「痛い」は感情!自分を知る、ボーナスチャーンス!!
こんばんわ。
皆さん、「痛い」って感情ですか?感覚ですか?
え?考えたこともない?
考えてみてww
「痛い」って、言葉的には、形容詞ですよね。
「嬉しい」とか「悲しい」とか「悔しい」とか、「恥ずかしい」とか
「状態」を表す言葉の仲間ですよね。
でも、「痛い」は感情っていうよりは「感覚」(熱い、冷たい、寒い、、)の仲間って感じ。
「痛い」は、「身体」の変化を表している。
「嬉しい」や「悲しい」は心の変化を表している。
でも、「心が痛い」って感覚ありませんか?
「痛い」も心の状態=感情
結論を申しますと、私は、「痛い」は怒りとかと同じ類の、2次、3次感情だと考えています。
以前、怒りは二次感情で、その奥に秘められている感情、悲しいとか悔しいがあるというお話を書きましたが
https://note.com/kana_advance/n/n7e2b88d7f0b1
「痛み」も怒りと同様に、その奥に秘められた感情が隠されています。
体の感覚まで伴う「痛い」にまで感情が成長しまうのは、
感情をスルーしてしまっているから。
もっと言えば、感情そのものがある現象、現実の副産物でしかないので
現実を受け入れきれていない。
現実を生きていない。
自分を生きていないですよ
っていう状態を続けて、
それに気が付かないで
ずるずるずるずるずる生きていると
「痛い」!!
ってなるってこと。
「現実をあるがままに受け止める」これが現象、現実。
その現象に「感情」を付帯する。これは自由に選択。もしくは魂が選択。
魂=自分が選んだ「感情」に従って、次の行動、次の言動っていう風になっていくのが普通なんだけど、
この感情が、思考の段階で、自分の気に入らないものだったりすると
せっかく湧いてきた感情(選んだ感情)を無視してしまう。
「思考」は、外部からの働きかけによって「感情」に善悪をつけてしまいがちなので、湧いてきた「感情」を「思考」がブロックしようとする状態が起きる。
思考によってスルーされた感情は
もっとわかりやすい「感情」に成長する。
それが、怒りや苛立ち。
でも、それも、「思考」によって、怒ってはいけないとか、イライラしてはいけないとか「考えて」
また、「感情」を無視すると
もっとわかりやすい状態を生み出す。
それが、「痛い」っていう状態。
「痛み」は、自分自身(魂)からのメッセージです!!
自分を見て欲しいっていう、メッセージ。
「痛み」になってしまった感情を深く見つめましょう。
次回、気が向いたら、今抱えている私の「痛み」と向き合ったレポートを書いてみようかな。
今日は、ここまで。眠いので( ³ω³ ).。o
ありがとうございました〜꒰ঌ( ˊ˘ˋ)໒꒱