7月12日のお話
これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。
今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。
4202年7月12日
太陽が昇らなかった日から、一ヶ月があっという間に過ぎたこの日。不安を抱えていた人々をあざ笑うかのように、世界は新たな不安を携えて人間たちに襲いかかってきました。
赤道付近の国で異常気象が続いている。
その異変がまことしやかに囁かれだしたのは、今から一週間ほど前でした。赤道付近の国(亜熱帯の気候であることが多く、産業は海洋発電と観光業が中心。国家としては大きく3つ存在し、いずれも植民地の歴史が長かったことが特徴)で、時期外れの大雨が続き、一つの国で厳戒体制が取られたというニュースが伝えられました。
あの日以来、リゾートに出ていたような人は少なくなったとはいえ、そろそろ不安を紛らわせるために国外に出たいと考えていた他の国々の人は「こんな時に嫌ね。」と眉をひそめ、旅行の予定を渋々キャンセルし始めていました。
しかし、その大雨が一週間も続き、一番リゾート地として栄えていた国の国土の三分の一が洪水で水没したという惨状が世界を駆け巡ったあたりから、人々は言いようもない不安を感じるようになったのです。
太陽が昇らない日の次は、晴れない日のお出ましか。
世界はどうなってしまうのだろう。人工太陽が出来ても、国土そのものがなくなるような災害がいつ来るかわからない時代。何を持って、安寧だと言えるのだろう。
一人の不安は電子情報となって世界を一瞬で包み込み、共感と共鳴をうみ、不安が共振しだすと大きな魔物のようにそれぞれの心の隙間に居座るようになりました。
そんな世界の、ほぼ中心にある新都心の街中で、カリノは大学の後輩カリンと待ち合わせをしていました。大学時代、メディア研究会で一緒だった彼女とは、「先輩、名前、似てますね!」と馴れ馴れしく接して来られた時から妙な付き合いが続いています。彼女はアナウンサー志望で、すらりと背が高く美人系の顔つきだったため、学内でも男性から人気のある明るい娘。対してカリノは、どちらかというと原稿や台本を作ったり、企画を考えたりとプロデュース役が多くおしゃれにあまり興味のない裏方気質。相反するからこそ衝突しなかったのだろうと思う反面、カリノは彼女と出会った頃から、ビジュアルが良かったり、能力のある他者を、「商品」として扱う感覚が磨かれていったような気がしていました。
だからたまに、カリノは冗談半分でこう言います。
「今の私があるのは、あの頃カリンちゃんに会ったおかげ。」
カリンはその真意には気づいていませんが、そうやっていってくれる同性の先輩は少ないのでしょう。卒業後も、事あるごとに、カリノに連絡をよこしていました。今回も、待ち合わせをするようになったのは、カリンからの呼び出しからです。
「先輩ぃー。」
いつもは自信と華やかさを振りまいている彼女ですが、会うなりしおれたバラのように首をもたげ、カリノに絡みついてきます。男性に振られた時でも、ここまで落ち込んでいなかったカリンの憔悴さに、ただ事ではないなとカリノは思いました。そして、あいつも呼んでおいて良かった。と自分の機転の良さに感心しました。
機転というよりは、虫の知らせってやつの方かしら。
待ち合わせをしたホテルのラウンジに、もう一人、カリノが呼び出した人間が現れるのを待ち、カリノは個室を予約をしておいたカフェに向かって移動しました。
道中で、カリンに対して紹介をします。この人は、ヒイズ。コトダマ派の魔法使い。このご時世で、売れっ子になっちゃって、とても多忙なところを無理に時間をあけてもらったの。可愛い後輩、カリンちゃんのためだから。と添えると、少しだけ、カリンの顔がほころびます。しかし、いつもの花びらが舞うような輝く笑顔には程遠い様子です。
これはこれは。本当に発症してるかも。
最近急に流行病として出てきた、あの病である可能性があると、カリノは直感的に思いました。それは、医科学的には全く問題はないのに、さまざまな不調を訴え、しだいに生きることが困難になってしまう恐ろしい病です。ウイルスや細菌が見つかるわけではないので治療薬も作られず、人々はおのずと、あの太陽が昇らなかった6月5日のことを思い出しました。そうしてこの病の原因を、あの日に求めるかのように、この病をこう呼ぶのです。
不登光症候群。
