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"春田と牧"の奇跡を守れ~日本エンタメの共通課題

 このアカウントでは長らく、EXILE第一章すなわち、EXILE初期のツインボーカルだったEXILE ATSUSHIと清木場俊介(SHUN)(以下、"しゅんあつ")について扱ってきた。
 2022年12月、6年ぶりに清木場俊介のコンサートでEXILE ATSUSHIとの共演が実現した矢先、2023年4月にEXILE ATSUSHIはスタッフとともに飲食店で一酸化炭素中毒に見舞われた。当時決まっていたソロライブツアーは全て中止になり、現在はその後遺症と検査時に発見されたライム病の無期限療養をしている。
EXILE ATSUSHIはちょっとしたタイミングで頭痛やめまい、難聴などが起き、現在は大きな音や特定の音域の音を聴くとその不調が表れることから、本格的なレコーディングやライブツアーが難しい状況である。
特に一酸化炭素中毒の後遺症は確立された治療法はなく、焦らず療養を続けるほかないため、回復を願うばかりである。

 そのような理由から当該アカウントは長らく更新していなかった。
ところがふと目に留まったテレビドラマ「おっさんずラブ―リターンズ―」で、"しゅんあつ"との相似形を見た。
 "しゅんあつ"のように、それぞれ違う個性と個性が出会いパフォーマンスをしたときに、ごく稀に見られる爆発的な奇跡は、多くの人の心をつかむ。それが本当の大ヒットや社会現象となる。
これが2024年1月5日から放送されたテレビ朝日系列「おっさんずラブ―リターンズ―」(以下、リターンズ)の主人公の春田創一を演じる田中圭と、そのパートナー牧凌太を演じる林遣都でも見いだせたのだ。
 
俳優による演技とミュージシャンによるパフォーマンスは全然違うから一緒にするな、とそれぞれのファンから怒られるかもしれない。
ただ、奇跡的なパフォーマンスを見せる二人と日本のエンターテインメントが置かれている状況は類似している点が多く、彼らを取り巻く課題もまた共通しているのだ。
 "春田と牧"と"しゅんあつ"が相似形であることを示して、日本のエンタメの問題点を明確にし、未来を提示していきたい。


田中圭と林遣都だから起きた奇跡

 社会現象化したおっさんずラブ

 テレビ朝日にて2016年12月31日に放映された、主演を田中圭が務め、吉田鋼太郎が出演した単発ドラマ「おっさんずラブ」が好評を博し、2018年4月から6月にかけて連続ドラマ「おっさんずラブ」(以下、S1)が放送された。
主演は再び田中圭で、新たな主要キャストとして林遣都を迎えた。

 天空不動産の東京第二営業所で、ポンコツサラリーマンの春田創一(田中圭)をめぐって、ヒロインで上司の黒澤武蔵(吉田鋼太郎)とライバルで後輩社員の牧凌太(林遣都)が恋愛模様を繰り広げるラブコメディで、最終的に"春田と牧"が恋人同士になった。
 深夜帯のドラマにも関わらずSNSでその面白さが広がり、当時のTwitterでトレンド世界1位となり、東京ドラマアウォード2018の作品賞などの3冠をはじめ、テレビドラマの賞レースを席巻し「おっさんずラブ」は新語・流行語大賞のトップ10にも入った。「おっさんずラブ」を応援するファンをOL民もしくは民(たみ)と総称する呼び名までついた。
 
個人的にはこの年はとてもドラマを見る余裕はなかったのだが、「おっさんずラブ」というドラマが流行ってるらしいことは知っていた。
 翌年の2019年8月には「劇場版おっさんずラブ~LOVE or DEAD~」が公開され映画化された。よりエンタメ色の強い作品にはなったが、紆余曲折を経て"春田と牧"は恋人同士から夫夫(ふうふ)、つまり互いが生涯唯一のパートナーであると認めあい、牧がシンガポールに転勤したところで終わっていた。

