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リクルートと私【連載②】さて44歳リクルートを辞めて

"リクルートの私ではなくリクルートと私"(リクルート社内に伝わる言葉より)

2006年のリクルート入社までのこと。どんな背景をもってリクルートという会社を語ろうとしているのかの為の必要情報に絞ります。

北海道生まれ宮城県育ち。高校卒業後、大学はテキサスの4流大学に英語力ほぼゼロで入り首席卒業(ここはやれば出来る!と人生初めて自信を持てたポイントです)。

大学卒業後、PwCコンサルティング(現IBMビジネスコンサルティングサービス)に入社し2年くらいITコンサル。その後、引きこもり支援のNPOや代官山のプロダクトデザインの会社などに関わるが、続かず。

「米と水と塩にこだわり抜いたおにぎりカフェ」(このDeep Roots Cafe構想は発酵食堂カモシカの原点とは言える構想かも)の計画書を持って回りましたが、色んな先輩達に諭されて、自分の「ちゃんとお金を稼いでいく」スキルの欠如を痛感。

その後、ふらふらしている内に今の奥様(当時の彼女様)に「来月も仕事していなかったら私にも考えがある」と言われて、リクナビに登録。

無事にリクルートとW社の農場主候補に内定。「これからの時代は、お金儲けより農業だと思います」とリクルートを蹴ってW社に行こうとする私をリクルート人事は「まぁ、一回体験に行かせてもらって判断した方がいいよ」と言ってくれました。

W社の農場体験の一週間。その働く人たちとの会話の合わなさ、労働環境のブラックさに辟易として、2日目の夜に宿舎の隅からリクルート人事に電話をして「すみませんでした、リクルートでお仕事させてください」とお伝えしました。

入社後「リクルートに残る格言」のひとつに下記を見つけました。

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リクルート『の』私ではなくリクルート『と』私
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入社前から、リクルートという会社は、「個の尊重」という風土を見せてくれていたのだと思います。青い鳥を追いかける若造の意志も尊重し対等に向き合い、選択を尊重してくれた印象が強く残っています。

そうして、リクルートで3年くらい「お金を稼ぐとは何か」を学ばせて頂こうと入社したのでした。そこから15年が経ちました。

なんでこんなに長くいたんだろう?もしくはいれたんだろう?辞めなかった理由は?そういう自問自答の解答にもなっていくかも。

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カモシカ関
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