薊摘み
もう40年以上の付き合いになる畏友、川畑battie克行氏がNECのワープロ「文豪」を購入され、私の作品を初めて活字にしてくださった。感熱紙にプリントしたため、40年の歳月を経て、文字が消えかかっている。noteに投稿して、保存を図る。
薊摘み
i——ぼくはひとりの樵夫ですが、あしたに薊を摘むことが、ぼくのひとつのしごとです。 ぼくはひとりの樵夫ですが、ぼくはぼくの檜木や杉のすねはぎに、斧をたてたことがありません。 ゆうべに花籠を編むことは、優しい妻のしごとです。 ぼくにはまだいぬ妻ですが、ゆうべに花籠を編むことが、妻のひとつのしごとです。
ii——薊の散る翌朝には、ぼくはぼくの声を濯ぎ、『抽斗論』と呼ばれもする、ぼくの小さな冊子の中に、「繊維と類似」、「気象と簿記学」、「母数と刺繍」、「灌漑と干渉」等に関する薄い草稿いちまいを書き添えもしますが、あしたには、優しい妻の編む花籠に、薊の声を摘むことが、ぼくのひとつの日課です。 朝が、薊の秒芯に、いまはまだ、ぐずついています。
iii——「藤沢」と呼ばれて、藤の溜る渓谷の部落には、「いってらっしゃい」と頷く親戚がいます。 いつ頃か、叢林を吹き荒れた嵐のあと、妻はひとりしぶきに濡れて、薊の棘を拾いました。 妻の湿った薊摘みの花籠が、ぼくの頬に触れました。 ぼくはぼくの日課を放っぽり出して、「鶺鴒と薊の婚姻に関する覚書」と題される、論文の草稿を綴っていました。
iv——妻のヒヤシンスの水栽培を、誤って壊してしまった日の夜には、「繭糸紡ぎ」を手伝います。 牛乳温め蜂蜜たして、「はひふへほ」とあやまります。 初霜の薄い朝には、縄跳びの妻を誘って、薊摘みに出かけます。 昼には鼻水啜りながら、妻は卵綴蕎麦に失敗します。 妻は「ほほほ」と胡麻かします。
v——ぼくは「暁の薊摘み」、妻は「薊摘みの花籠編み」と呼ばれます。 薊を摘んだ花籠は、「薊籠」と呼ばれます。 毎週火曜の昼前には、「薊籠売り」に出かけます。 「鶺鴒と薊の婚姻に関する覚書」の載る『抽斗論 第Ⅱ号』を数冊と、妻の貼絵の彼岸花、紙粘土細工のイモリや田螺を、携えることもありますが、めったに売れることはありません。
vi——「薊摘み」は清楚な日付に帰省します。 帰省までの沖積には「薊籠」を整えて、薄く「凛冽」と掠めます。 菱や罌粟や蟹やミズスマシにも、挨拶しなくてはいけません。 「こんにちは」「itterasshai」「いってきます」。 「薊野」は「薊摘み」には辺鄙です。 帰省って「繭糸紡ぎ」のようなものです。
vii——妻には美しい浅葱色の蒙古斑があります。あるいは、ありました。 「薊摘み」は薊のように、花蜂の比喩を破壊します。 「薊摘み」は鶺鴒の離水方法を観察しています。 朝が薊の花糸の綻びに、緩やかな弧を紡いでゆきます。 薄い籬を飛び越えて、「薊摘み」は「薊摘み」に出かけます。 「いってらっしゃい」「いってきます」。