童貞ができるまで

【童貞ができるまで】
二十二歳にして未だにおなごと遠足など以外で手を繋いだことすらない生粋童貞の私であるが、“彼女”という存在自体はこれまでに二人できたことがある。十四歳の終わり際と十五歳の頃だ。これは自慢ではない。今思えばあの頃が我が人生において唯一のモテ期だったのかもしれないが、結局なにもできずに童貞を貫き、さらには超絶早漏と超絶包茎と短小(これは超絶ではない。断じて否)を兼ね備えた、剣士ゾロよろしくの三刀流チン棒であるからして、現実を知るのが怖くて童貞卒業というもの自体に夢を見出すことすらできなくなってしまっている絶望の現状があるからして、そんなことを今更考えても仕方がないし、きっとモテ期でもなかった。
一人目の彼女とは卒業を目前に控えた中学三年の二月頃にSNS上で出会った。確か私が「春から定時制高校に行く」というような趣旨の呟きを投稿しており、「定時制」というワードで検索をかけていたであろう彼女がその投稿を目にし、同じ境遇だったことから、彼女の方から声をかけてきたんだったと記憶している。確か彼女がダイレクトメッセージを送ってきて、すぐに連絡先を交換し、その勢いで通話することになり、一、二回目の通話のときに早くも付き合うという運びとなった。そのスムーズさが今の私からしたら理解ができないが、要はお互い“恋人”という存在に憧れていて、そういう存在を作ってみたかっただけだったのだ。実際、その交際のはじまりには告白と呼べるものはなかったように思えるし、つまりそれくらい曖昧にはじまった交際だったし、結局私も彼女も最後までお互いのことを本当に好きになったりすることはなかった。
付き合ったと言っても、相手のことは加工済みの写真と携帯から聞こえる声しか知らず、しかし加工済みといえど時折送られてくるその彼女の自撮り写真は、はっきり言って私などには似つかわしくないほどに整った容姿をしており、写真が送られてくるたび、胸の中で飼っている子馬が「ヒヒーン!!」と喜び暴れ回っていた。一度彼女に酷似したおなごが映る加工無しの映像を目にした際、そこには加工済みの彼女を空気入れでいくらか膨らませたおなごが映っていたし、加工済みの写真もよく見てみたら指の付け根辺りが肉厚でとても美味しそうだったりしたが、そんなことは気のせいだと目を逸らして日々を過ごしていた。
彼女は名古屋に住んでおり、私は大阪に住んでいたことから、所謂遠距離恋愛であったため、彼女との交際は通話のみであった。どのような内容の話をしていたかはもうほとんど覚えていないが、お互い好きでもないのに照れながら「好きやで」などとサブイボバンザイゼリフを言い合っていたことだけはなんとなく覚えている。どうせ他の話していた内容も同じような目も当てられない有り様であったろう。
そうして日々通話を繰り返しながらも、実のところ当時の私の本命は中学のクラスメイトであり、私はそのクラスメイトともメッセージを交わし合うという、まるでモテているみたいな二重生活を送っていた。ちなみにそのクラスメイトの女子には、「卒業式前日の予行練習と卒業式当日の二日間学校に来たらデートしてあげる」というようなお言葉をいただき、私は当時不登校で何ヶ月も学校へ行っていなかったながらにその言葉にひょいひょいと釣られて卒業式の予行練習に顔を出したものの、相手はまさか本当に来ると思っていなかったのか、予行練習から帰宅したのちに交わしたメッセージ上でとぼけられたうえに断られ、挙句告白してもないのにフラれて終わった。
そしてそれを経て「やはり私には彼女しかいない!」と思ってみたはいいものの、相手が本命でなかったのはどうやら名古屋に住む彼女も同様であったらしく、四月頭の彼女の定時制高校の入学式の日、突然彼女にSNSのアカウントをブロックされた。「およよ?ご機嫌斜めかしらん?」と愛らしく首を傾げ、違うアカウントを用いて彼女のアカウントを覗きに行くと、なんと同じ定時制高校に入学した男と付き合ったという趣旨の投稿がなされており、「ほおんっ!?私をおいて何事かっ!!しかも入学初日で彼氏なぞけしからんっ!!」などと憤怒しつつも、連絡先自体はまだブロックされていないことを確認し、もしかしたらまだ童貞卒業に繋がるチャンスが一筋残されているかもしれないというあまりに無根拠かつ非現実的希望を持って、あくまでまだ事情を知りませんよと言わんばかりに、「俺のこと嫌いになっちゃった...?」などとなにか甘えるような気持ちの悪いメッセージを送ったが、結局その連絡先もブロックされ、いよいよ返信は来なかった。こうして私と一人目の彼女との交際は、結句一度も会うことなく終わった。