 パラレルワールドの展開でファン激怒

 ところが劇場版公開から約1ヶ月後の2019年9月27日に「おっさんずラブ―in the sky―」のドラマ制作が発表された。
 田中圭が再び春田創一として主演を務め、吉田鋼太郎が黒澤武蔵として出演し、そして林遣都以下S1で出演した他の俳優は全て入れ換えられ、S1とは違うパラレルワールドで航空業界での恋愛ドラマを展開した
 発表当時、連ドラ「おっさんずラブ」のファンからは憤りの声がSNS上でたくさん出たという。特にドラマのタイトルや田中と吉田の役名を同じにしたことなどが怒りを買ったそうだ。
 "しゅんあつ"のファンならば、「おっさんずラブ」のファンの気持ちは理解できるだろう。
清木場俊介(SHUN)の脱退を本人たちの意思に反して、ファンに伏せたまま最後のライブツアーをした。脱退した後、そのまま新たなボーカルを公開オーディションで探し、選ばれたEXILE TAKAHIROに、"しゅんあつ"の曲だった第一章の主な楽曲をすぐに全て新しくレコーディングさせた。そして第一章のシングルやアルバムなどの楽曲は今でも主な配信サービスやサブスクリプションサービスでは全く聴けない。
 これまでの作品を全てなかったことにされ、パラレルワールドを急に押しつけられるのは、好きだったものを勝手に上から違う色で塗り潰されるようなもので、ファンは到底受け入れられず、ファン離れだけでなく、ファン同士の大きな分断も起きてしまったのも同じだ。
 また新たに加入したEXILE TAKAHIROは長年比較され続け、脱退した清木場俊介(SHUN)は本人のみならずご家族まで「裏切り者」などと言われていたのは、下記に詳細を記載している。
林遣都がキャスティングされなかった理由は不明であった上、彼や所属事務所がオファーを断った具体的な証拠もないのに、バッシングも一部で起きたそうだ。その点もまた同じであった。

 当然パラレルワールドのこのドラマの人気や話題性は上がらず、収益を出すことは出来なかったようだ。
 EXILEも第一章までのファンは大量に離脱し、第二章以降は音楽性も変わり、EXILEをはじめとするLDH所属のアーティストは多くがアイドル化し、第一章とは全く違うファン層を獲得していった。

 "春田と牧"をもう一度──立ち上がるファン

 テレビ朝日の視聴者センターには電話や手紙、問い合わせフォームなどで、S1の続編の制作を希望するファンが要望を出し続けた。
春田や牧の誕生日にも誕生日カードを送るファンもいたようだ。
またTwitter(現在のX)ではかつてS1が放送されていた土曜日の23:15に、毎週 #おっさんずラブ ○話というタグをつけた投稿がOL民の間で現在まで続いていたり、二次創作もたくさん行われていた。
 S1の大ヒットを受けて、出演者はみんな売れっ子になりスケジュール調整そのものも難しくなることが予想され、またテレビ朝日は一度パラレルワールドのテレビドラマを制作してしまったため、どこにも"春田と牧"を再び見られる保証はなかった。
 それでも、ファンは諦めなかった。私はファンのこの動きを知って感銘を受けた。
 「おっさんずラブ」シリーズの実質的プロデューサーの貴島氏は、下記のインタビューでリターンズを制作したきっかけを述べている。S1の林遣都を好きになった難病患者が劇場版を見に行くために、リハビリに励み寛解していく様子が描かれたNHKのドキュメンタリーを見て、感動したからだったそうだ。

