ルーツと越境性〜Malika Tirolien (マリカ・ティロリアン) 〜【アーティスト紹介】
お久しぶりです。
だいぶ間が空いてしまいましたが、今回は久しぶりにお気に入りのアーティスト紹介を書きたいと思います!
マリカ・ティロリアンとは
今回ご紹介するのは、カリブ海にあるフランス海外県グアドループ、マリーガラント島出身で、現在はカナダを中心に活動しているアーティスト、マリカ・ティロリアン(Malika Tirolien)です。
Snarky Puppyのリーダーでおなじみのマイケル・リーグが主催するレーベルGroundUP Musicに所属していることからも、耳にしたことのある人は多いのではないでしょうか。
まずはこちらをご覧ください。
筆者が最初に衝撃を受けた公開レコーディング。
Snarky Puppyがゲストボーカルを集めて作ったアルバム、Family Dinnerシリーズからの一曲です。
もう一発でやられました。
この共演を機にマリカはマイケル・リーグとのプロジェクトを増やし、現在ではGroundUPを代表するアーティストの一人となっています。
そして、実は以前にTwitter上で批評家の柳樂光隆さんからこんなリプライを頂いたことがありまして。
このマイケル・リーグにとって理想のシンガーとはどういうなのかと考えたときに、マリカはまさにマイケルの、あるいはGroundUPの理念を体現するアーティストなのではないかと考えたんですよね。
そして、この理念は何か?というと、「ルーツ」と「越境性」という2つのテーマではないかと考えました。
そんなわけで、今回はそんなマリカ・ティロリアンを聴くにあたって、個人的にキーワードになるんじゃないかと思っている「ルーツ」と「越境性」という2つのテーマを中心に書いてみたいと思います。
ルーツ –グアドループ–
マリカのルーツを考えるにあたってまず重要になるのが、出身地であるグアドループになるかと思います。
とはいえ、あんまり日本では馴染みがないところですよね。
そんなわけで、ここから書いてみたいと思います。
カリブ海の島、グアドループ
マリカの出身地、グアドループはカリブ海に位置するフランスの海外県で、ようするに日本でいう沖縄的なところです(雑)
こんなに離れてるけど、フランスの一部で、公用語はフランス語でユーロが使えるし、フランスではバカンスの時期に人気の旅先だったりします。
ちょっと遠いのとリゾートとしては高級な部類に入るので、旅行客は富裕層が多めだとは思いますが。
マリーガラントはそこから少し離れた船でしかいけない離島。
熱帯に属する常夏の島で、本当に美しい海と空が見れます。
グアドループにはミュージシャンとしては、マリカの他にもサックス奏者のジャック・シュバルツ=バルト(ディアンジェロと共演)だったり、パーカッショニストのソニー・トルーペだったりがいます。
「クレオール」
とは言え、島にはその成り立ちからして、フランス本土との違い、かつての植民地・奴隷制の影響が数多く残っています。
それは具体的には、
①住民の90%以上が奴隷制の時代にアフリカから奴隷度して強制的に連れてこられた人々の子孫であり、そこにかつての奴隷主・地主であった少数のヨーロピアンがいて、さらにそこにインド系やアラブ系などの出稼ぎ移民が加わって生まれた文化、
②そうした歴史的な経緯から生まれた現地の言葉=クレオール語、
といったものです。
ここではあまり深入りすることはできませんが、おおまかに言うと、①のような経緯から、グアドループ(そしてお隣のマルティニーク)ではフランス本国との文化的な距離感があり、「私たちのアイデンティティとは何か?」という問題が歴史的に提起され、フランスとは別の国家として独立を望む声も絶えずあげられてきました。そして、こうしたアイデンティティと文化のひとつの拠り所とされたのが②のクレオール語で、詩人や小説家、歌手など多くのアーティストが創作の源泉としています。
Bokanté
実際、マリカもクレオール語の曲を多く書いていて、特にマイケル・リーグとの双頭プロジェクトBokantéではこの面が特に強いです。
さらに、マリカはギイ・ティロリアンというグアドループの大詩人の孫でもあります。
この点を考えると、マリカは歌詞、そしてその言葉に対して、非常に意識的であるように思われます。(今回は歌詞については触れず音楽だけの話にします。もし反響あればがんばるかもです)
ちなみに、実は先ほどの挙げたジャック・シュバルツ=バルトの両親も、スザンヌとアンドレという大作家夫妻だったりします。
マリカとジャックはこの点でも何かシンパシーのようなものがあるかもしれないと考えると面白いですよね。
実際二人はグアドループをテーマにしたコンサートを度々企画し、共演しています。
とはいえ、マリカについて考える時、ルーツに回帰したアーティスト、というだけでは安直と言えるような気がします。
例えばこの曲。
クレオール語の歌詞はもちろん、楽曲面でもグアドループの太鼓グウォカを想起させるパーカッションが全面に押し出されています。
一般的な「ブラック・ミュージック」、つまりアフリカン・アメリカンの音楽は2拍目と4拍目に重心がある構造をしていること多いのですが、この曲の重心は1拍目と3拍目にあり、そのなかでもカリビアン的なグルーヴと言えると思います。
一方で、同時にスチール・ギターが重要な役割を果たしていることにも注目する必要があるでしょう。
