7月13日のお話
2020年7月13日
木戸山コンノが訪れているのは、都内某所の美術館でした。外出自粛が続き来場者が伸びないアート分野の、新たな取り組みを発信する企画の取材です。この企画の発案は二つ下の後輩、皆塚カリノですが、企画が通った途端、風邪をひき発熱し出社停止になるという不遇に見舞われ、ピンチヒッターとして担当することになりました。
ほんと、カリノちゃんってそういうところあるのよね。
自分と違い、芸術分野に並々ならぬ愛着がある彼女は、最近は公私関係なくこの業界に精通し、精力的に活動していました。メディア系の仕事は3社目だと言っていましたが、そろそろ独立してしまうんじゃないかな、などと周囲に思わせるほど活躍しています。
そんな彼女ならではの企画になるだろう、とコンノは内心楽しみにしていたのに、よりにもよって社会課題系の記事を得意とする自分に回ってくるとは…。アサインされた時、コンノは心の中で苦虫を潰したような顔をしました。しかも今回の企画は芸術の作家へのインタビューではなく、芸術を見せる側の、美術館職員へのインタビューとのこと。質問事項や記事の内容は彼女が考えて事前に送ってくれているものの、彼女ほどの熱量で記事を仕上げられる気がしません。
この業界が長いコンノです。ピンチヒッターをすることは慣れていますが、起案者の思いが強いこのような企画はダメです。経験上、起案者がやったほうが絶対にうまくいくと第六感が警笛を鳴らしています。お前はやるなと。そう言うわけで、どう考えても良い結果になる気が起きず、急遽当日になってオンラインでカリノも繋ぐことにしました。
カリノは出社停止ではありますが、感染症のいろいろが無ければ、普通に出社できているレベルの微熱です。美術館自体の撮影などもあり、完全にオンラインで取材することはできませんが、現地に自分がアシスタントで訪問し、インタビューを彼女にやってもらうくらいなら大丈夫だろうと判断したコンノは、あえて当日の朝に、急遽と言う形で依頼しました。
真面目なカリノは、電話口で「でも、会社の指示は…」と躊躇していましたが、躊躇しているはずの彼女の声色は驚くほど明るく、その発言が完全に建前であることをコンノは即座に見抜きます。
「いいのよ、先輩命令。私が部長には言っておくから。」
そういう経緯があり、今、都内某所の美術館にはコンノが訪れています。そして、通された学芸員室の応接ソファに腰を下ろすと、すぐにパソコンを立ち上げてZOOMでカリノを呼び出しました。
取材相手が扉を開けて顔をのぞかせた時には、コンノと画面の中のカリノが「初めまして」と挨拶をします。
今日の取材相手は片桐カイネ。カリノやコンノと同世代にも関わらず、この規模の美術館の企画を任されている新進気鋭の職員(カリノ情報)です。
カイネは「いまどきですね!ハイブリットな感じが、ええ。」と面白がっています。「私が目指すのも、そういう、オンラインとオフラインを混ぜ合わせた美術館の楽しみ方なんです。」どっちか、とかそういう議論は、少し違うんやろうなぁと思うんです。
そう言う彼女は、少しだけ西の訛りを感じさせるイントネーションが特徴的で、企画の尖り方と穏やかな喋り方が対照的で魅力のある人物でした。
彼女の今回の企画は、美術館に来場出来ない(しにくい)人々に向けて、オンライン閲覧チケットを販売するというものです。オンライン閲覧といっても…と、カイネは補足します。
「単にWEB上で絵画を掲載するということとは違います。逆に、WEB上では”ちゃんと正面から見る”ということは出来ひんのです。」
正面から見たいんやったら、美術館に来てもらいたいんです。まぁ、来てくれなくても、インターネットを検索すれば、写真なんていくらでも出てきます。
「Google先生が見してくれるんやったら、美術館のWEBサイトにおんなじものを掲載する意味、ないやろっ。て思いませんか。」
カイネは、そういうと、今回の企画展のフライヤーを机の上に出してくれました。すでに駅などではポスターとして掲載されており、見たことがあるものです。それを、改めて手に取ると、今彼女が説明したことがうまく表現されています。
おもて面は、美術館でその絵を正面から見たような写真。うら面を返すと、その絵を下からあおるように見た角度の写真が掲載されています。なるほど、実際の美術館でこのあおるような角度で作品を見ようとすると、床にべったりと寝そべらないと難しそうです。他にも、どうやって撮影したのかも不思議ですが、額縁の真横から絵を眺めたようなカットもあります。美術館の壁にかかっている絵なら、自分が半分壁にめり込まないとこのアングルにはなりません。
「なるほど、だから、キャッチコピーが『絵画は立体的だと知っていましたか?』なんですね。」
ZOOM画面の向こうで、しきりに感心しながら質問をしているカリノの声が、どんどん興奮していきます。横で議事録を取っているコンノがそんな彼女を見て、これはカリノの熱をあげてしまうのではないかと心配になるくらい、彼女はカイネの企画に夢中になっています。