貴島氏のインタビュー記事

NHKのドキュメンタリー

 このドキュメンタリーを見たことで貴島氏が制作に動き出したのは事実だろう。
 ただ、一度パラレルワールドのドラマを制作して話題性を欠いてしまった失敗をなかったことに出来るはずはなく、テレビ朝日社内でS1と劇場版の5年ぶりの続編制作を行うことを認められるのは決して容易ではなかったはずだ。
 そこでS1の人気のバロメーターとなったのが、"春田と牧"のS1と劇場版の続きが見たいという、上記のファンの一連の継続的な行動だろう。視聴者センターへの要望の内容や件数は必ず当該ドラマプロデューサーに報告されているという。
 「おっさんずラブ」はいまだにS1と劇場版に根強い固定ファンが多く、十分収益を生み出せるという数値の具体的な証明が出来るのはこれしかなかったはずだ。
貴島氏はテレビ朝日社員として、視聴者からS1続編希望の要望が多数来ていたことにも触れるべきであった。
複数のインタビューを読んだ限りだと「応援してくれているファン」という表現に止まっていたのが残念である。

 リターンズで見られた"5年後の春田と牧"

 そうして田中圭と林遣都、そして吉田鋼太郎とS1のレギュラーキャストが全て続投し、スタッフも多くが続投したリターンズが放送された。
 私自身リターンズから初めてリアルタイムで視聴した。もちろんS1と劇場版は全て視聴してから見た。
 日本の俳優陣がこれだけ有能なんだと実感したテレビドラマは久しぶりだった。
ドラマから離れてしまったのは時間的制約と、いわゆる棒演技でもイケメンや美女、特定の事務所なら許されてしまうようになり、ドラマが学芸会のようで全く面白くなくなったと感じたからだった。
 でもリターンズに出てくるキャストはとにかく演技力があり、中でも"春田と牧"は本当の夫夫(ふうふ)にしか見えないほど、ラブラブに見えた。
5年ぶりの共演じゃなくて、5年経って久しぶりに一緒に住める既に信頼関係のある夫夫(ふうふ)にしか見えなかった。正直男女の俳優がカップルを演じるよりも、本当のカップルに見えるほどだった。
 同性同士の恋愛や同棲を扱ったドラマはこの5年で増えたと思うが、実写の同性カップルがここまで視聴者に受け入れられ、愛されるのは非常に珍しいのではないか。

 脚本とストーリー設定は正直大きな粗が目立つ場面が多かった(それはまた別稿にて)。だがキャストたちの演技が光るドラマであった。

"春田と牧"と"しゅんあつ"はなぜ相似形か

 二組の共通点

 S1や劇場版、リターンズを通して、春田(田中圭)と牧(林遣都)でないと実現できない表現がたくさん見られ、この二人を擁していることが「おっさんずラブ」の最大の魅力だと感じた。
 
私はドラマと音楽というフィールドの違いを超えて、ここに"しゅんあつ"の関係性に通ずるものを見た。

 1.一人一人のパフォーマンス(演技)が折り紙つき
 長年名バイプレイヤーだった田中圭と若手俳優の一人であった林遣都は、S1のヒットでたちまち売れっ子となった。
 2018年度のドラマ関連の賞で主演男優賞を総なめにした田中圭は、以降は主演かそれに準じる役をテレビドラマや映画、舞台で演じることがかなり増え、バイプレイヤーの枠を越えた。

今回のリターンズでも、吉田鋼太郎や大塚寧々といったベテラン俳優たちからの信頼も厚かった。また俳優部の座長としてキャストやスタッフを盛り上げる役割も評価されている。
 林遣都も様々なドラマや映画や舞台に出演するようになり、近年では2023年のドラマで最も注目度が高かったVIVANTで、役所広司演じるノゴーン・ベキの回想での若い頃を演じて好評を博した。

この回想はノゴーン・ベキとその息子で主人公の堺雅人をつなぐ、とても重要なシーンであった。
 二人がこの5年で俳優としてのスキルを高めてきていて、それぞれの演技の評価もまた高い。