スチール・ギターは元々ヨーロッパの船乗りによってギターがハワイに持ち込まれたことを起源にしていて、それがアメリカに渡り、ブルースや特にカントリー・ミュージックで使われるようになった楽器です。
この楽曲ではそんなスチール・ギターがグアドループ的な音楽のなかで使われていて、かつフレーズ自体も、カリブ海の文脈とは違った様相を持っている。そして、さらにそれがカリブ海の音楽を変容させつつ、自身も変容していく。
つまり、同じ熱帯の島の音楽にルーツを持っているようで、実はまったく異なる文脈の音楽が同居し、お互いに変容させあっている。そんな感覚はないでしょうか。
実はグループ名のBokantéはクレオール語で「交流」を意味する言葉で、まさにこうした音楽性を表現しています。
続く楽曲ではだんだんと、より積極的にグアドループ由来の音楽と、様々なルーツの音楽を融合させようとしているように思います。
Zyé Oubè〜はまさに2,4系のグルーヴでありながらカリブ海的で、グルーヴという観点から、カリブ海音楽を変容させてるとは言えないでしょうか。
グアドループとマルティニーク(特に後者)では、旧宗主国のフランスではなく、自分たちの土地を「アメリカス」として、南北アメリカ大陸文化圏として位置づけようという動きもあり、また黒人奴隷の辿ったもうひとつの歴史との再会という意味でも、アフリカン・アメリカンのグルーヴを取り入れるということには、まさに音楽的なメッセージ性があるように思います。
さらに、ポピュラーミュージックとの共演で有名なオランダのMetropole Orkestとの共演では、この意図はさらに拡大、あるいは移動されて、西洋クラシック音楽との関係性の再構築という意味合いがあると言えるようにも思えます。
このようにマリカ(そしてマイケル・リーグ)は、Bokantéの曲それぞれの中で、様々な試みをしているのです。
越境性 –カナダ、ケベック、モントリオール–
一方で、マリカのもうひとつの重要な背景、それは彼女が移民としてカナダ、モントリオールで活動しているということです。
カナダの特異性とは何かということについてですが、まずカナダはカナダ独自の文化だけでなく、地理的な関係、英語圏との隣接性から、アメリカからの影響を色濃く受けています。
さらに、カナダには多くの移民が住んでいるのですが、実はカリブ海出身の人々もそのなかには含まれています。とりわけ、フランス語が公用語のケベック州には、独裁政権から逃れたハイチ出身の人々や、仕事を求めてやってきたグアドループやマルティニークからの人々といった、フランス語話者のカリブ海出身者が多く住んでいます。
このようにケベックはヨーロッパ、特にフランス由来の文化と、様々な移民の文化を受け入れ共存しているという、かなり特異な音楽文化圏を形成しているということが言えます。
そんなケベック州の最大都市モントリオール(カナダでも第二の都市)をマリカは拠点としている、というわけです。
実際、近年のソロでの楽曲では、むしろこの「カナダで生きる移民」という側面が占める比率が大きくなっているように感じます。
メンバーを見ても、近年はカナダで暮らすミュージシャン、特に移民にルーツを持つモントリオールのミュージシャンとの共演に力を入れていることが分かります。
たとえばこの曲では歌詞は主にクレオール語で一部が英語ですが、Bokantéでの楽曲に比べると、サウンド面でも、曲中に繰り広げられるラップでも、よりアメリカ由来の音楽の影響が大きくなっていることが分かります。
あるいはこちら。
ここで演奏されている曲の歌詞はフランス語が中心でコーラスが英語です。カナダは英語と並んでフランス語が公用語であり、前述のとおり特にケベック州はフランス語圏として知られています。
そして音楽的にはカリブとカナダとアメリカからのすべての影響が見受けられる。
あるいは全編英語で歌われるこちらの曲。
こちらの曲では歌のイントネーションにアメリカ英語(あるいはフランスアクセントの英語)というよりも、カナダ英語のフィーリングが含まれているように思います。そして三拍子のリズムにはヨーロッパ的な影響とカリビアン的なグルーヴが一体化しているように思います。
さらにこちらの曲ではフランス語でのラップが中心となっており、中心のグルーヴはアフリカン・アメリカン系の2・4、途中でヨーロッパ的な1・3を挟むかたちになっています。
フランス語でももちろんラップはありますが、いわゆるフレンチラップとは趣が違うし、ケベックのラップともまた少し違うんですよね。
映像ではオリジナル版がなかったのでSnarky Puppyとの共演バージョンですが、雰囲気は伝わるかと思います。ぜひアルバム版も聴いてみてください。
おわりに
というわけで。
このように、マリカは常に文化的な混交を音楽そのもの、その要素のすべてで実践し、自身の、あるいは自分たちの、さらにあるいはすべてのアイデンティティとは何かをつねに問い直し、実践し、答えを更新し続けているのではないでしょうか。
様々な要素が併置されるわけでも、異物同士として衝突するわけでも、ましてやエキゾチックな要素として消費されるのでもない。
自身を取り巻く、そして出会うそすべてが、互いに変容しあい、ひとつの新しい「何か」を生み出していく。
マリカ・ティロリアンの音楽、マイケル・リーグがGroundUPというレーベルで目指していることは、まさにこういう音楽と生のあり方なのではないでしょうか。
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