彼女がもしそうだとしたら、ヒイズが治療には適任です。この不登光症候群を治せると言われているのは、ヒイズが属するコトダマ派の魔法使いだと言われているのです。
そうじゃなかったとしても、コトダマ派の魔法使いというのは、言葉を巧みに操って、人の気持ちを前向きにさせる魔法を得意とします。何れにしても、カリンにはヒイズが良いだろうという事で、彼をこの場に呼んでおいたのでした。
カリノは、「私は入らない方が良いから」と、予約しておいた個室に二人を案内すると、個室から少し離れたオープン席につくと、持ってきておいた本を広げてコーヒーを頼みます。半地下になっているカフェのようで、窓の外はちょうどホテルの並びの通りの地面になっています。外から、カフェの中を見た事ないと思っていましたが、この目線になるのであれば、外からは見えない角度でしょう。中からも、外を歩く人の顔までは見えません。人々の足と、地面だけが視界に入る。これはこれで、外の喧騒をうまく遮断できる良い設計かもしれません。
コーヒーが運ばれてきたところで、今日中に読んでおきたい本に視線を落とします。カリノが持っている本のタイトルは、「サービスの向こう側」という本です。仕事柄、富裕層を相手にすることが多く、カリノには常に上質なサービスを提供する必要がありました。たまに、このサービスマンは素晴らしい、という人物を知ると、その人物の著書や修行のノウハウを調べては、自分のサービスに取り入れる。そういう努力も怠らないのが、カリノの仕事の秘訣でした。
裏返すと、カリノはこういう本に触れ、自分よりも上質なものに出会い続けていないと、自分を保つことができない弱さを孕んでいました。カリノは自分の判断力を信じていません。否、自分の判断力は、放っておくと必ず鈍くなると信じているのです。だから、定期的に「正しい」と基準にできる外部情報を取り入れて自分の軸をチューンナップします。ギターの調弦、ピアノの調律のようなものです。それを怠ると、どんなに演奏技術がよくても、良い音楽を奏でることができないように、カリノも、どんなに仕事をしても満足する仕事だと思え無くなります。
もっと簡単に生きられたら良いのに、と思うこともありますが、まぁこうして生きてきたんだから、しばらくこの調子で生きるしかないんだろうなと諦めていたりもするのでした。
本も間も無く読み終わるという頃。いつの間にか、外は日が暮れて夜になり、大雨でも通り過ぎたのでしょうか。地面には大きな水溜りが点在し、人々は傘をさしていました。
もう3時間ほど経っているようです。長くかかっているな、と思った頃、個室からカリンが少し明るい顔になって出てきました。少し、慌てているようでもあります。
「先輩!ありがとうございました!」
カリンはカリノを認めると、駆け寄るなり大げさに頭を下げて言いました。どうやら、無事、前向きな気持ちになれたようです。笑顔がいつもの様子を取り戻していることに安堵し、どうだった?と聞こうとした瞬間、その言葉を遮るように、カリンは早口に言いました。
「あの、ごめんなさい。すぐ行かなきゃいけなくて。本当は行くつもりなかったんですが、話していたら、行かなきゃって思えてきて。仕事。仕事なんです、この後。」
また、またれんらくします!と振り返りながら手を振るカリンを、あっけにとられたように見送ると、カリノはのんびりと個室から出てくるヒイズに席を進めました。
「紅茶かしら」
フゥッとため息をついて腰掛けるヒイズに、そう確認すると、カリノは本を閉じてテキパキとウエイターへオーダーをします。
「どうだった?彼女。」
守秘義務だから、とどうせ詳細は語らないとは知りつつも、疲れた様子のヒイズにカリノは声をかけました。
「彼女は、不登光症候群ではなかったよ。」
守秘義務だから、と言いながら、ヒイズは差し支えのないところだけをかいつまむように話し出しました。それは、後ほど、カリンからカリノに報告されるような感じのことだけを取り出しているような具合です。
彼女は、自分の強みがわからず何をするにも億劫になってしまうという状態だったようです。カリノも確かにそう聞いていました。その「億劫になる」というのが不登光症候群の兆しではないかと、心配したのです。ところがコトダマをかけていくと、どうも、様子が変わってきます。わからない…と言いながら、彼女自身はとても優秀で、自分自身の強みも認識していて成功体験も豊富で自信もある。症候群にかかってしまった人は、それらが無いもしくは気づいていない人が多いのです。
