協働的な即興演奏について(私の志向するジャムセッション)
ジャムセッションにおいて、創造的な音というのはどこからやってくるのだろうか?
ジャズというのは(決まったメンバーで決まった曲をコンサートとして演奏する場合を含め)、則ちジャムセッションである。(と私は定義する。)
完コピや所謂書きソロはジャズではないのか、という話はいったん置いておいて。
さて、ジャズ=ジャムセッションにおいて創造的な音を生み出すのは…?という問いに対して、それは自己(各プレイヤー)の内側であると考える人・場合が多いのではなかろうか。
これは発達心理学におけるピアジェの内言→外言の考え方: 人間は思考できるようになってから次に言葉を話すようになる、に似ている。
一方で同じく発達心理学者であるヴィゴツキーは、外言→内言: 他者との会話が先にあり、それが派生したものが思考であるとした。
ところで、教育の世界では、長らく知識・技能が優れた者(教師)が生徒に"教える"という(一斉授業に代表される)形が中心であったが、現在は学習者(生徒)が主語となり自ら"学ぶ"という形に変わりつつある。
この"学び"において重要なあり方のひとつが「協働的な学び」である。
この「協働的な学び」はヴィゴツキーの「社会構成主義」に基づいたものである。
上述の外言→内言の考え方のとおり、学びとは自己の内側よりむしろ外側: 他者との相互作用によって生まれ・促進されるという考え方だ。
これを(これ以外の要素もあるが)「社会構成主義的学習観」と呼ぶ。
これらのことから、ジャズ≒ジャムセッションにおける創造的な音も、他者との協働によってこそ生まれる、という見方ができる。
ところで、"創造的な音"とは何か?これは人によって異なるであろう。
殊更、各人のレベル(即興演奏の技能)に左右されると考えられる。(もちろん技能はまだまだでも、めちゃくちゃいろんな音源やライブを観賞して、自分ではできないけど良しとするものはすごく高度、ということもあり得る。)
この視点によって言い換えれば、今まで出せなかった音、あるいは知らなかった音が"創造的な音"ということになる。
ヴィゴツキーの提唱した概念に「最近接発達領域」(発達の最近接領域/ZPD: Zone of Proximal Development)というものがある。
この"領域"は、"自力で到達できる水準"と"自力では到達できないが他者との協働によれば到達できる水準"との間のことを指す。
そして、学びにおいては課題の難易度を最近接発達領域に設定するのが、最も効果的に成長に繋がる、とされている。
つまり、背伸びすることが重要、というわけである。
(このことを、教育の世界では「足場かけ」や「ジャンプの課題」とも呼ぶ。)
創造的な音(今まで出せなかった音)は最近接発達領域にあり、それは他者との協働により達成されるのである。
では、協働的な即興演奏とはどのようなものを指すのか。
とにかく他者と一緒にアドリブ演奏すればよいのだろうか?
社会構成主義的学習観に基づく協働的な学び(協働学習)はCollaborative learningと呼ばれるものを指すが、似たような形にCooperative learning(協力的な学びや協同学習と訳される)というのがある。
ざっくり説明すると、学習者の集団(セッションでは、ステージに上がっているプレイヤーと考えて欲しい)において、前者では予め役割分担を決めない・教師はほとんど介入せず多くを生徒に任せる(統制が弱い)・正解を設定しないのに対し、後者では役割分担を行う・教師は度々介入する(統制が強い)・正解がある、という違いがある。
どちらが良い悪いというのではないが、一般的には前者はより高い学齢・発達段階、後者は低めの学齢・発達段階に向いていると考えられる。
特に、近年初等中等教育で流行の「探究」学習は前者(協働的な学び/Collaborative learning)との親和性が高いといえる。
ジャズは、ジャムセッションはまさに正解のない探究的な営みである。
このことから、私はヴィゴツキーの社会構成主義に基づいた協働的な即興演奏を志向する。
自らが主催するセッションにおいては、この考え方を主軸として、(ホストである私の意図をも超えて)創造的な音が交わされることを目指している。