You are never too old to set another goal or dream a new dream.
ひらひらと。彼の着用していた卒業用のガウンは、楽し気に、そして誇らしげに舞っていた。
「ねぇ、信じられる?俺、ほんとにやっちゃったよ。できちゃったよ。いや、俺じゃない。”俺たち”。うれしいね、楽しいね」
彼は何度も同じことを繰り返した。紫色のガウン。黒い帽子の上で、ぴらぴらと2022の飾り釦のついたタッセルが跳ねる。胸元には、すべての成績をAでクリアしたことを示す組み紐。バイオレットとシルバーの紐は、彼のスクールカラーの紫色と絶妙にマッチしていた。
その日、私たちは手をつないで、摩天楼を闊歩していた。
もしも気持ちってものをフリーズドライできるなら。もしも、幸せの瞬間をプリザーブドフラワーのように永遠に保存できるのなら。そんなことを思いながら、卒業式を迎える彼の大きな手をぎゅっと握り締めた。
彼が19歳、私が26歳で付き合い始めた時、私たちは自分たちの将来がこんなものになるとは夢すら描けなかった。若い頃の彼は大層な暴れん坊で、ずっと家族、親族、友人、知人たちは、口をそろえて「彼の将来なんて、殺されるか、ジェイルだ」と確信をもって言っていた。
Shitty Life。どん底のクソみたいな生活。望むこと、夢見ることさえできないそんな生活。
実際、私は何度も喧嘩で警察署で拘留された彼を釈放しに行ったりしていた。生まれも育ちもゲットーで、通学範囲内の高校はすべて退学処分。ギャング活動を抜けた頃に私と出会い、出会った当初は保護観察処分中だった。付き合ってからも、トラブルしか存在しない毎日だった。
「Congratulations!」 「You did it !! wow」
ストリートを歩けば、見知らぬ人が満面の笑みを浮かべ、声をかけてくれる。大都会の煩雑さを嫌う私であるが、なるほど、まったく知らない人なのに、全力でおめでとう!なんて声をかけてくれる人がいっぱいいるから、マンハッタンを好きという人が多くて、マンハッタンプライド、そんな風にマンハッタンを誇らしく思う人が多いのだと思う。大都会だというのに、妙に人間味に溢れているその街を私は、ほんの少し、スキになった。
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世の中に何人の院生。大学院、卒業生が存在するのだろう。
きっと、いっぱい、いっぱいいる。その一人、一人が、日々の研鑽を積んで「卒業」という大きなゴールにたどり着くのだ。だから、Graduation Dayが多くの人にとってとても大きな意味を持つのはわかる。アメリカの卒業式は、中学でも高校でも、大学でも。家族・親族、総出で祝う。それほどに大きなイベントだ。
類にも漏れず、私たち夫婦にとってもまた特別で、格別の日。
ねぇ、想像できる?数年前は、朝の8時だってのに泥酔状態で、ドラッグでハイになりまくり、仕事に行こうをする私に縋りつき、一人にするなと喚いてた人。
ねぇ、夢をみることができたと思う?いつ死んでもいいし、死にたい、なんて銃を抱えて暴れる彼に馬乗りになって、とにかく生きていてと泣き叫んだ日々。
ねぇ、考えられる?コールドターキー。冷たい七面鳥みたいになった彼。向精神薬を過剰摂取。自殺未遂した大男の躯を引きずって、泣き喚きながら口に手を突っ込んでげぇげぇ無理やり嘔吐させたことも一度や二度じゃない。
ねぇ、信じられる?彼には親もなく、お金もなく、学歴もなく、あるものはただただ、世間への憎しみと嫌悪感だけだった。
例えば、修士号を持っている人が一万人くらいいるとしても、彼の経歴は異色だと私は確信している。
彼は、中学・高校をSpecial Educationと呼ばれる特別支援学級ですごした。問題行動の多い生徒だけを集めたクラスで過ごしていたから、通常の授業よりもうんと少ない量のカリキュラムしか経験したことがなかったし、彼はそもそも学校で教わることに何の意味も、理由も見つけられなかった。
何度かの大きな喧嘩の末に、彼は24歳で、ようやく重い腰をあげ、高校卒業資格を獲得した。試験をパスするのに数年が必要だった。そのあと、すぐに短大へと進み、大学に進み、大学を出た時には32歳になっていた。
学位なんてものは、自分にやりたいことがなければ、単なる紙切れにすぎない。だから特別に目指すものや、やりたいこと、それらに大卒の資格や、大学で学ぶ専門知識が必要でないなら無理して大学に行くことはない、無駄なことだ、と思っていた。だから、高校卒業資格以外は、彼に無理強いはしなかった。
彼に高校卒業資格がない時も、大学を出てからも、やりたいことが見つかればそのうちなんとかなるだろう、というお気楽な気持ちでしかなかった。私はやりたいこと、学びたいことがあって大学へと進学したが、そうでない人はいっぱいいるだろうし、そんなもんは、そのうち見つければいいのだ。だからそれまでは、私が稼ぐしかねぇなと思っていたし、そうした。見つからないなら、それはそれでしょうがない。押し付けるものでもないのだ。
苦労したね、がんばったね、と言われると、確かにそうだが、幸いにも私が得た仕事は、これまでの経験や知識を生かせる仕事で、私はこの仕事がとても楽しい。豊かな生活というわけではないけれど、それなりの生活ができているから、まぁそんなに悪い人生でもないと思う。
別れる機会や出来事なんて、数えきれないほどあった。それでも彼と一緒にいることを選んだのは、自分である。彼を愛した自分の選択。なので人様に苦労などと言われても、それは自分で選んだことであるので。苦労などというラベルを張るのはおこがましいというものなのだ。