「そうです。絵は、キャンバスが真っ平らではないので、意外とボコボコなんですよ。油絵はなおさらやから、もっと変わった表情で見えるんです。」
この後の取材で、カイネは繰り返し何度も「見るということの可能性を広げたい」と話していました。誰と見るか、どこから見るか、何を見ようとするか、いつ見るか。「”見る”を多面的に捉えられたら、その先にようやく、見ようとせずに見えるものが見えてくるんやと思うんです。」
そう語るカイネの瞳は妙に澄んでいて、コンノは思わずどきりとしました。この瞳の様子は、オンライン取材じゃ感じ取れないだろうな、と感じると共に、カリノには、やっぱり直に会って欲しかったと改めて思いました。
取材時間もあっという間にすぎ、終了のお礼とともにコンノはパソコンを閉じました。
「本当にありがとうございました。今度は、ぜひ、皆塚も連れてきます。」
そう言いながら、コンノは彼女の執務机の上に、大きなほおずきが生けられていることに話題を向けました。「素敵ですね。そういえば、お盆、ですか。」
こういう取材後の会話が、醍醐味なのだ。コンノはそんなことを思い、世間話のつもりでそう言いました。
カリノには後から報告してあげよう。などとも考えています。「片桐さんの執務机にはほおずきが飾ってあってね、お盆などの文化も大切にする人柄なのよね。」と。コンノがそう思ってカバンを持って立ち上がった時、カイネはキョトンとした顔を見せて首を傾げました。
「お盆…。」
あれ?何か違ったかな?とコンノが不安にかられたとき、彼女は「あぁ」と思いついたように声を上げるっと「関東では、7月なんでしたね」と言いました。
「私の育った、西日本では、お盆は8月なので、すみません。」ぺこりと頭を下げる彼女に、コンノは慌てて謝らないでくださいと頭を下げ、結果的に二人で何度もペコペコと頭を下げあうような状況になりました。
そんな様子に自分たちでおかしくなり、ふふっと笑あいったところで、「あれ、ということは。」とコンノが、ふと思いつきました。
「片桐さん、そうしたら片桐さんは、ご先祖様を迎えるわけではなく、飾っていらっしゃるのですか。このほおずきを。」そう確認すると、少し気まずそうに彼女は「ええ」とうなづきます。
だったら。
「だったら片桐さん、今日、お盆の送り火の日ですから、このほおずきに一言、ご自由にお宿くださいって話しかけてから帰られてください。」
おやどり?ください?
首をかしげるカイネに、コンノはこう説明します。
「ほおずきは、故人が戻ってくる道しるべという提灯の役割と、入れ物を持たない故人の魂を宿すものという役割があります。」
昔は各家庭がそれぞれ、迎え火を焚きながら、庭先や仏壇に宿ることのできるほおずきを飾っていたものですが、最近はそういうことをする家庭も減ってしまいました。そのため、お盆だからと戻ってきた魂たちが、宿る場所がなく”日帰り”であの世に帰らなければならない状況が起きているんです。
だから、迎える故人よりも多い数の実をつけているほおずきを飾る時は、余ったほおずきに故人以外の魂も宿れるように許可を与えておくのだそうです。
「そうすると、故人の隣人や所縁のある宿無しの個人が宿にすることができ、3日間、ちゃんと滞在できるんですよ。人助けだと思ってやってみてください。」
そこまで、一気に説明したコンノに、カイネは呆気にとられていました。先ほどの取材の時はアシスタントのような振る舞いで、皆塚さんのフォローをする口数の少ない人だと思っていたので無理もありません。
へぇ、と感心した後で、ほおずきを見るとカイネは面白いことを聞いたというような表情で、コンノに向き直って聞きました。
「木戸山さんは、その話、どこで聞きはったんですか。」
まるで、ちょっとその辺りで、神様たちが「最近の課題」などと話しているんを小耳に挟んだような言い方をしはるんですね、面白い。
そう言われて、コンノはハッと口を抑えました。その様子にカイネは再びふふっと微笑んで言いました。
「そういう世界、好きです。人助けになるんやったら、ご自由にお宿ください。」
これでいいです?と先ほどよりも幼い笑顔で笑うと、カイネはほおずきの実をつついて揺らしました。
「こんなに簡単に人助けができるんやったら、毎年、ほおずき飾りたくなりますね。」
そう言う彼女の優しい訛りのある言葉を聞いて、コンノは「やっぱりカリノはこの場にいるべきだったのに。」と思いました。
今度は取材ではなく、同世代の女子会でもしたいなと言うのは、カリノをもう一度連れてきてからにしよう。そう思いながら、コンノは帰路につきました。今日は神社を通り抜ける道を通って帰ろう。彼女はいつの間にか、そんなことも考えていました。
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