負の連鎖と1.01の法則
企業活動にしろ、個人生活にしろ、なにか悪い状況に陥っているとすると、その悪い状況というのは一日でそうなったわけではないのだと思われます。悪い状況は、少しずつ良い状態を侵食していって、気が付いたらどうにもならないような悪い状態になっている、ということなのだと思います。
愛し合って将来を誓った二人が、結婚後、小さなすれ違いを重ねて、3年後には別れることになるなんていうのは、よくある話です。
何気ない言葉が夫婦の会話を減らし、会話が減ったことで二人で楽しむ時間が少しずつ減り、そのうち相手の悪いところが少しずつ見えだしてきて、嫌悪感が徐々に増し、最後は顔を見るのもいやになってしまうという負の連鎖、こういう話はたくさんありますよね。
都心に向かう朝の通勤電車で、お客さん同士のちょっとしたトラブルで、一台の列車が3分遅れると、それが後ろの電車に連鎖を起こします。3分遅れたことで、3分の間に駅のホームに人が溜まり、そうすると各駅での乗降のための時間がいつもより長くなる。すると、3分の遅れが4分になり、その間にさらにホームに溜まる人が増え、遅れが広がる。
まさに負の連鎖ですよね。
私はコンサルタントとして、企業の経営改革などを支援していますが、たくさんの企業の現実的な問題を見せていただくと、ほとんどが、長い時間をかけて小さな負の連鎖が大きな問題を引き起こしているケースであると言うことができます。
1980年代まで、日本のトップ企業は世界でも注目され、世界の企業から目標とされてきました。そして今は、アメリカ発のGAFAに太刀打ちできる日本企業はなかなか現れません。
それどころか、かつて世界で注目されてきた東芝やシャープなどの大手電機メーカーは、今は台湾や中国によって立て直しがされようとしています。
かつての日本企業の成長は、ある意味、労働者の高い意欲とモチベーションに支えられていたのかもしれません。時には長時間労働も苦にしないような個人の強い生きがいと意欲は、日本人の武士道精神とも相まって、ポジティブな連鎖になって日本企業を強くしてきたのだと私は思います。
そして、今、その時代から約30年経って、日本人の生真面目な組織への帰属意識だけを残し、働く意欲とモチベーションが失われていって、苦しい長時間労働だけがクローズアップされるようになっているように思えます。
この30年の間、日本企業の中で起こった負の連鎖とはいったい何なのでしょうか。
1980年代以降、製造業の好景気は続いていきます。製品は作れば売れるという状況で、経営者はいかに効率的に製品ラインナップを充実させ、目先を変えた新製品を出来るだけ早いサイクルで市場に投入することを最大の経営課題と捉えて、組織運営をしていきます。
製品開発の世界では、効果的な製品開発サイクルを構築するため、誰がやっても同じような製品が開発出来ること、できるだけ多くの機種を連続的に早いサイクルで開発するために、一人ひとりの役割を小さくし、流れ作業のような製品開発体制を作り上げます。
大量生産でやってきたことを製品開発に応用して、製品開発の大量生産体制を作り、それによって収益を確保してきたわけです。
このことは、技術者の技術領域を少しずつ小さくしていきました。
また、小さい単位の専門家というカテゴリーを作り出していきました。
そして、技術者は多くのことを知る必要がなくなり、すべてを知らない技術者が、次の世代の技術者を育成する役割を担うため、次の世代の技術者たちは、さらに狭い領域で、また先輩よりも浅い知識だけで仕事をするようになります。
そうやって何世代かが過ぎると、開発者のほとんどが、製品全体のことを知らない技術者の集まりになり、そうなることで、何か小さな問題でも起きた時に、何が原因でどう対処するかがわからない人たちばかりの開発チームになっていくわけです。
さらに、お前はこれさえやっていればいいという仕事のやり方になっていくために、自分で新しいことに挑戦するということが許されず、また、そういう挑戦するという仕事のやり方があることも誰からも教わることなく、工場の流れ作業と同じような開発作業をするうちに、せっかく優秀だった新入社員が、モチベーションの低い開発作業者になっていきます。
ここまでの話で、自分自身のことと思い当たる人もいるのではないでしょうか。
負の連鎖はまた、ポジティブな変化の副作用としても現れてきます。
1980年代に比べれば、会社での仕事環境は格段に良くなっています。
PCの普及、インターネットの普及、IT化による業務システムの改革など、仕事環境だけを見ると見違えるような変革を遂げてきました。
もちろんそれによって業務効率などは確実に上がっているのかもしれません。
しかし、この便利で効率的な仕事環境を得ることと引き換えに、大きな代償も払っているように思います。
人間同士のコミュニケーションを著しく減らし、それが個人のコミュニケーション能力を低下させ、ひいては組織の業務プロセス執行能力も低下させてしまったのではないでしょうか?
