アサリはなぜ激減したのか? 大阪湾阪南市と伊勢湾明和町の事例について思うこと
(※本稿の内容は実験や測定で裏付けされたものではありません、自分の観察と思考による仮説です。ちゃんとした学者の研究成果は以下が参考になります。h25kouen02higano.pdf)
自分は大阪出身なのですが、和歌山に近い阪南市という大阪平野が尽きて 和泉山脈と茅渟の浦(ちぬのうら)が接する土地で、毎日海を見て過ごしていました。滋賀県に移住してから海が恋しくなり、2010年頃から三重県明和町の松名瀬海岸に毎年潮干狩りに行くようになりました。
初めてこの海岸にたどり着いた時は、50年前の大阪湾を思い出す豊かさでした。
土を掘り返すと黒い汚泥がゴボゴボ言う感じで、いかにも栄養豊富。アサリ達は盛んに足糸を伸ばし絡まり合い「絶対にココを動かないぞ」という強い意志を感じました。(潮干狩り用に撒かれた貝にはこんな事がありません。引っ越す意志まんまんです。)
最初の5年ほどはザクザク獲れたのですが、徐々に生息域が変化して河口から遠い場所から獲れなくなってきました。
コロナ騒ぎの接近禁止で潮干狩りも禁止され、それ以降も資源減少を名目として潮干狩り禁止となっており、現在の状況は分かりませんが、断言してもいいが、資源回復とほど遠い状況と予想しています。
採集圧による資源減少は、生態系の上の方の生き物については当てはまるでしょうが、ピラミッドの下の方の生物には当てはまらないと考えています。
話は50年前に遡ります。
昭和50年頃阪南市の海には、春になると人が押し寄せて潮干狩りを楽しんでいました。
海はまだ遠浅でノリ養殖の竹が立ち並んでいました。磯や砂の下を掘ると、真っ黒な汚泥が出てきてゴボゴボ言っていました。アサリも元気に足糸を伸ばして生息していました。(真っ黒な汚泥は「還元層」というらしく以下還元層と表記します。ゴボゴボは硫化水素の湧き出る様を表現しています。)
ところが昭和52、3年頃には全く採れなくなりました。
今では掘っても掘っても還元層は無く、きれいな砂、もしくはそれも無くなって丸石のゴロゴロする海岸になっています。もちろんアサリなんて見つかりません。かつては海岸に山のようにあった貝殻すら まばらになっています。
ここはもう彼らが住める海では無くなったのだ。
採りすぎたからでは決して無い。今は誰も潮干狩りなんてしないが決して回復しない。近くの海水浴場では潮干狩り用に貝を撒いているので卵は放出されているはずであり、稚貝が居ないなんて事は無い。ここでは成長できないのだ。
なぜか?という事を子供の時からずーーっと考えています。
20年ほど前に考えた自分の中の仮説はこうです。
「栄養塩の低下による植物プランクトンの減少が主たる原因。」
生態学上の「生産」とは植物の光合成に他ならず、他の全ては「消費」に分類される。海の豊かさとは植物プランクトン、中でもケイソウ類の豊かさに他ならない。
植物の生長は窒素・リン・カリを3大要素とし、その他微量元素に規定される。生物で習うリービッヒの最小律というのを覚えてますでしょうか?植物の生長は他の栄養素が十分でも一番少ない栄養素に規定される所までしか育たない。というアレです。
海の豊かさを規定する元素が何かは特定できませんが、微量元素にまで気をくばる必要があります。
気仙沼のカキ養殖で森の源流部に落葉広葉樹を植えて生産量が回復したという有名な事例があります。
森は海の恋人 代表の畠山重篤さんに学ぶ 森が育む海の恵み | めぐりジャパン 広葉樹という事が重要で、日本の山林は戦後盛んに杉を植林しましたが、針葉樹林では流れ出す栄養素が足りないようです。
最近では下水処理のレベルをあえて下げて栄養塩を含む処理水を放流する取り組みを始めたりしているようです。
50年前の阪南市で森に顕著な変化が有った訳ではありませんが、自分が思うのは農業のやり方が変わった事です。
子供の頃の原風景にはまだかろうじて肥だめがあり、田んぼの隅には使い古した畳を積み上げて堆肥化したりしていました。もっと昔の話をすれば入会地から落ち葉などを集めて田んぼに鋤き込んだりしたそうです。とにかく何でもかんでも有機物を田んぼに鋤き込んでいたようで、こういうものも擬似的な森であったと思うのです。
