民主党を心に飼う日本人評

評判の悪い民主党政権、勝てない民主党系政党

 民主党政権。世ではめっぽう評判が悪い(特にネット)。特に安倍首相からは「悪夢の民主党政権」というネガキャンをされ、それがしばらく効いていたようにも思える。

 公務員減らしやがって。堤防の予算を削りやがって。内紛しやがって。増税しやがって。民主党が下野して12年が経つ現在ですら、ネットでは当時の政権運営に対する批判(デマを含め)が未だ絶えない。自民党はそもそも構造改革を訴えていたし、民主党以上に公務員削減を打ち出していたし、そもそもそれが悪かったなら自民党に対しても何か言わねばならないのにそちらには何も言ってないのではないかということは横に置きつつ。

 日本では自民党と公明党が連立を組んでいるので、比例票の常に4〜5割をグリップしているため、ほとんどの期間で政権を担っているが、そんな自公政権が下野したことが二度だけある。細川連立政権と、民主党政権(正確には民国社)である。今回は二度目にあたる民主党政権に注目する。

 現在、岸田内閣は裏金問題等相次ぐスキャンダルで窮地に立たされており、自民党の政党支持率も2012年に政権を奪還してから最低水準まで落ち込んでいるが、野党の支持率も伸びてこそはいるものの、野党が分裂していることもあり、自民党に追いつくほどの勢いはない(一部並んでいる調査はあるが)し、国政選挙では連敗を重ねている。

 そこで今回は立憲民主党を支持している私の目線からではあるが、ネットでの炎上の事例や民主党への批判を元に、日本人が民主党政権に何を求めたのか、そしてそれは何故失敗したのかということを少し考察してみたいと思う。

 ※筆者はまだ大学生であり、物心ついた頃には民主党政権末期で、当時のことをあまり覚えていないことをご了承願いたい。

弱者バッシング、炎上

 目に新しいのはイオンシネマの車椅子インフルエンサーの主張である。劇場での鑑賞の際、スタッフに段差があり危ないのだが手伝いをする余裕がないので今後は別の劇場で見てもらった方がいいと言われたことに関して疑義を述べたところ、わがままだとか、従業員の負担を考えろであるとか、従業員に対して無理な要求をするモンスタークレーマーなのではないかということで炎上気味である。

 更に、生活保護叩きの文脈では、生活保護はお荷物だとか、一生懸命働いて手取り10万台よりも生活保護でぬくぬくと過ごしたいとか、真面目に働くと税金という罰金が取られるのに、働かなければ年金という賞金が貰えるのはおかしいのではないかといった声すらある。

個人化される主張

 イオンシネマなら企業が社会的コストとしてそうしたスペースを作る、あるいはそうした対応のマニュアルを作る義務があるということも言えるが、どうも従業員vs障害者という図式に落とし込まれてしまっているのが実情である。

 生活保護ならそのような手取りにしている現在の企業や格差を放置する政治に対して声を上げる必要もあるだろうし、近年の物価高騰を踏まえるならセーフティーネットとして、また社会的コストとして、むしろ給付水準の上昇を要求しても、いつ自分が働けなくなるのかもわからないから生活保護の対象拡大を訴えてもいいぐらいである(負担増とはコインの裏表だが)が、何故か生活保護に支えられる人vs一生懸命働いて「怠け者」を支える人という構図に落とし込まれている。

 だが、車椅子ユーザーや生活保護受給者にわきまえるよう主張をする人々は企業や政府に対してそのような要求をしていないし、冷笑されるか権利の濫用だとかと言われて炎上するまでがセットである。要は社会的コストというものがどうも考慮されず、負担というのが徹底的に個人化されているのである。

 こうした炎上に対して批判的なSNSユーザーの中には、これは日本人は同調圧力の強さであるとか出る杭を打つ文化だという声もあるが、これをムダを嫌う文化(本当に無駄なのかどうかということは置いておいて)と言い換えると何か見えてこないであろうか。

旧民主党と現在の弱者叩きの共通点

 かつて民主党政権は埋蔵金でマニフェストを行うための財源を確保するとした。また、国会議員の定数を削減する、給与を削減する、公共事業を見直す、民営化等々。国会議員や公務員、堤防は無駄の象徴だとされた。更に、子供手当の創設・高校無償化等子供を社会で育てるというリベラルな子育て政策への転換を訴えていた。

 今から考えてみるとかなりチグハグな政策の組み合わせではあるが、当時はこれらが支持され、反政権票の受け皿となり、政権交代に至ったというのが現実である。その後は民主党のリベラルな要素が立憲民主党に、ムダの削減に関しては日本維新の会が引き継いでいると見ていいだろう。野党の分裂の内実はそうしたある種矛盾しながら成立していた民主党の要素が下野後に表面化し、党として分かれたというように見ている。

 しかし、党が分かれるほどの立憲民主党的なリベラルな要素と維新的な新自由主義要素を併せ持つ党が何故支持されていたのかということを考えると、国民が福祉や教育政策等に不満を抱えてはいるが、増税はイヤなので、ムダを許さないという相反した思いを抱いているからと言えないだろうか。最近でも政治家が不祥事を起こすたびに、国会議員は多すぎる、削減しろという主張が聞こえるし、現にそのような主張をしている維新(教育無償化も推進している)が特に関西圏で圧倒的な支持を受けている。

 現在の岸田首相の状況を考えても、全世代型社会保障を推進しているのはいいが、少子化対策を求める世論はあるのに、いざ少子化対策のための支援金制度を創設すると発表した途端、増税メガネ(実際に増税したかは置いておいて)と揶揄されるようになった。

