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11月2日のお話

これは私たちが暮らす世界とは少し違う世界のお話です。風景や生き物、人間と呼ばれる種族がいることなど、その世界は私たちの世界ととてもよく似ていますが、彼らは何度かの突然変異と文明の入れ替えを経た長い歴史を持っています。

今は一部の人が魔法を使い、多くの人が科学技術を使う時代。人間の居住区にだけ都会の街並みと自然が共存し、その他の大地は荒れ果てている。そんな世界のお話です。

4202年11月2日

「この仕事、またクリスティン女史だったのか。推薦者。」

太陽が昇らなかった日から、5ヶ月があっという間に過ぎようとしたこの日。コーディネーターのカリノからの仕事を終え、依頼の資料に改めて目を通していたヒイズは、仕事を紹介してくれた推薦者欄にある署名を見て、そう呟きました。

クリスティン女史というのは、新都心の若手政治家 兼 児童福祉施設の経営者です。特に子供の心の不具合に向き合う専門家で、課題のある子を見出しては、親や周囲の人々に働きかけて環境改善や必要に応じて保護を行う活動で有名になっていました。

「そう言う仕事をしているからじゃない?」

珍しく推薦者欄に目を止めるヒイズのことを不思議に思いながら、カリノはヒイズから報告書を受け取りながら言いました。

「あ、今日、この後、クリスティン先生、来られるみたいよ。挨拶する?」

カリノにしてみれば推薦者は大切なネットワークです。幾らかのキックバックは支払いますが、クチコミでの新規開拓が一番信頼される世の中で、推薦してくれる人がいるのはビジネス上とてもありがたいことでした。

「そうだなぁ。」

ヒイズは少し億劫そうな返事をしながらも、何かを思案するように黙り込むと、ふむ、とうなづきながら「会っとくかな」と言いました。

「ヒイズが営業協力してくれるなんて、珍しいわね。」

こう言うことは面倒だから、とカリノに任せきりだったヒイズのその態度に、カリノは満更でもなさそうに微笑みました。

しかし、その先にあったヒイズの顔は、そう言うノリではなく少し深刻そうな皺が眉間に刻まれています。カリノは「あら?」と心の中で首を傾げ、何かあったのかな、とヒイズから手渡されたばかりの報告書に目を落としました。

太陽がのぼらなかった日を境に、なんとなく不安でモヤモヤを抱えてしまう病が流行り出したこの数ヶ月。その病に「不登光症候群」という名前がつけられ、その治療は、コトダマ派の魔法使いの得意とするカウンセリングという術式が有効だと言われてきました。そのため、数少ないコトダマ派魔法使いであったヒイズは、色々なところから、その病の可能性がある人物の診察と治療を依頼されていました。今回もそう言う診察の依頼だったのですが、報告書の最後には「不登光症候群ではないが、治療は必要。」と、これまでに見たことのない文言が書いてありました。そして、報告書の余白には、走り書きのメモで「種を植え付けたのは誰だ。」と言う文字。種?なんのことだろう。

カリノが質問をしようと顔を上げた時、扉をノックする音が聞こえ、話題のクリスティン女史がおおらかな微笑みを浮かべながら入室してきました。

報告書については、一旦保留です。

カリノはクリスティン女史に負けないくらいの笑顔でもてなしながら、いつも推薦をしてくれることについてのお礼を述べ、溜まっていたキックバックの支払いを済ませました。どうやら次の推薦案件を紹介したい言うことで、女史は来客用のソファに腰掛け、カリノは「それなら」と、お茶を淹れに奥に下がっていきました。

残されたヒイズは、沈黙しているのもなんだしと言う感じで、スッと目線を合わせると、女史に軽くお辞儀をして「どうも。」と話しかけました。

「クリスティン先生、お目にかかれて光栄です。いつもご推薦をいただいていると聞いております。ヒイズです。」

礼儀正しく挨拶をするヒイズを見て、倍も歳をとっているであろうクリスティン女史は満更でもなさそうにうなづくと「礼節を弁える若者は好きよ」と応えると、聞いてもいないのに、「これまで推薦した案件をどのように見出したか」を説明し始めました。これこそ、ヒイズがクリスティン女史に会って、聞いてみたかったことです。

