「神楽」ってなんですか?
「鬼滅の刃」というアニメが流行っているらしく、その影響からか、私に「神楽ってそもそもなに?」と聞かれる人が幾度かありました。
何事もシンプルな質問ほど本質的なことにも関わっていて、とても答えるのが難しいものです。長い歴史の中で、神楽というものがかなりの変遷を経て多様化したためになかなか一つの像が結びにくいことが、なかなかすっきりとした説明がしにくいのです。
現在の神楽の実際を見てみると、宮中で行われる神事「御神楽(みかぐら)」もあれば、全国各地に民間で伝承されている神楽「里神楽」の系統があり、そして山車のお囃子の名前などにも曲名として「神楽」がつくものがあったりと、とても多様化しています。民間の「里神楽」に関しては、地域によって巫女舞のことを神楽だと思う人もあれば、獅子舞のことを神楽と思う人もあり、「湯立て」を行うのが神楽だと思ったり、面をつけて舞うことが神楽だと思ったり…と本当に多彩な形をしています。ですから、例えば別な地域の人同士が「神楽」について話合ったとしてもそれぞれの脳内にはかなり違った「神楽」がイメージされたままで言葉のやりとりをしてしまうので「え?それ神楽?巫女舞ないの?」「え?そっちこそ面かぶらないの?」とお互いに思ってしまうことにもなり得ます。
このように、複雑化して分かりづらく迷った時は、とりあえず言葉自体について考えてみます。「神楽」は読みが一般的には「かぐら」と読みます。これは「神のくら」という意味で、「かむくら」から転訛して「かぐら」になっていったと言われています。
では「神のくら」とはなんでしょうか?「くら」とは神が降り立ってくる場所のことを言います。磐座(いわくら)は岩が御神体で、神がそこに降りて来る物になります。言わば「依も代(よりしろ)」なわけですが、考えたら「倉」も穀物を入れてそこに宿る稲魂(いなだま)を安置するという側面もありますし、馬の「鞍」もときに神事では上に人が乗らずに御幣を立てて渡御することもあります。神が寄り付く場や物において「くら」がつくことと同時に、寄り付くものは色々な種類があることもわかります。
「かむくら」となると、元は神の降りてくる場全体を指したと思われます。神様に来てもらうためにまずは結界を作り、その中に囲まれた空間を清浄なものにしてから、中心に神が宿るものを置き、人を神がかりさせてその発せられる言葉「託宣」を聞き、その後には神様が常駐するのも困るので丁寧にお帰りいただいて終わる、ということが神楽の基本的な構造と言われています。
実際に古い神楽を見に行きますと、祭全体が「神楽」と呼ばれ、四隅や天井に御幣やその他紙細工のもので結界が作られ、その中で舞や芸能が次々と奉納されていく形のものが多く見られます。そして、今はほぼ失われてしまいましたが、神事の中で、人を神がかりにさせて託宣を聞くということが組み込まれていたものが多くありました。
そういった仕組み自体をさす神楽も、その中で行われる芸能に主眼が置かれるようになってくると芸能そのものが「神楽」と呼ばれるようにもなってきます。そして、行われる芸能の内容もかなり地域差も含みつつ、劇のようなもの、面をつけた舞、神がかりするための巫女の舞、獅子頭によって魔を払う…などと色々な形態のものが出てくるわけです。
そして同一の神楽の芸能でも、神事色が強いものもあれば娯楽要素の強い演目もあったりと、芸能のバラエティーパックのようになってることもあります。さらに、ある神楽が別な系統の神楽の要素を受けてハイブリッドのようになってるケースもざらにあり、中には「歌舞伎化した神楽」があったりもしますから、本当に説明がしずらいややこしいものになっています。
結局「神楽」の言葉で意味するものが多様すぎるため、どういうものか実際のものを知りたい場合は、お祭りの場で神楽を自分の目で見て耳で聴いて五感を通じて一つ一つ見ていくしかないと思います。
一つ一つを丁寧に見ていくことで、それぞれの共通点、相違点を自分の中に蓄積させていき「神楽のなんとなくイメージ」を作っていくしかありません。しかも、この「神楽のイメージ」というものは新しく見た神楽によって「え?こんなのもあるの?」という驚きとともに何度も壊されていく側面もあります。それだけ神楽というのは多様であり多彩なのです。そこが説明の難しいところであり、つきない魅力の源泉でもあります。
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