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救イノ手ハ後カラヤッテクル
石田 祥『猫を処方いたします。』に次のような一文があった。
(一部ネタバレありです)
「それやったら、おまえが最後まで責任持たなあかんやろう。飼えへんのやったら、飼えるように努力するべきちゃうんか。ずっと一緒にいられるように、俺らに託す前に、できることがあるんと違うか。」
主人公のシュウタがスーパーブラック会社によりココロを病んだときに回り回って出会ったのが、怪しげな「中京こころのびょういん」。
そこで処方されたのは、なぜか猫。一匹の猫だった。
この猫のせいなのか、おかげなのか、シュウタの周りに色々な変化が生まれ、そうこうしているうちに、シュウタ自身もその周りの環境も良い方向に向かっていた。
そうして不眠も食欲不振などの不調も改善していき、猫の処方はもういらないね、と先生に言われたが、最初は迷惑に思っていたこの猫ともう少しいたいという感情が芽生え、シュウタは処方継続を希望した。
そんなとき、もうこの猫を返さなくてはいけない事情を知る。
実はこの猫は殺処分されることが決まっていると。
自分を救ってくれたこの猫を何とか助けたい。
でもシュウタのアパートはペットが飼えない。
一つの生命が消えてしまう。一刻を争う。
そこでこの猫をかわいがってくれていた新しい仕事場の社長にこの猫を飼ってくれ、と懇願したときに返ってきたのがこのコトバだった。
ふと自分の若かりし会社員時代を思い出した。
多くの困難があったが、色々な方の助けもあり、何度も乗り越えてこれた。仕事においても目標達成のために、色々な方の協力を得ながらがむしゃらにやってきた。思い返せばとても充実していた。
はてさて、今の私はどうだろう。
個人事業主になって、新しい世界に飛び込んだ。
慣れない世界は不安しかない。
組織という囲いがなくなり、雨風に直に打たれる。
寒い、凍える、孤独だ。動けない。
一人でがんばらなければという重しが重すぎて、誰かにつかまろうとする。
この辛さから開放されるために、とりあえず何とかしてと。
がむしゃらだったあの頃のように、誰かが助けてくれるに違いない。
そう信じてつかまる手を探すが、それはなかなか見つからない。
こんなに求めているのに。
華やかな世界がある一方で、もがいている人には
なんて冷たい世界なのだろう。
そう思っていたけれど、冒頭のコトバを読んで、
ハッと気づかされることがあった。
シュウタにも私にも、”何とかしようとがんばる”ことが
必要だったのではないかと。
私はいつのまにかそんな情熱をどこかに置き忘れてきてしまった。
この世の中”ガンバラナイ”が流行っているが、
やっぱりガンバルことはある程度必要なのだ。
なりたい姿、ありたい姿があれば、
それに向けて何とかしようとする。
とことん考え、悩み抜く。
それががんばるということであり、
本気の覚悟があってこそ生まれるもの。
覚悟とは、自分との約束を守るということ、
がんばるとは、自分との約束を守るために行動し続けることかと。
自分と約束をするのは、自分にしかできない。
自分との約束を守るのも、自分にしかできない。
だから、人に何とかしてもらおうとすると、
自分との約束ができなくなる。
自分との約束ができない限り、がんばる覚悟が持てない限り、
本当の救いの手は差し伸べられないものなのではない。
きっとそういうもの。
過去を振り返っても、人の助けというのは、
願って得られたことよりも、
どうしようと必死に悩んで何とかしようとしているときに、
不思議とどこからか差し伸べられることが多かった。
だから渦中のときよりも、そこから脱して落ち着いたときに振り返り、おかげさまで助かりました、と後から感謝することが多い。
成功者の後ろには、必ず多くのサポーターがいるものだ。
というわけで
自分との約束を守ると決めて悩み抜け!そうすれば未来が開けるよ。
ふと、そう自分に声をかけたくなった。