#52 理由のない場所と悲しみの味と
イーユン・リー「理由のない場所」読み終わり。
何回か前に書いたがこれは著者の16歳の息子が自殺したという実体験を基にした小説なので非常に重い。全編はその亡くなった息子と著者自身をモデルにした主人公とのダイアローグで構成されていて、リーダビリティは正直低い。
イーユン・リーの作品は、他人や世間による暴力的な侵犯から自分をどう守るかというのが一貫したテーマだと思う。今回は「場所」「空間」というのがキーワードになっている。
人間は、死をはじめとする制御できないものに対して、あらかじめそのための「空間」を用意しておく。墓地であり、仏壇であり、天国や地獄であり。この小説はイーユン・リーが自分のために用意した「空間」なのだろう。
作品内で「中国語から翻訳した詩」を引用する箇所が一番好きだったので、原文とともに以下に載せておく。南宋時代の「醜奴児」という詩らしい。(生まれて初めて漢詩をググった)
「若いときは悲しみの味など知らなかった。
しかし好んで高楼に上った。
私は好んで高楼に上り、
新たな詩を作って、無理に悲しみを装った。
いま私は悲しみの味を知り、
それを語りたいと思うものの、やめておく。
私は語りたいと思うものの、やめておき、
ただ言う。薄寒い日だ。好個の秋なり。」
いま好個の秋?彼が尋ねた。
うん。しかも薄寒い日。
"When young, I knew not the taste of sorrow
But loved to climb the storied towers
I loved to climb the storied towers
To compose a new poem, faking sorrow
Now I have known the taste of sorrow
and want to talk about it, but I refrain
I want to talk about it, but refrain
And say merely: a chilly day, what a fine autumn"
Is it a fine autumn? he asked.
Yes, I said. And a chilly day.
これ、沁みる。
言葉で「悲しい」なんて言えているうちはまだ本当の悲しみを知らなくて、薄寒い秋の日に「いい日だなあ」とだけ言うのが、悲しみの味なのかもしれない。