 まあ言いたいことは一つである。民主党は政権運営能力がなかった、政策が一致していなかったなどと批判される。そこでは民主党というものをどうも忌避しているようだが、私たちは増税はイヤだから「ムダ」を批判する、徹底してなくす…というのは結局のところ民主党政権の失敗と同じ轍を踏んでいないか?民主党のそのような悪い部分を私たちは心に持っていないか?ということである。

 私には一方では生活保護「特権」や障害者「特権」なるものを不平等だと批判しながら、他方では議員や公務員を競争させるの(=不平等)を是とするのはどうも矛盾しているように思えてならない。私自身が国会定数削減や国会議員の給与のカット等の政策を支持する傍ら、福祉の充実を支持していた時期もあるからこそ、そういう実感が余計にある。

 もしそこから脱却したいのなら、(積極財政は置いておくとして)給付水準を維持・向上させる代わりに増税から逃げないか、減税をする代わりに病気になるとか、働けなくなるとか、障害を持つかもしれないリスクなどを自らの手で引き受けるという選択をするしかない。増税はイヤ、福祉の切り下げもイヤという今のままではただの駄々っ子でしかない。

 いや、でも、やっぱり民主党ってダメだったじゃんという意見は理解するので支持者として批判する点を下に挙げておく。(興味なければ読まなくても大丈夫です)

では民主党政権の何を誤ったのか?

以下、リベラル的な福祉や教育の充実を行うためには何が必要だったのか、してはならなかったのかを挙げる。

①新自由主義的な行革は失敗であった
②財源論から逃げていた

 ムダを取り除きさえすれば、増税をしなくても福祉を充実させることができるし、公務員や国会定数を減らせば彼らが危機感を持って仕事を遂行し、サービスの質も改善するだろう………

 だが、事業仕分けで捻出できる予算などはたかが知れているし、埋蔵金などどこにもなかった。結局公約の子供手当も実現こそされたが当初の公約に比して尻すぼみ感が否めなかった。

 そして、国会議員の定数を減らしたことで、居眠り議員が減ったと考える人はいまい。1人あたりの有権者数は増え、むしろ当選するためのハードルは高まっているし、マイノリティの意見の吸い上げはできず、むしろ国民と政治の間の距離感は離れてしまっているのではなかろうか。

 政治活動はただでさえいかにだだっ広い選挙区を回れるかという男性優位のマッチョイズム大会と化してしまっていたのに、それが定数削減の影響(人口減の影響もあるが)でそれに拍車をかけてしまっているかもしれない。

 公務員が減ってもサービスは向上するどころか、むしろそれだけ人が減ればサービスの低下や、長時間労働の原因にもなる。

③ガバナンス不全

 末期での党内対立、消費税増税法案での造反の多さ、その後の分裂選挙での結果を見れば言うまでもない。それに比較して自民党はすごい!ガバナンスが効いてる!とは現在の自民党のゴタゴタを見て言う気はないが。(そもそも利益や実益で繋がる自公に対して、野党系は政策や方向性で殴り合っているという現実があるのだが……)
※社会保障の財源確保という観点からは、当初のマニフェストからは食い合わせは悪いが、消費税増税やるべきであったと思っている

④別の党という言い訳

 これは避けるべきである。私は自民党政権は基本的に評価しない立場だが、自民党(最もほとんどの期間で政権を担っていて支持基盤が強固なため分裂しないというのはありそうだが)や公明党がやはり支持があるのは党名を安易に変えない、分裂しないという要素は少なからずあると思う。

 野党が分裂したり党名を変更したりしてしまっていることは、私は理解はするが国民からはあまり理解されるものではないし、それを党名が変わった、今はない政党の話をするなというのはこれから政権を担いたいと考える政党の態度としては、極めて不誠実であると言わざるを得ない。(最近でもこの傾向はある)

立憲民主党は旧民主党からいかに脱皮したか

 それにしても、お前民主系の支持者なのによう民主党の批判をするじゃないかと思われるかもしれないので、現在の立憲民主党の評価できる点を書いておく。

①新自由主義的改革からの脱却

 旧民主党での官僚や政治家への敵視や冷遇はともすれば、競争の激化を志向するものであり、新自由主義、自己責任論の域を出ない。対して立憲民主党はそうした効率性に捉われず、自己責任論や新自由主義との対決を党是としている。更に多様性、人への投資(コンクリートも否定せず)など、対立軸も明確で、比較的一貫した政策を持っている。

②財源論から逃げていない

 明言をしているわけではないが、必ずしも政策実現のための増税を否定しているわけでもない。勿論増税に反対する未だに消費税減税や廃止を訴える議員がいるが………

③ガバナンス強化

 民主党系の野党はどうも選挙に負けるたびに代表を変えるという悪しき慣行があったのだが、近年は2022年の参院選で立憲民主党は敗北したが、泉代表は続投し、党も分裂もせず、最近では支持率も上向いている。与党の敵失という要素は確かにあるが、これは党の顔として泉代表が批判あれどもある程度の期間運営していることで、浸透してきたからであると言えないだろうか。
 また、負け続きではあるが、離党者を2人しか出していない。1人は公認上の都合で会派残留なので、1人しか出していない。(いや、勝てよって話なのはそうなんですが)そうした意味では、立憲民主党のガバナンスはある程度成功していると言っていいと思う。

 これまで、これまでの日本のSNSでの炎上パターンと民主党政権の栄枯盛衰から、日本人のマインドを考察してきた。昨今の政治への期待の薄さは本当に政治家だけのせいなのか、そしてこれからの日本の社会像をどう描くのか、我々には今、大きな宿題が残されている。

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