アサリの減少した時期は下水処理場が整備され、化成肥料が普及した時期にあたります。
一応もっともらしい仮説として自分の中で整理していたのですが、アサリの減っていない地域との違いについて上手く説明できず 若干もやもやしたままくすぶっていました。
話は飛びますが、一昨年ニホンバラタナゴの保護活動をしている「きんたい廃校博物館」館長のワークショップに参加する機会がありました。
タナゴというのは湖沼に生息する小さな魚で、貝の中に卵を産み付けて繁殖します。保全のためには貝(ニホンバラタナゴの場合はドブ貝)が生息する事が必須です。
(さらにドブ貝の生育には幼生期にヨシノボリの鰭に付着して生活する事が必要であり、一つの種を保全するためには様々な生物が関わりあっており、生息環境そのものを守る必要があると教えてくれる好事例でもあります。)
この地域のニホンバラタナゴは溜め池に生息しており、かつては溜め池の水を抜いて底をさらえると共に、泥に含まれる有機物を田んぼの肥料に活用する事(池干し・ドビ流し)が行われており、ドブ貝の生息環境が維持されていましたが、今日では行われておらず、ドブ貝の生息数が減少=ニホンバラタナゴの減少に繋がっています。
保全活動の一環でこの池干し(ドビ流し)を実施している中で、山の土を入れたところドブ貝の量が顕著に増えたとの話がありました。
この増加が山の土そのものによるものか、そこに含まれる落ち葉などの栄養塩によるものか尋ねたところ分からないとの事でしたが、土そのものにも何か貝の生息に必要な元素があるのではないかと閃きました。
戦後防災のため、ダムや護岸が作られ土砂の供給量は圧倒的に少なくなりました。当然の帰結として各地で砂浜の消失が問題となっています。
海岸が痩せて生息できるテリトリー自体が少なくなっているのです。
今は「有機的栄養素の不足」と「土に含まれる微量元素の不足」が、アサリ減少の2大原因と考えています。
松名瀬海岸にもどります。
アサリの減少が始まった時期に近くの護岸整備が始まっており、仮説として護岸のコンクリートに含まれるアルカリの影響と、河道の変化により生息域が変化したのか?という事も考えていましたが、今は整備前の土の土手から供給される土そのものにも価値があったのでは?と考えています。
(防災は人命と財産を守る大事な事ですので、無責任な発言ではありますが、思考実験として許容していただければ幸いです。)
護岸前の川ではシジミが良く獲れていたのですが、それも居なくなりました。有機質がスープのようになっていた川の泥も今では珪砂質ばかりが目立つ砂浜のようです。(色もねずみ色から茶色に変化しました)
アサリの保全活動で、海岸に有機肥料を埋めて収穫を回復したという取り組みもあるようです。きれいな世界ではアサリは生息できないのです。
漫画版「風の谷のナウシカ」で世界の浄化を終えた腐海の木々はその役目を終えてきれいな砂になって清浄の地を作りますが、ある意味アサリも浜辺を浄化する役目を終えてしまったのかもしれません。(映画では改変されてしまいましたが、原作では腐海の尽きる場所を生き物の住めない不毛の地として描かれています。きれいな世界では生き物は生きられないという非常に啓示的な表現だと思います。)
だいぶ飛躍してしまいましたが、要点としては現在色々と研究されている原因の他に、土そのものの効用も有るのではないかという提案です。誰か専門の人が研究してくれないですかねー。(ため池の対照実験とかすぐ出来ますよー)
飛躍ついでに もう一つ突飛な事を言いますが、ここ10年ほどの全国的なアサリの減少については生産性が低いため耕作放棄地となった山際の田畑の影響が有るのではないかと考えています。
(航空写真で見る海の変化)
以下の写真は阪南市貝掛の浜と明和町松名瀬浜の航空写真です。
阪南市の歌に歌われた「茅渟の浦」の海の幸も今ではすっかり寂しくなりました。
自分の子供の頃は漁港からリアカーをひいたおばさんが新鮮な魚を売りに来ていました。トロ箱で300円ほどのシャコエビを釜ゆでにして良く食べていましたが、当時は 殻を剥くのが面倒くさく あまり好きではありませんでした。今からすると何ともったいない話・・・