ではどういうことなのかと、コトダマを深めていくと、ヒイズはあることにたどり着きました。それは、彼女がひと月ほど前に起こしてしまった失敗に対し、職場の周囲の人から攻撃的な批判を受けてしまっていることに起因する、反転現象が起きていると。
「反転、現象?」
初めて聞く言葉に、カリノは首をかしげます。
「そう。自分が得意だ、正しい、と思っている事柄に対して、複数の方面から連続して攻撃を受けると、その攻撃が重荷になって、覆い隠してしまうんだ。いや、覆い隠すというより、自分の強みを”光の当たる地上”から、みんなの”視線を避けられる地下”に反転させてしまう、という方が現象としては正しいかな。」
ヒイズはそういうと、窓の外を指して「ほら、あんな感じ」と続けました。
あんな感じ、と言われた指の先には、通りを歩く女性の足と、水溜りに反射して、”逆さま”になった彼女の全身の様子が見えました。彼女がピンク色の傘をさしていることは、カリノたちの位置からは見えません。しかし、反射した水が鏡のように反転して彼女の様子を映していることで、あの足だけの女性の全身が見えています。
「まっすぐ立って歩く姿が強みだとすると、水に映ってが反転して見えるのが地下に隠してしまっている様子。そして、彼女のさっきまでの状態が、僕らの視界ってこと。僕らからは、彼女がまっすぐ天に向かってピンク色の傘を掲げている様子が見えないように、彼女自身、自分が見えなくなってしまっていたんだよね。」
この反転現象は、日頃から、背筋を伸ばして顔をあげている人ほど重症になりやすいのだと、ヒイズは付け加えました。上を見ている人は、反転してしまうと、本当の自分から顔を背けた風になるだろ。と。
「へぇ。なるほどねぇー」
わかったような、わからないような。カリノは少し煙に巻かれたような感じで返事をしました。でもまぁ、原因がわかったということで、ヒイズが彼女の反転した自信を、きっとどうにかして元に戻しってくれたのだろう。と、カリノは語られなかった部分を想像して、ふむふむとうなづきました。
「でも、不登光症候群じゃなかったってことは、よかったわ。カリンちゃんまで、あの太陽の不安に取り憑かれていたとかなると、ちょっといやだもの。」
カリノは偏見だとは思いつつ、自分の周りでは不登光症候群になるような人はいない、と信じたい気持ちがあるのでしょう。カリノがそういったところに、ヒイズが「うーん」と腕を組みました。そして、少しだけ言いにくそうにしながら、口を開きます。
「まぁ、そうなんだけど、多分、彼女の周りの人たちが、不登光症候群なんじゃないかって思うんだよね。」
「…え?」
何を不吉なことを、というように、カリノが聞き返します。
「彼女を攻撃してしまった人たち、その人たちも、あの日がなければ、攻撃的ではなかったように想像しているんだ。だって、彼女は同じ職場にいながら、このひと月で急激に攻撃を受けたのだよ。」
もしくは、攻撃の度合いが目立つようになったとか、彼女を追い込むまで歯止めが効かなくなる人がいたとか。
「つまり、不登光症候群っていうのは、罹患したその人だけではなくて、その周囲の人まで、様々な不具合に巻き込む病だってことだね。」
淡々と分析するヒイズの言葉に、カリノは明らかに不快そうに眉をひそめます。不快。カリノは明らかにそう感じました。自分は不登光症候群にはならない、そう自信があったからこそ、日々強くビジネスに邁進できているというのがカリノの現状です。それが、自分は大丈夫でも、罹患した人々に囲まれると、他の不具合に繋がるという事実は、(対処方法が自分起因の方法だけではまかなえないため)非常に受け入れ難いものだからです。
「いやな、世の中になったわね。」
自分の不快さを抑えきれず、そう口をついたカリノの言葉を一瞥して、ヒイズは言いました。
「人は誰かと関わることで、自分という存在を維持している生き物だから。自分だけが”綺麗な生き方”をしていても、誰かと比較しないと本当に綺麗かどうか、いつかわからなくなると思うよ。」
その言葉に、カリノは思わず、手の中の本に視線を落とします。
「カリノがいうように、いやな世の中になっちゃったんだ。」
ヒイズは少しだけ悲しそうな目をして、再び窓の外に視線を移しました。
「周りの人が幸せにならないと、本当に幸せになれないから。世の中の人を一人でも多く、前向きにしないといけないなと思うよ。つくづくね。」
先ほど見た、地上のものや光を反射する綺麗な水溜りは、今では泥をはねたように暴れまわっています。窓の外は、雨が再び強くなっていました。