「汎水論」ノート02
「汎水論」を書きはじめた2015年8月からのメモ書きノートに少し手を加えながらテキストデータにして残そうと思います。また、これらのメモをもとに、ChatGPTに散文(詩)を書いてもらう実験をしてみます。
私はいまだ生まれざる者たちと、死者たちのあいだに住んでいる。(パウル・クレー「忘れっぽい天使」)
海の手 ジャベス ユーケルの書
手のなかの手 油の海原
étranger ヨソモノ être ange 天使デアルコト
コドモ in-fans(言葉ナキモノ) 孤独 言葉である
être-langue être-langage
言葉(langue/langage)の中には天使(ange)が{いる/棲みついている}
詩=切断/繋ぎ
言葉が切断されつつ繋がる、
言葉に切断/繋がりという出来事が起こる時、
そこに詩が起こる{相/層}が生じる。
●ChatGPTとのやりとり
私:以下のメモをもとに筋の通った散文を書いてください。(メモをコピペする)
ChatGPT:
私は、いまだ生まれざる者たちと、死者たちのあいだに住んでいる。
パウル・クレーの「忘れっぽい天使」が言うように、私たちは存在の狭間に生きている。海の手、ジャベス、ユーケルの書が象徴するように、私たちは手の中に広がる油の海原のように、無限の可能性を持つが、同時にその可能性に飲み込まれることもある。
étranger(ヨソモノ)、être ange(天使デアルコト)、コドモ、in-fans(言葉ナキモノ)、そして孤独。これらの存在は、言葉によって定義されるが、言葉そのものが彼らの本質を完全には捉えられない。彼らは言葉の外にありながら、言葉の中に棲みついている。
言葉の中には天使がいる。言葉(langue/langage)の中には、無限の可能性が潜んでいる。言葉は単なるコミュニケーションの手段ではなく、存在そのものを表現するものだ。
詩とは、切断と繋ぎの行為である。言葉が切断されつつ繋がる瞬間、言葉に切断と繋がりという出来事が起こるとき、そこに詩が生まれる。詩が生じる相(層)は、言葉の中で起こる出来事の一つであり、それは言葉の本質を探求する行為でもある。
このようにして、詩は私たちの存在とその意味を新たに問い直す場となる。生まれざる者たちと死者たちの間に住む私たちは、詩を通じて、言葉の中に潜む天使を見つけることができるのだ。
私:先のメモをもとにして散文詩を書いてください。
ChaGPT:
私はいまだ生まれざる者たちと、死者たちのあいだに住んでいる。
海の手が揺れる、ジャベスの声、ユーケルの書が囁く、
手のなかの手、油の海原が広がる。
étranger、ヨソモノ、
être ange、天使デアルコト、
コドモ、in-fans(言葉ナキモノ)、
孤独、言葉であること、
être-langue、être-langage、
言葉の中に天使が棲む。
詩は切断、そして繋ぎ。
言葉が切断されつつ繋がる瞬間、
言葉の断片が出会い、再び一つに、
そこに詩の相が生まれる。
言葉の中に広がる無限の海原、
天使が囁く、その声に耳を澄ませば、
私は彼らの間で生き、そして詩が私を包む。
※「散文」ではかなり言葉が補われている。「言葉は単なるコミュニケーションの手段ではなく、存在そのものを表現するものだ」や、最後の「このようにして、詩は私たちの存在とその意味を新たに問い直す場となる。生まれざる者たちと死者たちの間に住む私たちは、詩を通じて、言葉の中に潜む天使を見つけることができるのだ」という文章は、メモのどこから汲み取ってきたのだろうか。
※「散文詩」の場合は、前回の01の場合と同様に、行替えで応えてきた。前回は行替えを外して散文形式に直したが、今回はこのままにしておこう。ちなみに、「先のメモをもとに詩を書いてください」とすると、次にようになった。
私はいまだ生まれざる者たちと、
死者たちのあいだに住んでいる。
海の手が揺れ、
ジャベスの囁き、
ユーケルの書が語る。
手のなかの手、油の海原が広がる。
étranger、ヨソモノ、
être ange、天使デアルコト、
コドモ、in-fans(言葉ナキモノ)、
孤独、言葉であること。
être-langue、être-langage、
言葉の中に天使が棲む。
詩は切断、繋ぎ、
言葉が切断され、再び繋がる時、
そこに詩が生まれる。
言葉の中の天使、
その囁きに耳を傾け、
私は生まれざる者たちと死者たちの間で生きる。
言葉の海原に漂い、
詩が私を包む。
※「この詩にタイトルを付けてください」というと、「言葉の海原に生きる」と応答してきた。これは「詩」と言えるだろうか。
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