  2.全く異なる個性が重なるのに、一つのものを見ている感覚
 
田中圭と林遣都は俳優としての個性も、当然だが見た目などもまるで違う。
 田中圭はよく「受けの芝居」と評され、林遣都は「憑依型」であると言われているのを目にした。田中圭は他の俳優のあらゆる演技も受けて返すことができ、林遣都は演じる役に心も体も乗り移るタイプだそうだ。
 ところがこの二人が醸す"春田と牧"はそういった演技論を超えて、ただ一組の幸せな夫夫(ふうふ)に見える。本当に幸せそうな二人が日々を生きている感覚に陥り、視聴者にも幸せな気持ちが伝わってくるのだ。
 しかも互いが互いの良さを引き出しあって、より自然なパフォーマンスが二人とも高まっているように見える。それはS1からリターンズまで変わらない。

 リターンズでは1話のラストで春田が牧を迎えに行くシーン、2話で春田の母が訪ねてくるシーン、4話の買い物デートシーン、5話のろくろゴーストのパロディシーン、6話の結婚式前日のシーン、最終話の桜の下のシーンなど、数え切れない場面でそれがよく出ていた。
S1から一貫してお互いを高め合う二人だからこそ、"春田と牧"は多くの視聴者の心をつかむカップルとなったのだろう。

 3.二人の個人的な信頼関係の厚さ
 
田中圭と林遣都はS1の共演をきっかけに知り合い、以降個人的なつながりが続いていたことは両者のインタビューなどで見た。同じジムに通ったりもしているそうだ。
S1や劇場版の撮影秘話として、ちょっとした空き時間でも二人でずっとおしゃべりをしていたらしい。

リターンズの宣伝で二人がバラエティ番組に出演したときも、「二人ずっとしゃべってんな」「距離が近いですね」などと共演者や司会者から言われていたほどだ。
個人的にも二人は相性がいいのだろう。

 二組をめぐる共通の問題点

 "しゅんあつ"もデビュー曲から難易度の高い曲を歌い続け、歌っている間ですらアイコンタクトやハイタッチなどをして、ライブMCでは二人で向き合ってずっとしゃべっているほどだった。今でも個人的に深い交流は続いている。
 ところが芸能事務所LDHの経営陣がボーカリストはミュージシャンであるという視点を無視し、彼らの自己表現としての意見を取り入れなくなったことで、片方のボーカリストの脱退という悲劇を迎えた。

 一方「おっさんずラブ」の制作陣の上層部もまた、あくまでこのドラマの柱は"春田と武蔵(吉田鋼太郎)"であることを崩そうとしなかったように見えた。
 
確かに「おっさんずラブ」のS1の途中までは春田に武蔵が恋をするというのが軸であった。
ところがS1の大ヒットでもはやドラマの軸が"春田と牧"に変わってしまったことを、制作陣の上層部が受け入れられなかったのではないか。
 ゆえに劇場版の次のドラマのキャスティングは、林遣都や他のS1レギュラーメンバーの出演を全く考慮せず、"春田と武蔵"さえいればいいと考えたのだろう。
 もしプロデューサーなど、制作陣の上層部が「おっさんずラブ」の軸が"春田と牧"に変わったことを認識していたら、再び林遣都をふくめたS1からのメンバーで、スケジュールが組めるようにドラマ制作を考えたはずだからだ。

 つまり、次の制作をどうするか考えて決める権力のあるプロデューサーなどのテレビ局の制作陣や芸能事務所が、大ヒットとなった理由の詳細な分析すらせずに、自分たちの考えを押し通した結果、悲劇が起きた。
 違う個性同士が出会い爆発的な奇跡を見せた"春田と牧""しゅんあつ"を、権力のある制作陣や事務所の経営陣の俗人的な意思で破壊してしまった。
 二組がそれぞれ努力した結果、ファンの熱狂を生んだ爆発的な奇跡。
これを制作陣や事務所が自らの権力を行使して、潰してしまったことが私は許せない。
本人たちの努力も、ファンの細やかな応援も握りつぶされてしまったのだ。
 エンターテインメントはファンの心を沸かせることが第一でなくてはならない。
ファンに怒りや悲しみを感じさせてまで、制作陣や事務所が何をしたかったのかまるで理解できない。

