千葉雅也『センスの哲学』
『ライティングの哲学—書けない悩みのための執筆論』
筋が通っていながらもセンスのいい個性的な表現をちりばめた文章が書きたい――。そうしていつも書き出しからフリーズして再起動を繰り返したり、なんとか書き始めても途中で行き(息)づまって投げ出したりしている。
そこで、千葉雅也さん、山内朋樹さん、読書猿さん、瀬下翔太さんの4人の座談会と執筆実践が収められた『ライティングの哲学―書けない悩みのための執筆論』(星海社新書)を購入し、付箋まみれにした。
中でも執筆実践の千葉さんの文章「散文を書く」の冒頭「書かないで書く」には驚いた。
▼何を書こうかと考えて書くのではなく、書くことが自然とそこにあるときに書く。そこに何かあるなら、きちんと書こうとしなくていい。そこにあるものがポツポツと言葉になり始めたなら、それはメモ段階ではなく、もう本文であり、そこでメモと本文を区別しなくていい。
▼メモと本文を区別しないこと。
何か文章を書こうとすると必ず身構えてしまうのが常だが、「書くことが自然とそこにある」なら、そこに素直にすうっと身をすべりこませてゆけばいいのか。
千葉雅也『センスの哲学』
今回、読み終えた『センスの哲学』も、書くことへの拘りから軽やかに離れるように、自由に「反復と差異」を繰り返し、リズム(うねりとビート)感に溢れる書きぶりの本だった。音楽、絵画、映画、小説などさまざまなジャンルの芸術との接し方を説く「芸術論」でもある。
「センス」を磨くとは、芸術に限らず、身の周りに満ちているいろいろなもののリズム(うねりとビート、反復と差異)に敏感になるということなのだろう。最後には、▼「センスはアンチセンスという陰影を帯びてこそ、真にセンスとなるのではないか」とあり、さりげなく部屋のインテリアのことなどから書きはじめられた文章が、▼「一人暮らしの狭い部屋は、ラウシェンバーグの画面に似ている」と締め括られる。
近所のスーパーでもらってきたバームクーヘンなどの段ボール箱が、本やCDの収納箱としてあちこちに並んでいる家の部屋も、ある種のセンスとアンチセンスとの混淆から生まれたものとして快く肯定したくなってくる。元気をもらえる本だった。