悲しい曲を聴けるようになった、感情の色を愛でること。
最近、やっと悲しい曲を聴けるようになりました。
1年ほど前からでしょうか。悲しい曲が聴けなくなったのは。
悲しくて美しいメロディに心を動かされることは誰にもあることだし、それは「感動」的な体験であって、むしろ喜ばしいこととも思えるのですが・・・。
1年前の私にとって、美しくも悲しい曲を聴くことは当時の不安定な自分の感情を根こそぎ流されるような感覚があったのです。
それは、まるで
「私という存在そのものが流されるような」感覚。
生きる意味を見失っていた私が「自分の存在を流される」ということは、
「生きていない」も同然です。
だから私は悲しい曲が流れてくるとすぐにスマホやオーディオを消したり、外から聴こえてきた場合はイヤホンで楽しい曲を聴くようにしていました。
普段の生活の中でも、ディズニーの曲や明るい感じのポップス、ハワイアンミュージックなどを選んで聴いていたのです。
お風呂に入る時は、決まってモーツァルトの曲を。
それが、いつのまにか最近変わってきたのです。
*
ディズニーの曲はまったく聴かなくなり、それに代わって北欧系の美しい女性ボーカルの曲や、悲しい響きを含んだピアノ曲、人生の悲哀を感じさせるようなイタリア歌曲やタンゴまで聴けるようになってきたのです。モーツァルト以外のクラシックも聴くようになりました。
ハワイアンは相変わらず聴いていますが、以前は「家事をする時はノリノリのポップス」と決めていたのが、今はサラ・ブライトマンです。
感情が流されなくなったのです。むしろ、感情という器で大きく受け止められるようになってきたというか、人生の中にある悲しみを「悪いもの、嫌なもの」として拒否しなくなったのかもしれません。
私は今まで自分の体験してきたネガティブな出来事や感情を整理することに必死でした。
自分の中に「ポジティブでありたい」という思いは確実にあるのに、圧倒的に「ネガティブ思考」が勝っていたからです。
つまり、私の内側は「ネガティブ」に支配されていたわけです。
しかし、1年前私は「ポジティブな人生に生まれ変わる」と決めました。
だからこそ、まずは新しく入ってこようとするあらゆるネガティブを一切シャットアウトしたのでしょう。そして、自分の中に居座っている「ネガティブな感情と思考」をひとつひとつ手放していったのです。
それを始めた時は、「もう2度と悲しい曲など聴くことはできないだろう。」と思っていました。ポジティブに生まれ変わったら、「悲しい曲を聴きたい」などと思わなくなるに違いないと思っていたからです。
*
しかし、人間はそこまで単純な存在ではありませんでした。
「黒か白か」ではないということです。
黒と白の間には無限のグラデーションがあり、それは人間の個性や感情も同じなのだということに気づいたのです。
さらに、グレーの中にも無限のバリエーションがあります。
赤みを帯びたグレー、青みを帯びたグレー、クリームがかったグレーや光沢感のあるグレー、マーブル模様のグレーだってあるかもしれません。
❇❇❇
それらはすべて、美しいのです。それらはすべて真実なのです。
私たち人間は常に変化し続けています。
ディズニーの曲を聴くと幸せな気分になる時があってもいいし、悲しげなタンゴの音色に癒される時もある。それはその時々の心の状態、つまり「心の色」が違うからです。
悲しい曲を聴いて癒される時は、悲しい感情を「美しい」と愛でる余裕があるわけです。それはまた、自分の中にもその感情を見つけて共感ができるからです。
♪︎♪︎♪︎
色々な音楽を楽しめるようになったというのは自分でも嬉しいことでした。
様々な色の感情を感じて、それを楽しめるようになったのは、人生には喜びも悲しみもあり、また、その喜びにも悲しみにもそれぞれあらゆる側面があるということに気づけたからです。
だから、「今日はフランク・シナトラを聴きたいな」と思ったなら、「それはどんな感情の色からきているのだろう」と考えることを楽しめるようにさえなってきたのです。
♪︎
「好きな音楽は何ですか?」という問いにあなたなら何と答えますか?
私ならこう答えるでしょう。
ロックでもポップスでもクラシックでもいい、
「私の感情を愛でてくれる音楽です」と。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
お読みいただきありがとうございます!いただいたサポートはクリエイターとしての活動に使わせていただきます。エッセイ、小説、イラスト、瞑想日記など…いろいろ投稿してますので、是非また遊びに来てくださいね!