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「くたびれた正義のヒーロー」じゃなくて、「ホットでチャーミングなヒロイン」になりたい

自己犠牲の末に、人を幸せにすることは難しいと思う。

というよりも、人を幸せにし"続ける"ことは、難しいと思う。


「犠牲」と、自分で認識している間は、まず無理なんじゃないだろうか?

自己犠牲、は続かない。自己犠牲、は、すり減る。

と、少なくとも私は思う。


前まで、私は「他の人のために我慢する」ことは、美しいことだ、と思っていた。

長女だし、日本人だし、そういうものだ、と信じて疑うことはなかった。

疑わなかったし、きちんと実践もした。

小さい頃は、欲しいパジャマの色を妹に譲ってあげたり、とかね。笑


でも「人のために」動けば動くほど、醜くなっていく自分に気づいた。

「人のために」自分が我慢をすると、歪みが生まれてくる。

そのつもりは一切ないのに、相手への期待が生まれてくる。


「私はあれもこれも犠牲にしたのに、彼女はちっとも喜んでくれない」

「私はみんなのために努力したのに、全然認めてくれない」

「私はこんなに我慢したのに、あの子は全然努力してくれない」


私は 私は 私は

のに、 のに、 のに、 

どうして どうして どうして

くれない くれない くれない


相手のことを思って始めたはずなのに、

ピュアな気持ちがら自主的に始めたはずなのに、

どんどん自分が醜くなっていく。


そんな感覚が辛かった。

変なの、って、思った。

いいことしたいだけなのに、なんで醜くなっちゃうんだろう。


「誰かのために我慢しない」

「相手を喜ばせたい」と、「私が」選んだんだ、という気持ちを持つ


をやってみようと思いました。

今の所結構うまくいっている。


他の人のために頑張りすぎて、くだびれてるヒーローに、私は魅力を感じないんだ。


それなら、まぁまぁ悩みつつも

自分の人生楽しんでて、セクシーで、チャーミングで

ついでに周りも幸せにしちゃうような、光を放つ人でありたいな。


オチのない話なのですが 笑

今日お風呂に入りながら考えたことでした。笑


頑張り屋さんの方々に届きますように。


おわり

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