日本のエンタメのあるべき姿

 武蔵と"春田と牧"はどうあるべきだったか

 とはいえ、ドラマの軸が変わったとしても、武蔵(吉田鋼太郎)は「おっさんずラブ」には欠かせない存在だろう。田中圭と林遣都のインタビューの発言などからもそれはよく伝わってくる。
 リターンズでも武蔵は主要キャストとして活躍はしていたが、そのあり方には大きなブレがあった。3話くらいまでは武蔵が"春田と牧"の夫夫(ふうふ)を見守る姑のようなポジションになり、本人も納得していた。
 ところが6話のバレンタイン・ウェディングからは春田への恋愛感情としての、未練ものぞかせてしまった。武蔵は3話で不倫はダメだと春田と牧に諭していたのに、自らパートナーのいる春田への恋心が隠せないという矛盾のある存在になってしまった。
S1最終話で春田の本当の気持ちを試し、牧のもとへ行けと言った武蔵のかっこよさが吹っ飛んでしまった印象だ。
 また元婚約者の武蔵を「父親のような存在」と呼び、姑でも父親でもないと言う牧の主張を無視し続けた春田にもまたブレが見えた(田中圭は武蔵を"春田と牧"に絡ませるためにはそう振る舞わざるを得なかったという旨を述べている)。
 牧の意見を聞かない春田までも、夫としては決して良くない姿に見えてしまっていた。
 リターンズでは終始、武蔵のあり方が定まらないままだった。ここを固めなかったから、リターンズはストーリーの筋や登場人物の感情の芯が見えにくくなってしまった。
 武蔵が良かったのは、菊之助(三浦翔平)やちず(内田理央)に、最終話では牧に対しても、要所要所で年長者として話をして、彼らを慰めたり背中を押していたところだ。
 だから武蔵を無理やり"春田と牧"の間に再び恋の刺客として突っ込ませなくても、武蔵が姑ポジションから、二人に茶々を入れ続けたり、時には見守る役割に終始していれば十分存在感を発揮できたはずだ。

 ファンの納得や新規ファンを獲得するには

 多くのファンが求める制作をすると「守りに入った」だの「予定調和」だの、揶揄する声が特に業界界隈から聞こえることがある。
 だが何のためにエンターテインメントは存在するのであろう。
視聴者やリスナーが日々の苦しく大変な毎日を癒したり、脱・日常の時間を持ってもらうためではないのか。
 そこを逸脱して視聴者を悲しませたり怒らせたり、見放されたりしてまで、制作陣の上層部がやりたいことを通すのは単なる自己満足に過ぎない。
楽しませようとしたけど結果的に失敗してしまいファンを傷つけてしまったなら、制作陣の上層部が反省の弁を発信すべきだとも思う。
 反省の弁が述べられず、しれっと無視を決め込むから反発が起きるし、新たに動いても不信感が燻るのだ。
 上記の武蔵と"春田と牧"の絡ませ方のように、新たな道をぶれさせずに定着させていたなら、幾分ファンの思いも和らいだだろう。
 中途半端に制作陣の上層部が自分たちのやりたいことを通し、俳優部や現場スタッフにあれこれと押しつけるから、特に中盤から後半に向けてのストーリーの筋の破綻まで起きてしまったのだ。
これで新規ファンはストーリー展開についていけなくなり、新たなファン獲得が難しくなってしまった。

 リターンズにおいては、"春田と牧"や、彼らを取り巻くS1からのレギュラーキャスト、そして新たに迎えられたキャストの演技もとにかく素晴らしかった。それを支えた現場スタッフの努力もあったのだろう。
 ただストーリーや設定の筋は優秀な俳優部にはもったいないほど、壊れていた。あれもこれも詰め込みすぎて、筋が壊れてしまっていた。
例えば新規キャストの和泉(井浦新)が春田を好きになった理由の描写がほとんどなかった。
和泉が春田に対して、殉職した恋人の秋斗(田中圭/二役)の面影を重ねていた序盤とは違い、和泉は中盤で突然春田自身を好きになった。演技や演出で何とかしようとする努力は見えたが、好きになるストーリーそのものが全くなく、終始疑問が残ったまま終わってしまった。
 それこそ「人が人を好きになる」ことが「おっさんずラブ」の原点だとよく目にするが、制作陣の上層部はこの原点を全く無視した展開になっていたことに、もはや気づいていないのだろう。
脈略を無視してでも、和泉が春田に恋をすることが既に前提になってしまっていたのだ。

