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こそこそするのが好きなわたし。は、もう限界だ。

例えばnoteを書いているとき。
例えばノートに書いているとき。
例えば絵を描いているとき。
例えば写真を取りに出かけるとき。
例えば趣味の道具を手入れしているとき。

僕はこそこそと誰にも見つからないようにものごとを始めます。

だから、

今僕がこのnoteを書いているというのは僕的にめちゃくちゃ変化のあることなんす。
僕は自分の考え方やセンスを人に見せるという行為はとってもエネルギーのいる行動だと思っているし、同時に怖くも、恥ずかしくも思っているのです。

なもんで、

自分のやってること、やりたいことを周りに発信している人たちのことをよくやるな。。と、斜に構えながらも、ある種、ある意味、というかむしろ、リスペクトの念を抱いてるっす。

例えば、

僕の愛すべき友人2人はそれぞれ絵を書くことと、写真を撮ることが好きなのですが、初めて彼らが作ったものを見た時は僕の感性ではお世辞にも上手いとはいえないクオリティでした。
なんだったら下手とすら思っていました。
主観ですが、おそらく、きっとその感想は大多数の人が彼らの作品をみても同じような感想をもつことだと思います。

しかし、

彼らはやってること、やりたいことをこそこそと隠すようなことはしません。
むしろ周りに発信してしてしまいます。
案の定、彼らの作品を見たほとんどの人は"そのクオリティでよくやるね"的なことを彼らにいうし、"そのクオリティでよくやるね"的な目で彼らを見るっす。
僕だったら、元々、こそこそ気質なのに、勇気を持って外に出した自分をそんな風に言われたら、めちゃくちゃに凹んでしまうんだろうなぁと思います。

しかも、

彼らは自分が下手なのを自覚している。
なんと自覚しているのです。
すごい。
すごすぎる。
自分に自覚がある方がむしろリスペクトしてしまう。
彼らは人に批評されるのが怖くないのだろうか?
こんなことをしても無意味だと感じないのだろうか?
人と比べて自分はセンスないなぁ。。とか感じないのだろうか?
それでも自分の作品に自信を持っているのだろうか?
僕にはわからない。
わからないからすごすぎる。

なんで?

と、彼らのうち写真好きの方に聞いてみたっす。
失礼。
彼はカメラマンと名乗っているので、その呼び方がふさわしいっすね。
やはり彼は自分が下手だったことを自覚していました。
他の上手なカメラマンと自分を比べちゃうんだって。
そして、やっぱり上手い人をみると自分との差に凹んでしまうらしい。
なので上手い人のSNSとかは見ないようにしているとのこと。
やっぱりすごい。
僕の予想では凹まない鋼のメンタルを持っているのだと思っていたが、そうではなかった。
でも、まぁ、ハートが強いのは絶対にそうなんすけども。

どうして?

続けられれるの?と続けて質問してみた。
すると彼は即答で、
"仕事も人間関係も全てが不器用な僕だけど、旅行に行った時にみんなの集合写真を撮ったんだ。そうしたらみんなが喜んでくれた。こんな僕でも誰かを笑顔にできるんだ!ってすごく感動したよ。"
だからだってさ。
"あっ、あと、上達しているって実感もすごくあるからね。"
と答えてくれた。
"今はカメラマンとしてのプライドもあるし。"
うーん。。。
僕は今も彼の言葉にすごく感動をしている。

彼は、

カメラマンである。
僕も写真が好きだ。
でも僕はカメラマンではない。
この差はなんだろう?
僕だってカメラマンになれるのであればなりたかった。
いや、僕はカメラマンになれなかった。のではなく、なろうとしていなかったのだ。
国家資格でカメラマンってのがあるわけではないので、
"わたしはカメラマンだ!写真取れます!お仕事お受けします!"
って名乗ったらカメラマンになれるのだ。
どの程度の意識、技術をもってしてカメラマンとするかという議論はここではしないものとしたいっす。

実際に、

彼はカメラマンとして活動をしている。
撮影依頼もちゃんと彼ももとへやってくる。
それはカメラマンと名乗り続けているから。
ちゃんと自分のことをカメラマンとして発信しつづけているからだ。
そして彼に実感があるように作品のクオリティは、ものすごく高くなったと僕も思う。
きっと、カメラマンとして名乗り続けていなければ、こんなに上達することはなかっただろうなと勝手に思う。

僕ってやつは、

本当は彼らが羨ましいのだ。
クオリティや結果、今の自分の状態を恥ずかしがらずにビビらずに、やりたいことを発信できる彼らが羨ましいのだと思う。
"羨ましいのなら同じようにすればよいじゃない!"
そうなんす。
本当にただそれだけのことなんす。
なのだけれどもなかなかできない。
人間すぐにはなかなか変われないものなんす。

とはいうものの、

もう限界だ。
もう、一回、自分の気持ちに気がついてしまいました。
僕は彼らが羨ましいのだ。
きっと僕も僕のことをみんなに知ってもらいたいのだ。
何をやるときも、こそこそとせずにみんなに見られても構わない人になりたいのだ。
もっといえば、自分のやっていること、やりたいことを僕だけでなく、みんなにも知ってもらいたいと思っちゃったのだ。

そして、

こそこそしてたってこの先なんも変わらないと。
こそこそするには時間がかかる。
最初に隠れなきゃだめだからだ。
そして誰かに見つかったら一旦中止しなければならない。
そしてまた隠れることから始める。
そんなんじゃ時間がかかりすぎる。
年をとるたびに時間の流れを早く感じます。
早い時間の流れの中で、こそこそすることはもう限界にきていると僕は感じています。

僕以外の人も、

もしかしたら僕と同じようなタイプの人もいるかもしれない。
彼らに対して僕と同じようなことを思うタイプの人もいるかもしれない。
今このnoteを見てくれている人は、こそこそすることに限界を感じてないっすか?
僕は感じてしまいました。
だったらしょうがないっす。
こそこそが好きでもしょうがないっす。
みんなに見られるのが嫌いでもしょうがないっす。
僕は僕をみんなに知ってもらえるようにゆっくりとでも少しづつでも発信していいなーと。
そんでもって、もしも、これを見ている人も同じような感覚をもってたとしたら、その人ももっと自分のことを誰かに知ってもらえたらいいなーと。

そんなことを思いながら書いたnoteでした。

ここまで読んでくれてありがとうございます!
心からさんきゅっす!!


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