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[ KAMOSUBA実行委員会インタビュー] - 02 こうめ 佐々木 紗矢香 - ”おいしい”の理由
『KAMOSUBA 醸場』は、”共同の・共通のレストラン”という意味の“Co-restaurant(コ・レストラン)”です。
「東北の新たな食文化を醸す」この場所を通して、東北の食文化を応援し、醸成するためのきっかけを作っていきたいと考えています。
自己紹介の記事をまだお読みになっていない方は、ぜひ下記よりご覧ください。
KAMOSUBAプロジェクトは、現在は6人の実行委員が中心となって共創し活動しています。
今回は、KAMOSUBAの料理担当としてキュレーションも行う、大人気料理店「こうめ」の佐々木 紗矢香さん(以下:さやかさん)の生い立ちから食にかける思いまでを深掘りしました。
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おいしい。さやかさんの料理は、素材がいちばんおいしい料理だ。濃厚でなめらかでほんのり甘い。このバターナッツかぼちゃのプリンには、その奥の奥にはっきりと、バターナッツかぼちゃの”おいしい”がいる。
さやかさんの生い立ち
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1987年、福島県の川内村で生まれた。
浜通りに位置する、川と山しかないど田舎。
何もないけれど、自然に溢れていて”豊かさ”を象徴するような、そんな場所だった。
コンビニもなかったから、おやつはおばあちゃんの畑で取れた芋とか、きゅうりに味噌をつけただけとか、素材の味がダイレクトに感じられるものばかりだった。
うま味調味料はバカになるから食うな。カップ麺はお湯を入れたらプラスチックが溶ける。そんなお母さんの教えで、ジャンクフードを食べる機会も少なかった。
隣町に一つしかないマクドナルドで、ごくたまにお母さんがハッピーセットを買ってくれると、とっても嬉しかった。
料理人を目指すきっかけ
高校卒業までずっと川内村で暮らした。
早く家を出たいけど貧乏だから大学には行けないかな。田舎の学校なりに勉強を頑張ってきたけれど、勉強を続けるのも嫌だしなぁ。
……そんな時、ふと、妹とのおやつの思い出がよみがえった。
トースターと電子レンジしかない家で、何もわからないなりにホットケーキミックスで作ったおやつ。それを妹がおいしい、おいしいと食べてくれるのが嬉しかった。
「食を通してみんなに喜んでもらいたい。」
進学ではなく就職を選び、作並の旅館の和食料理人としての仕事を得た。
これが、料理人人生の始まりとなった。
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さやかさんを襲った恐怖
旅館での仕事は大変だった。朝から晩まで、毎日300人分以上の料理を作り、休みは月に1、2回。
朝の4時から夜中の2時まで働くこともあった。一緒に入社した同期は1年で半分になり、自身も肌荒れやメンタル不調にも悩まされた。
食を通してみんなに喜んでもらうために就職したはずなのに、旅館で出すのは既製品ばかり。解凍するだけ、切って盛り付けるだけ、そんなものが大半だった。
旅館で出す「だし」は全然おいしくない。けれど、調理師学校を出ていないから、自分で「だし」をとった経験もない。砂糖を入れればいいのか塩を入れればいいのか、何をすればおいしくなるのかが全くわからない。
なんだか急に怖くなった。
このまま10年仕事を続けたとして、料理人歴は10年になるけど、本当にそれででいいのだろうか。
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そんな時、知り合いの親方が一緒に働こうと声をかけてくれた。
娘と同じ年齢だからと、良く面倒を見てくれていた。
しかし、旅館を辞め、親方のもとで再出発をしようとした矢先に会社が倒産。急遽入社した次の店も4ヶ月で倒産……結局、仙台市内のホテルで働き始めた。
新しい職場の和食担当は、先輩と自分の二人だけ。緊急時に自衛隊が宿舎として利用するようなホテルで、思い描いた仕事ができたわけではなかった。3年ほど働いて、退職した。
初めておいしいと思えた”だし”
また親方が声をかけてくれた。
親方と奥さんが営むお店で必死に働き、たくさんのことを学ばせてもらった。
教えてもらったのは「きほんのき」。昆布と鰹節でだしをとるところから始まった。
おいしい。
初めて「だし」をおいしいと思った。既製品ではなく手仕事で、料理を教えてもらえる場所で、料理を楽しいと思えるようになった。