隣に座っている同僚とメールで会話するなんていうジョークが、最近ではジョークにもならなくなっています。
かつて職場内のあちこちで聞こえていた大声での電話のやりとりがなくなると、同じ職場の人たち同士でも、あの人って今どんな仕事をしているかがわからなくなって、周囲への関心が減り、それがチームワークを弱くして、結果的に組織の業務効率を押し下げる結果になっていきます。
職場内の同僚や先輩そして上司がどんな仕事をどのようにやっているかが、電子メールやインターネットベースでの仕事のやり方では、周囲に伝わらず、かつて人間コミュニケーションによって、特に意図していたわけでもなく何気に伝わっていた仕事のやり方、周囲の人たちの仕事内容が、断絶されてしまって、会議の場以外は、全員が個人の世界だけで仕事をするようになって、個人の仕事力、そして組織の生産性が結果的に30年前より大きく低下しているということが起きています。
もちろん、単に昔に戻れと言いたいわけではありません。
でも、便利さと引き換えに起こっているこの副作用をきちんと理解している人は、これまで色んな企業とお付き合いさせていただいている中では、かなり少数だと言わざるを得ません。
時代の流れは、良し悪しに関わらず、どんどん進んでいきます。
毎日毎日、ちょっとずつ変化していき、それがあっという間に大きな変化になっていきます。
1.01の法則というのを知っていますか?
1.01の365乗は37.78になり、0.99の365乗は0.0255になります。
毎日、たった1%の進歩をすると一年後には38倍になり、毎日、たった1%退化すると、一年後には100分の3以下に減少してしまうのです。この差はものすごく大きいですよね。
製造業の負の連鎖は、いわば0.99を30年も続けてしまったのですから、実は取り返しがつかないほどの大きな停滞、あるいは退化となっている大問題なのかもしれません。
そして、ここからが大事なのですが、これを改善して以前よりも良い職場環境にしていくためには、魔法のようなツールを使って一日で取り戻すようなことを考えるのではなく、もう一度、正の連鎖を作って、1.01の365乗を続けていくことが大切なのだと私は考えます。
0.99の状況を1.01に変えるだけだと思います。毎日の積み重ねが、正の連鎖になり、それがループすることで、大きな変化を引き起こすことが出来るはずです。
企業活動の中で、0.99を1.01に変えるポイントを見つけるのは、やはり現状をしっかりと見つめることだと思っています。
現場のあちこちに存在する小さな負の連鎖を、自身と組織の思い込みを排除して、客観的にシンプルに捉えることが第一歩です。
ここで一気に解決策を探そうとせずに、まずは、問題の構造を正しく捉えることに専念します。これは、世の中で使われてきた様々な問題解決ツールにも共通するセオリーです。
そして、負の連鎖の構造をしっかりと把握出来たら、その連鎖の大元を見つけます。それは、負の連鎖で起きている多くの悪い症状に共通する根本の原因になっているはずです。
負の連鎖で起きている悪い症状の一つ一つに対策を打つのでなく、この共通の根本原因、つまり負の連鎖の出発点の問題にフォーカスし、そこを正の連鎖に変える方法を考えていきます。
例えば、業務効率化のため分業が進んでいる→個人個人が小さな領域の仕事しかしていない→他の人が何をしているか良く知らない→全体の進捗は一部の人しか知らない→仕事の達成感を感じられない→仕事が楽しくない→会社を辞めたい、というような負の連鎖があったとします。
ここでは、何か会社に落ち度があるわけでなく、業務効率を個人のモチベーションよりも高い優先順位で考えた結果、負の連鎖が起きているということがわかり、これを正の連鎖に変える方法を考えます。
たとえば、この負の連鎖の根本には、全体がわからない人たちが集まって仕事を完成させようとしていることが根本原因で、それが負の連鎖の出発点と仮定してみて、それを打破すると、つまり、全体が何となくでもわかる人たちがたくさんいるチームで仕事をすると、この負の連鎖が正の連鎖に変わるかどうかを、検証してみます。
全体が何となくでもわかる人たちが分業で仕事をする→問題が起こったり、ある人がいないときにお互いにカバーが出来る→仕事を通して他の人の仕事を学べる→達成感を得られる→仕事が楽しい。
さて、どうでしょうか。
もちろん、これをやるためには、さまざまな障害やできない理由がたくさん出てくることが予想されます。
また、一気に上のポジティブな流れに変えるのではなく、上記の流れに少しずつ変えるための毎日の仕事のやり方を考えて行けばいいのです。
制約の理論(TOC)では、この根本原因であり負の連鎖の出発点を制約(ボトルネック)として捉え、そこを解決していきますが、まずは、問題構造を客観的に捉え現状を把握し、次にどう変えるかのゴールを設定し、最後に、ゴールに到達するための実行可能な計画を作っていきます。
組織の制約がうまく特定できると、効果は比較的すぐに表れますが、しかしながら、組織改革は一歩一歩であり、長い間の負の連鎖を正の連鎖に変えて、日々の活動で大きな変革を起こしていきたいと願っています。