人間というものは、質問をしなくても「相手がこちらの欲することを語りたくなるスイッチ」というものを持っています。コトダマ派の魔法使いであるヒイズは、そう言うものを巧みに操り、こういうことができる人物でした。

お茶を持ってきたカリノが会話に加わっても、クリスティン女史の話は続きます。

「あの時はね、ケイシーと個別に話していると、彼女の不安が伝わってくるように感じたの。」
「ジェシカの時はこうよ。彼女が他の子達に語りかけている様子を見ていると、その不安がはっきりと感じ取れるようだったの。」
「トーヤはこう言うことを話す時、いつも不安を隠しているのよ。トーヤはそう言う子なの。」

そして、新しい推薦「ニーナ」についても、「将来、どうすれば良いかっていう質問をしてみたら、黙ってしまったのよ。周囲が思っているより、彼女が不安を抱えているように感じたの。」と心配そうにため息をつきながら語ったのです。

それからも、ニーナのことや、語り忘れていたトーヤやジェシカの追加エピソードも一通り披露し、小一時間が過ぎたことに満足すると、クリスティン女史は「あらこんな時間。」と腰を浮かせました。

「どうか、早めにスケジュールを立ててくださいね。」と念を押すように言い残して帰っていくクリスティン女史を見送ったあと、ヒイズは険しい顔をしてこう言いました。

「カリノ、気づいたと思うけど、もうあの人からの依頼は受けないでほしい。」

「え?」

ヒイズの言葉に、カリノは首を傾げます。ヒイズがどんどん機嫌が悪くなることは分かったけれど一体何が?とカリノは理解ができていませんでした。

「あの人が、不安の種を人々に植え付けているんだよ。」


ヒイズの話はこうでした。

不登校症候群でもなんでもない、ちょっとした相手の沈黙や迷いを、クリスティン女史は何でもかんでも「不安を抱いている」と認識する。つまり物事を大袈裟に、悪い方向に騒ぎ立てるタイプとも言えます。

「不安を抱く」=不登光症候群だとレッテルを貼ることで、相手を病人に仕立て上げ、騒ぎ、相手も自分は病気なんだと思い込み、なんだか病気のような症状を自覚し始める。不安の種を植え付けるのは、不安を認識していない人に不安を押し付けることだというのです。

「最近対応する案件に、どうも、思い込んでいるだけで本当は大したことない症状の子が、特に若い世代で多いように感じていたんだ。」

クリスティン女史は決して悪い人ではないよ。と断った上で、ヒイズは「悪い人じゃないからタチが悪いんだ。」と付け加えました。きっと彼女は、そういう案件を発掘して、カリノや俺に推薦することで自分が世の中の役に立っていると思いたかったんじゃないかな。善意の皮を被った、自己満足というやつかな。

「カリノが仕事をありがとうと受け続ければ続けるほど、あの先生は、不安の種を撒き散らすことに熱心になると思うよ。」

苦々しくそう呟くヒイズの言葉に、カリノはゾッとしました。

「僕らは不安になっている人をカモにしてはいけない。生活の糧にしてはいけないんだ。そういうふうに勘違いしてしまう人を産んでしまう。」

気分転換に、少し外を歩こうか。

そう誘われて、事務所から外に出てみると、久しぶりに晴れ渡った空は見事な秋晴れで清々しい風が頬を撫でながらすり抜けていきました。

「あの先生も、子供たちの顔色ばかり気にせず、たまにこうして空を見上げることができていたら、もっと違う方法で、人にありがとうって言ってもらえるんじゃないかな。」

太陽って、なくなるかもしれないと思うと不安になるけど、今こうしてちゃんと存在していて、顔を向けるとちゃんと気持ちを前向きにしてくれるものなんだけどね。みんな、起こるかもしれない不安に振り回されすぎてるんだろうな。

ヒイズがいつになく饒舌にカリノに語りかけました。そんなヒイズを見て、カリノは、彼が二人が加担してしまったクリスティン女史にまつわる不幸な罪を浄化しようとしてくれているのだろうな、と、感じ、改めて彼の優しさを認識しました。

太陽に照らされた木々の葉が、少しだけ赤く色づいています。

カリノは思いました。

クリスティン女史へ仕事のお断りをするときは、あそこの木の根本に落ち始めている紅葉を添えて、ニーナと晴れている日に散歩に出ながら、もう一度彼女の話に耳を傾けていただけませんか、と提案してみようかなと。






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