 ではどうしたら新規ファンをも獲得出来る内容になっただろうか。
 鍵は"春田と牧"の軸にある。
 リターンズからは彼らはパートナー同士として本格的に二人で家庭を築くことになった。
 恋人同士からパートナー同士になった二人は、互いの家族への理解を得たり、将来設計を考えたりなど乗り越えるべき障壁がいくつかあったはずだ。
 
1話で家事分担が得意な牧に片寄ってしまったことや、2話で春田の母親(栗田よう子)に結婚の旨を伝えたり、4話で春田が牧の父親(春海四方)の介助をしたり、6話では結婚式と披露パーティーを行ったりして、イベントはいくつか描かれてはいる。
 ところが二人で牧の両親に会う機会はなく、S1や劇場版で出てきた牧の母親(生田智子)や妹とのやり取りがなかったり、結婚式の準備に至ってはなぜか武蔵が深く入り込んでいて、牧はほとんど関わることが出来なかった。
 また、同性カップルの場合は法律婚の制度がない。それがゆえに、将来家を購入する際に互いにローンを組めないなどの問題点も提示できたはずだ。二人とも不動産業の会社員なのだから、当然の知識として描けただろう。
 現代の同性カップルが家族になっていく、本当の「ホームドラマ」に出来たはずなのだ。
 その中で、公安の現職として天空不動産に和泉や菊之助が潜入捜査をして春田や牧が巻き込またり、7話のちずの子どもを預かる経験、最終盤の第二営業所が吸収合併されるかどうかというところで武川(眞島秀和)や春田が社内で奮闘したり、
例えば吸収合併により担当エリアの変わってしまう自分のキャリアパスに不安を抱える春田に対してホームパーティーなどで仲間を呼び牧が励ますなど、二人の家庭や仕事を通じて、十分新しいコメディタッチのホームドラマを提示できたはずだ。
 まるで武蔵が余命いくばくもないかのような、6話終わりから8話までの突飛な展開は全く不必要であった。これは無理に"春田と武蔵"の軸を見せようとしてしまった結果であろう。
 あくまで"春田と牧"を軸としたストーリー展開は崩さずに、武蔵を深く絡ませたコメディタッチのホームドラマは実現出来たはずだ。
60歳以上の再雇用が普通に行われている現代では、第二営業所の吸収合併を阻止するため、例えば武蔵に頼み込んで力を借りようと再就職してもらう、なんてことも十分に描けただろう。

 放送業界と芸能界の癒着構造において

 よく俳優がもっと自発的に意見を公に述べるべきだという言説が聞かれるが、これは実質的に不可能だ。
 テレビドラマにおいてはテレビ局のプロデューサーが俳優や脚本家、スタッフのキャスティングの全権を握り、テレビ番組には通常複数のスポンサーがつくからだ。

俳優が何か発言をして嫌われれば、たちまちキャスティングされなくなってしまう上に、スポンサーが番組につかなくなり、同じ事務所の先輩後輩にも影響が及ぶ可能性がある。
最悪いわゆる"干される"状態になることがある
 余談だが、私が10年以上前に推していた俳優は当時属していた大手事務所でマネージャーの処遇改善を訴え、辞めさせられた。
その後に別の事務所に移籍したが、その大手事務所所属のタレントとの共演が許されず、"干される"状態はまだ続いている。周囲の俳優仲間とは引き続き繋がりがあるため、彼自身の言動に決して問題があったわけではないことが分かっている。

