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生活ではないから働く。働けないけれど働かなきゃいけない。選んだ道はひとつ。。。


15年前まで私は都内に住んでいました。

高卒とともに進学で都内に出た私。
専門学校(非・認可校なので専門学校とは呼ばないらしいです)に入る際にも
なるべくならば負担をかけたくなくて、働きながらの定時制プランを望んでいましたが
運悪く、私の入学時期からその制度が私の行きたい学校からなくなってしまったので
国庫から学費をローンしました。

……ですが、そもそもそれもおかしなコトになっていた事を40歳にして知りました。


入学費用と2年間でかかる学費などを計算しても私が国庫に申請したお金は十分足りていました。
そして国庫のお金などはそもそも学生自身の口座に振り込まれること
学費以外にも、一人暮らしならば【生活費】【定期代】にあてる事が目的だということ
それを学校をうつ病がひどくなって自分でも悔しい思いをしながら決めたあの日から20年経ってから知りました。
そして、その国庫のお金は、私が知らない間に『父親が入学金以外使いこんでいました』

入学が決まってすぐに私は都内でバイトをする事を決めていました。
面接の日取りも決まっていて、引っ越し(これもちょっとひと悶着どころではない話だったので後日…)を終えた翌々日には面接を受けて3日後には合格していました。
合格したバイト先は地方民でも知っている大企業でしたが、バイトはバイトです。
ですが、合格を聞いた時点で私は【生活費】というモノを一切絶たれ、すべて自腹となったのです……。
認可がない学校は学割がありません。
今ほど最低賃金も高くない時代です。
学業の合間でのバイトでも週休二日でも生活費に足りうる金額などとうてい稼げませんでした。
学校までの定期代で月額2万。
食費も何も出ない。
自炊してもデザイン系の学校なので作品を提出するパネル代、画材費用、お昼代、定期からはみ出たバイト先までへの往復の交通費。
そして交友費。
バイト先で本当に切羽詰まって、友達から泣く泣く500円だけ借りて一週間食いしのぐことも稀ではなかったです。
米農家だったので米だけはある。
家賃と光熱費は出して貰えている。
でもインターネット代金も携帯代金も自払。
携帯が止まっても何をしても助けてくれない。
うつ病も高校の時に診断しれていたので二週に一回自腹でクリニックへ……
親には報告していましたが、聞いているフリだけでした。
そして、今
そういう国庫や学生の支援に詳しい友人などに訪ねたところ、
やはり私の国庫から借りたお金は半分以下しか学費などに充てられていなかったようです……
結局、あの親からしたら
学校に行くっていう口実で返済も遅くできるし金利も少ない名義は子供だけど親が管理するっていう名目であれば
好き勝手出来る効率のいい借金だったんですよね。
本当に最悪です。
そして
私の事実には気づいていなかった従妹がいました。
2歳離れた父親側の従妹は私の住んでいたアパートの2.5倍の値段で、23区内に2LDKで住んでいる事を父親側の叔母から聞いた時に吐き気がしました。
なんなら従妹はとんでもなくワガママな理由で頑張って入った4大を卒業前に退学したのに実家に帰らず家賃・光熱費・生活費を仕送りしてもらってずっと都内に住んでいたことものちのち知っていたので頭痛と吐き気がしましたし
私は4.5万でもワガママな家賃だと思っていましたし、一人暮らしなんて1Rで十分だと思っていたので、
4てそんなに偉いのかな?でも辞めたのにどうして働かないのだろう?
と、ずっともやもやしていました。
元々この一個の父親は大企業の専務ぐらいのホジションだったのでお金はきっとあったとは思いますが……