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彼が、大学院へ行きたいと言い出したのは、3年前の事だった。中学校の特別支援クラスで、助手というポジションで仕事を始めてから2年が過ぎた頃。今の助手の仕事が、インターンとしてカウントされること、オンラインでクラスがあること、そして期間は1年間。学費は学生ローンを借りることになるが、修士を取れば、給与は2~3倍になること、その後は1年ごとの自動的に賞与は増えていくこと。教師になるためには修士号が必要で、だから1年という最短コースで終われるコースに行きたい。州によるがNYでは教師になるには修士号が必至なのだ。
そもそも彼が何かをやりたいと私に聞く時は、すでに彼の心は決まっているので、良いも、悪いもないのである。なので私は「1年のコースだから楽勝とか思わないでね。むしろ、短縮コースだからカリキュラムがぎっちりになるから、普通よりきついと思うよ。しかもSpecial Eduacationは、普通の教職の5倍くらいやることも、州の認定試験もあるんだよ。わかってるんだよね?」と念を押すくらいのことしかできなかった。
そもそも、彼が明確な目標と計画をもって、腰を据えてやりたいことに向かい合うというのが初めての事だったから、これまでの『やりたいならやればいい』という姿勢ではなく、『本気の本気なら喜んでサポートするよ』という心持であった。これもまた、件の「私の選択」
入学されるまでもひと悶着。最初に希望していた特別クラスプログラムに落ち、何故か院側から「大学で専攻していた英語へのプログラムにせよ」と言われた後に、今度はインターンを管轄している地域の教育委員会から「いや、彼は特別支援クラス以外ではやってほしくない」とクレーム。すったもんだがあり、特別支援クラス用コースへの正式な合格通知を得たのは、クラスが始まる直前であった。
なんせ学校のシステムは、白人女性がその多くを占める。ブラックで、自身が特別支援クラス出身。しかも30歳をとっくに過ぎてからの進学。地域の教育委員会としてはある意味、良きアピール物件になりえる人材。
思っていた以上にインターンシップとクラスの授業はハードだった。もともと自分が助手として受け持っていたクラスでインターンを始めたが、院の教育実習をしつつ、「助手」としての仕事ばかりやらされ、教師・助手、その他の働く大人たちのごちゃごちゃした職場の人間関係に悩まされたり、暴れん坊の生徒から首を絞められたり、椅子で殴られたり、生徒が事故死したり、そんなインターンの毎日に加え、課題に次ぐ、課題。よく頑張ったと思う。
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金曜日の朝、待ち合わせ場所に現れた彼はすでにガウンを着ていた。満面の笑みでぶんぶんと手を振っていた。
「ちょと、そんな恰好でここまできたわけ?!」
まさかのガウン着用での登場。人の多すぎる大都会だというのに、電話での連絡も必要ない。だってすぐに見つかる。
「鞄にいれるとガウンが皺になるからさ」
そういって、彼は私を抱きしめた。通りすがりの人々が、Congratulations!と声をかける。
「なんか、あれね。その恰好、なんだか、ハリーポッターの衣装みたいね」
少しばかり恥ずかしくて私はそんなことを言ったが、彼は気にも留めずに言った。
「Baby, we did it. we made it」
「Weじゃないでしょ。今日はあんたの日。YOU did it」
そう言った私に、彼は言った。
「ばっかじゃないの。俺だけじゃ何にもできなかった。あんたがいてくれたおかげ。サポートしてくれたおかげ。夢を見せてくれたおかげ。ありがとう」
彼はそういうと私をぎゅぅっと力強く抱きしめた。
夢をみせてくれたのはあなただ、と私は言おうと思った。でもそう言う代わりに、私もまた回した腕に力を込めた。
40歳の卒業生。
You are never too old to set another goal or dream a new dream.
人生において、別の目標を設定したり、新しい夢を夢見たりするのに年を取りすぎているなんてことは決してないのだ。
「こちらこそありがとう。I love you, and so very proud of you」
あぁ、やっぱりこの今の瞬間をフリーズドライできればいいのに、なんてことを思いながら。
【終】
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蛇足的諸々。
というわけで、夫アルゴ。院生活、無事終了。久々に大都会へと言ってまいりましたよ、ってお話。んでまぁ、前回のアイシテルの記事はちょうど、卒業式(大学全体のと、学部のがある)の日だったもので、前振り的な意味もあったのです。もちろん、私も浮かれていたし、誇らしかったから。ふひ。
「だって皺になるから、もう着ていけっておばさん(夫アルゴは前ノリしてた)に言われたんだよ」などと言っていたが、まんざらでもない様子。
でもなんか、卒業式にね、いったんですよ、ニシシシシみたいな風に書き記すのも、それはそれで恥ずかしかったので、困った時の「創作風」なんとなく、そんな感じに書いてみました。
"You are never too old to set another goal or dream a new dream."
by C.S. Lewis
人は、別の目標を設定したり、新しい夢を夢見たりするのに年を取りすぎていることはありません。このC.S. Lewisの言葉は、真実。
女に夢を見せさせられるのはトップクラスのホストだけではないんだぜ、なんてくだらないことを思いながら、次に二人でかなえる夢について思いをはせる今日この頃の私なのでした。
今度こそ、終わり。
アルゴが教職を目指した理由。
生徒さんが亡くなった時の話。