 俳優にとってはテレビドラマは広く名前や自分の演技を知ってもらう格好のチャンスであり、それを潰すような言動は出来ない。
 それゆえ、俳優などのキャスティング権を握るテレビ局のプロデューサーは、誰よりも広い見識を持ち、社会通念を深く理解し俯瞰できる人物でないとならない。
 今年に入り、昨年の日本テレビの「セクシー田中さん」のドラマ制作で、事前の約束を反古にされた原作者が自ら命を絶ったことで判明したように、テレビ局プロデューサーや脚本家は、原作者との事前の約束を反古にするほどの力を持ってしまっているからだ。
優秀なプロデューサーもいるのだろうが、テレビ局の人材も世襲やコネがないと入社出来ない状況が続いていて、いい人材が揃っているとは言いがたいのだろう。
 一番の打開策はテレビ局への新規参入(電波オークション)を促すことだ。
各業界の規制改革は90年代からかなり取り上げられてきたが、テレビ局はいまだに長年放送法に守られ寡占状態にあり、正常な競争原理が働いていない。
これを打破しないと、広告代理店や芸能事務所との癒着や、特定の芸能事務所のタレントを重用するなどの権力構造もなくならない。ゆえによっぽど強固なバックグラウンドや確立された地位がない限り、俳優やタレント、ミュージシャンは自由な発言が出来ない。
当然、競争原理のないテレビ局はプロデューサー職に有能な人材をつけようとすることもしなくなる。それゆえテレビドラマなど番組の質は下がり続け、視聴者のテレビ離れが一層加速していっている。

 とはいえ、この打開策は国政の問題となるため一朝一夕で実現できるものではない。ただ長年寡占状態にある業界が健全であるとは到底言い難いため、競争原理を入れる以外に根本的な解決法はない。
 しかしせめてテレビ局や芸能事務所は、プレイヤーである俳優やミュージシャンが自らの努力で実現した爆発的な奇跡を潰すような制作や運営をしないようにすべきだ。
それについて唯一自由に発言できるのは視聴者たるファンであり、自分たちの希望や制作で間違っていることがあれば声を上げ続けるしかない。
 「おっさんずラブ―リターンズ―」の制作はそういったファンの声が実を結んだ数少ない例である。
それなのに、多くのファンをつかんだ"春田と牧"を軸とすべきところで、特にドラマ中盤からの武蔵のあり方など、設定やストーリーの筋には多くの疑問点が出てしまった。
 ファンの声で続編制作が可能になったのに、ファンの希望の反映以上に、制作陣の上層部がやりたいことを詰め込み過ぎた結果、ストーリーの破綻が起き、社会通念上、適格ではない表現も入ってしまったことで、新規ファンの獲得が限定的になってしまった。
 テレビ局自身に改革の意思があるのなら、プロデューサー職の異動や変更を促すのもいいだろう。おのずと脚本家の変更や複数人数での対応も行えるだろう。
それも今回のリターンズで、制作陣の上層部の刷新が必要であると思わざるを得ない疑問点が複数出てしまったからだ。
それらはキャストや現場スタッフのその場の努力ではもう、対処しきれないものであった。

 プロデューサーや脚本家などの制作陣の上層部は、一度エンターテインメントの原点に立ち返ってほしい。
 インターネットの普及で視聴者のテレビ離れが加速する現在、やるべきことは何か。
 視聴者たるファンの心を動かすものを作ることに尽きるのではないか。
自分たちの新たな表現への挑戦が悪いとは言わないが、あくまでスポンサーが獲得したい消費者、つまり視聴者たるファンがいてこそ、挑戦は可能になっていることを肝に銘じるべきである。
 そしてキャストやスタッフのキャスティング権を握るプロデューサーは、テレビドラマの内容が社会情勢を鑑みて適切かどうかを明確に判断できる人間が就くべきだ。
 
幸いテレビ局では社会部で記者になったり、営業になって世の中を見ることができる。そういった外部との社会経験を積んだ人にプロデューサーを任せるのも選択肢の一つだろう。


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