うつ病がひどくなり、私も学校に行く日に限ってアパートから出て5~10m付近でどこか悪いとか怪我とかではなくいきなり意識を失って、倒れて動けなくなってしまう事が続いてしまって、もう学校にも迷惑かけたくもないし留年も嫌だ……
と、自主退学を決めました。
退学したからと言って親は怒ったりなどはしませんでしたが、金銭的事情は悪化していく一方。
私は入学時からしていたバイトの他にもバイトをしました。
いわゆるWワーク?かけもち?とにかく朝から終電まで働きました。
結果、うつ病がひどくなり
その年の12月に400錠以上の処方薬を自室で一人でお酒で飲んで自殺を試みました。
……きっかけも何もなくただただ疲れたなぁ、じゃあ死ぬか―って気持ちだけでした。
この後、私はこの時しなかったことを悔やみ続けることにはなりました。
正直に言えば今も「どうしてあの時死ねなかったのか?」とは思います。

死ねなかっただから働かなきゃいけない。
また必死に違うバイトを始め結局Wワーク。
それでも状況は悪化していく。
就職しても体調より精神がもたなくなっていく……
悩みに悩みました。
結果として
デリヘルの面接を何も思わずに受けました。
ただ、一つ言っておきたいのは
楽して稼ぎたいとかではなく、体調に合わせて出勤が自由だったりなのでそういう意味では助かりました。
これも後日述べますが元々私は11歳で春を売りました。
あと恋愛対象として男性を視野にも入れられないですし、興味がなかったので。
それでもデリだけではダメだから…というのは元々あって
少しでも体調・精神面が戻れば昼職に戻りたいとはいつも思っていました。
そして結局一度はデリなどから抜け、派遣で日雇いをして……でも結局生活費がそこまで稼げるわけでもなかったので
派遣でも昼入って深夜にまた別の仕事をして……
私は何をしているのかな?

うつがひどくなってたどり着いた先が吉原でした。
……ひどい話をすれば、親は全部知っていました。
ですが支援もしないどころか私から金をせびってきました。
頑張って働いても自分を学生時代に支援しなかった親は、親を支援しろといってきたのです。
そしていつしか吉原も精神的に無理がたたって退職。
携帯も払えなくなりアパートで死にそうになりながらも
個人的に出会いであった方に体を売ってその日そのその日を暮らしていました。

そして、親は金がないからと言って
2、3年で都内へ戻っていいから実家に戻れ
と言い出し
私もその時はひどいうつ状態だったの実家に戻りました。
実家に戻っても職がない。
でも働けと言われる。
精神科で実家で一番ひどいときにもらっていた薬は眠剤だけで一日20錠はありました。
それでも働かないと……
焦って地元のデリや風呂屋でまた結局風俗業を再開しました。
それでも携帯すらもたせてもらえず、仕事の時は母親の携帯をもたされました(母親はもうこの時にはクモ膜下後で失語症だったためほぼ持っていてもしかたがなかったのです。)
再開した仕事も稼げない時は全くだというのに稼げた日は8割給料を父親がもっていきました。
何の職についているのかはもちろん知っていてです。

風俗で働き始めてからは色んな事情でこういう仕事しか選べない人のほうが実は多いことを知りました。
逆にいえば漫画とかドラマでみるようなブランド品ほしさとかホス狂とかのほうが少ないです。

そんなこんなで自分の身を砕いて自分のために稼いだものすら親のモノにしている。

この事実を親戚も全く知らなかった……と言っていて
なんなら
「物申したいけれど、親戚だから権利がない……ごめんなさい」
と言われました。

私が除籍してからも前々の記事にもあるように
金はせびってきますし、顔を合わせればお前にかけた金
そう言ってきます。

ちいさいころから金、金、金
といわれて育ち
なんなら他の家を引き合いにされ、
そして中学で意味も分からず終身だけの保険にいれられ……
その保険が何で私が死んでも最低300万は保証されているものなのは説明されて嫌というほどこびりつきました。

子供を愛さない
お金がすべて
子供の幸せより自分の幸せ

こういう親ほど本当何不自由なく生き延びている世界。
嫌になります。

覚書程度に失礼。

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