうなっても慌てずに済みます。
そんな風に、やってきた潮だまりで力をつけて、いつか、自分でその潮だまりから出る日が来た時に、困らないようにする。それが今、この環境で「楽しみながら」できることなのです。
以前、置かれた場所で咲きなさい、という本が流行したことがありました。ここまで長い話を書いてしまいましたが、要約すると同じ事です。音海奏乃風に言えば、「やってきた潮だまりであなたらしく輝きなさい」でしょうか。ちょっと長いか……。
ただ、一つだけ注意したいのが、「この環境が絶対」ではないという点です。苦しくて、つらくて、あなたの心と体まで犠牲になるような環境なら、そこからは死に物狂いで逃げましょう。そこで死ぬより、死ぬ気で逃げて違う未来を選んだほうが賢明です。あなたの心と命を犠牲にしてまで取り組むことはこの世にないのです。もし「みんなのために犠牲になるのが憧れなの」という場合は無理に止めませんが、何よりもあなたの心と体を優先に行動してくださいね。エンジンが壊れていては船が進めないのと同じで、あなたが不調では、周りと協力したり、導いたりする余裕がなくなってしまいますよね。
発想の転換でなんとか生きている
そんなこんなで、音海奏乃は、今日も介護の合間時間を使ってnoteを更新しています。不思議なもので、考え方を変えて、「あなたのために介護している」ではなく、「介護のついでに自分のスキルを試して磨いている」と考えるようになってからは、できることが増えました。
そこまでいくにはいろいろ諦めたり、傷ついたり、悟ったりと数々の感情とともに過ごしてきた日々があります。あの頃は日々を無事に終えることが精一杯でしたが、今はやっと、少しの余裕を持てる。苦しみながらも進んできた日々は、決して無駄にはなりません、そしてしません。
これからも、音海奏乃は介護とハンドメイドを同時に進めていくのです。もしも、ハンドメイドの情報だけじゃなく、介護のノウハウ(って言えるレベルかな?)が知りたいな、という人がいれば、力になりたいと思えるくらいまでになりました。
でもこれも、無理にとは言いません。実は介護情報って、その時に言われると拒否反応を起こすんですよね。「今一生懸命なのに!」という状態で、聞く余裕もなければ、実践する余裕もない。そういう時に矢のように情報が降ってくると、逆に混乱したり、自分を責めることにつながってしまうケースもあります。なので「見たい時に見てね」というスタンスで、ちょっとずつ介護のことも書いていければいいなと思っています。
今回は、自分の置かれた環境とそこでの過ごし方についてお話ししました。ちょっと介護の話が入ったので、重い感じになってしまったかもしれませんね。でも、これが今の、音海奏乃を取り巻く現状。そして環境であり、潮だまり。ここにいたからこそ、今の私がある。
だからみなさんも、そういうタイミングがあったら、ちょっと考え方を変えて、少しでも自分が楽しくなれるように、工夫を試してみてくださいね。きっかけと工夫次第で、人生はさらに楽しく感じることが増えていきますよ。
きっかけアクセサリー作家の、音海奏乃でした。