気づけば、自分の手で”おいしい”が作れるようになっていた。
こうめの誕生
料理人を始めて10年。
和食の料理人に女性は少ない。理不尽で厳しい世界だ。
女性一人で和食のお店を出すなんて、夢のまた夢。
将来は自宅でカフェとかできればいいかな……。
そんなことを夫であるムネさんに話したら、ムネさんは何の相談もなくあっさりと退職願を出してしまった。事後報告だ。
じゃあ仕方ない、チャレンジしてみようか。と、お店を作ることにした。
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ムネさんがサービスで、私がシェフ。
お店の名前は愛犬からとって、「こうめ」。
オープン当初は、女性一人でも通いやすい店にしたかったから、アラカルトは全て1000円以下。はらこ飯も980円で出していた。
しかし現実はそう甘くはなかった。1週間お客さんが来ないような時もあった。
それでも食材には一切妥協をしたくないから、魚は毎日仕入れ、野菜は農家さんのところから直接買い付け続けた。
価値を伝える
ある時、ムネさんに「お店はボランティアじゃない。」と言われた。
「安く出したいなら、既製品を使えばいい。けれど生産者さんが心を込めて作ったものを出すなら、その価値に見合った価格をつけなければならない。そうじゃないと、生産者さんたちに失礼だ。」
ハッとした。お腹いっぱいになって、満足して帰ってもらったらそれでいい。そう思っていた。しかし、それではダメだった。
「いいものを伝えたくて料理をしているのに、今のままではお客さんに伝わらない。自分のお店があって、自分でやったことに責任を取れる。やりたいようにやってみよう。」
それからは、吹っ切れたように変わっていった。トライアンドエラーを繰り返しながら、コース料理も出すことにしたり、中華、フレンチ、イタリアン、いろんなお店に行って、食べて学んだりした。
今日一番おいしいものを、一番美味しく食べてもらう。そこに全ての力を注いだ。そうして、徐々に、提供する料理や「こうめ」の考え方に共鳴するお客さんは増えていった。
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生産現場を回るSNSを見て「今までこんな食材知らなかったし、どこで作っているのかもわからなかった。遠いから直接行くことはできないけれど、こうめさんを通じて知り合いになれたみたいで嬉しい。」と言ってくれるお客さんも出てきた。
本当に嬉しい言葉だった。
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こうめの”おいしい”
さやかさんの料理は、とにかくおいしい。
でも、この”おいしい”の中にさやかさんはいない。生産者さんもいない。素材と私との間に、”おいしい”がある。ただそれだけだ。
こうめを通じて本当に素晴らしいものをもっとたくさんの人に伝えたい。それがさやかさんの願いであり、こうめでしか味わえない”おいしい”を生み出す理由でもある。
誰になんと言われようと「どうやったらこの食材を一番おいしく食べられるか?」を追求し続けるさやかさんにしか出せない味がここにある。
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KAMOSUBAにかける思い
「KAMOSUBAには、自分のことはさておいても、みんなに良くなってほしいと願う人が集まっているんです。伊藤社長も、丹野社長も、みんな利益のことを考えているわけではないんです。どうしたらもっと社会が上手く循環していくだろう、そう思っている人たちばかりです。そういう中に自分も声をかけてもらえて、とても嬉しいです。」
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夫婦でさまざまな生産者さんの元へ通い、お酒作りの現場まで行ってしまうこうめのお二人。食材が生まれてから、口に入って、人の体の中でもう一度生きはじめるまでの最高の瞬間を、ぜひみなさんにも味わってほしい。
佐々木 紗矢香(ささき さやか)
定禅寺通り沿いにある料理店、こうめのオーナーシェフ。
福島県川内村出身。趣味はバイク。店名「こうめ」は愛犬の名前から。どんな素材か、どんなところで作っているか、どんな人が作っているかを大事にし、生産現場をまわったり、実際にお手伝いに行ったりしている。
KAMOSUBA学生ライター:中村天海
福島県出身。仙台市在住。"人の幸せとは何か"を考え続ける現役大学生。自然と都市、人と人を食を通じて繋げるというKAMOSUBAの思いに共感し参画。主に生産者・運営メンバーインタビュー記事を担当。