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朝起きれず、不登校になってしまった娘との話し合いの日々。辛すぎたけど、お互いに理解できた瞬間、親子関係が改善できた!

不安障害や適応障害を起こし、鬱状態だった高校生の娘に、「学校行けそう?」「起きれそう?」「行こうよ」「昼から行く?」「きっと今日は大丈夫だよ」「行かないと、授業遅れちゃうよ」「友達がおいでって言ってたんでしょ?」「テストもあるし、落第しちゃうよ」「成績落ちちゃうよ」などなど、頭では言っちゃいけないって分かってても、将来を心配するがあまり声をかけてしまっていた。💦

寝てないし、食べてないし、笑顔が消えてしまうほどに病んでる娘が行けるわけないのよ。なのに、あの頃は追い込んでたんだ。バカだったわ。

二人で大泣きした日があった。

私は、高校卒業したあとの未来について心配だから、今、やるべきことを話していた。

娘は、今日、学校に行きたくない思いでいっぱいだった。未来についてなんて、一切考えられる状態ではなかった。

私は未来に重点を置いて、今を見ていた。
娘は今の苦しさのせいで、未来のことなど全く考えられなかった。

その違いが、親子関係を悪くしていった。
娘に「ママは分かってくれていない」と思わせていたと思う。

私も、「なんで将来のことを考えないの。あと数年我慢して学校行ったら、その先は、今のお友達と付き合う必要もないし、大学生活は楽しいはず」なんて考えて、我慢を強要しつつあった。

私は50年近く生きてきて、学生時代の数年間なんて人生のうちの短い時間という実感がある。だから、耐えられるし、大したことないと思っていた。

でも、15年しか生きていない娘にとっての数年間は、とてもとても長い期間なんだよね。だから、数年の我慢というのは、永遠に続く拷問のように感じたんだと思う。

その違いが分かって、腑に落ちた。

娘にとって、将来のことなど考えられない。
拷問を生き延びて待っている将来よりも、今、拷問から逃れる道があるなら、そちらを選びたいってことなんだと、腑に落ちた。

そこから、親子関係は少し改善したと思う。

私と娘の考えの違いをお互いに理解し合えたからだと思う。

今を良くしないと、将来のことに目が向くはずがない。

それでも、口元まで出かかった言葉を止めることができなかったこともある。

学校を転校した後の娘は、今の状況が改善したことで、将来のことも考えられるようになった。大学進学のことや部屋の模様替え、将来の夢についてまで話ができるようになった。

少し安心したものの、やっぱり心配は治まらない。
昼夜逆転になることもある。勉強だって不登校以前と比べると、明らかにやってない。

でも、娘に笑顔が戻った。それだけで満足すべきと、口元まで出てくる将来を心配する言葉を何度も押さえつけてる。

過保護、過干渉になりやすい自分を戒めて、娘の人生は娘が選ぶ人生であって、私の人生ではない。

そう!私の人生ではない!

お口チャックして、娘の未来を心配するあまり、今の苦しみを増大させるような発言を慎もうと思う。(今もなお猛省中。)

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