二人目の彼女とはその直後、中学卒業後に入学した夜間定時制高校で同級生として出会った。隣のクラスの彼女と喋るようになったきっかけはよく覚えていない。おそらく私が他の同級生とSNSアカウントをフォローし合い、それ経由で彼女ともSNS上で話したんだったかと思う。そうしてどういう流れだったのか、いつのまにか私は彼女と学校を休んで鳳という地域にあるアリオというショッピングモールに行く運びとなった。本当にどのようにしてそのような流れになったのか覚えていないし、今の私からしたら本当に恐るべき行動力だったと思う。それほどまでに怖いものを知らない思春期の感覚というものは浮ついていたのだろう。
そうして鳳駅で待ち合わせをしたのだが、実のところ私と彼女は同じ学校に通う同級生ながら実際に話したことはなく、それどころか相手が学校で見かけるどの人なのかすら曖昧な状況であった。
鳳駅の近くで自転車と連れ添いながら携帯を触る、彼女とおぼしき少し背が低く少しギャルっぽい金髪のおなごに声をかける。私が意味不明な人違いをすることはなく、正真正銘そのおなごこそが彼女であった。まるでマッチングアプリで知り合った男女の初対面のようだった。
そこからアリオ鳳までの長い道で彼女とどのようなことをどのようにして話したのかは全く覚えていないし、アリオに着いてからも、プリクラを撮る以外、なにかをした記憶が無い。デートをしたことがなかった私はまるでなにをしたらいいのかがわからず、ただひたすらに二人でショッピングモール内のベンチに座って話していたような記憶がある。そうしてなんたるかその帰り道にはもう彼女と交際する運びとなっていた。まあそういう時期だったのだろう。一度目の交際と同様に告白と呼べるものすらないまま曖昧に始まったこの交際においても、私たちはメッセージ上においては「好きやで」とまたサブイボバンザイゼリフを言いながらも、結局お互いのことを本当に好きになることはやはり最後までなかった。そして私はこの交際においても、本命は別に作るという工作活動を行っており、その本命である学年一可愛くてスタイルの良いおなごと、そしてさらに別の女子とも頻繁にやり取りを交わすという、とんでもない数重生活を送っていた。つまり一度目の交際でなにも学ばなかったということである。
交際が始まって彼女とは一度だけデートに行った。それは浜寺公園で行われる花火大会で、交際初日に彼女の方から行きたいと言ってくれていたのだ。この花火大会についてもやはり記憶はさほどない。夕方頃から連れ立って散策していたが、なにか屋台に並んだ記憶もないし、これまたどこかへ座ってただ二人で喋っていただけだったと思う。夜には当然花火も見たが、俺は花火を携帯で撮ることに夢中で、彼女はひたすらに「疲れた」と言うばかりで、特に青みがかった思い出もない。手を繋ごうとして断られたような記憶がなきにしもあらず、ザ50回転ズ、ハンブレッダーズ、風穴あけるズ、マイスイートメモリーズ、牛ぺぺ。
その後デートが行われることはなく、学校でもほとんど関わることはなく、彼女の「好きでもない人と付き合うの疲れる」というような趣旨の投稿を目にしてなんたるか共感したりしつつ、じきに私の行っていた数重生活によって生じた女子生徒連中とのギクシャクと、それに対する私の悪態と、本命のおなごが学年一のイケメンと付き合ったことによって、私は夏休み前には学校へ行かなくなり、じきに彼女も「AちゃんとBちゃんが嫌いやから」なんていう理由で学校を辞める方向へと動き始めた。
そうしてそれから少しが経ち、自然消滅が濃厚になってきた頃、彼女が突然また学校へ行きだしたというので何故かと訊いてみると、「AちゃんとBちゃんに会いたいから」と真逆なことを言いだしたことをきっかけに、私が「なんじゃこの薄っぺらい女は」と思い始め、消滅へのカウントダウンは数倍速となり、じきに一応ちゃんとメッセージ上で「別れよう」という趣旨の言葉を交わしたのち、私たちの交際は幕を閉じた。その後、少ししてから、私がSNSの別アカウントに書いていた悪口が彼女に見つかり、「あれって私のこと?」と言われたりして、冷や汗をかきながらしらばっくれたりしつつも、いつのまにか連絡先をブロックされており、そのまま全てが終わった。
二人の彼女は「好きでもない相手と付き合うことの無意味さ」を私に教えてくれたし、私も二人に教えられたと思う。強いていうのであればそれが彼女たちとの交際で得た唯一のものであろう。いやはやしかしこの時の度重なる失態が二十二歳にして未だに童貞というこの絶望の現状を作ったような気がしてならない。二人の彼女や他の女子生徒につけた傷と感じさせた嫌悪や怒りや不快の代償を今払っているようなそんな気さえする。私は現在、あの定時制高校を中退してから翌年に別の定時制高校に入学するまでの数ヶ月間のひきこもり生活と同じようなひきこもり生活を送っており、今後も童貞を卒業する見込みはなく、前述の通り三刀流であるからして卒業への感情は希望よりも恐怖感の方が強く、全てが遠のいていっている。怖いものを知らぬあの頃に、しっかりと人を愛し、その愛した人で童貞を卒業できていれば、私の人生ももう少し良い方向へ行っていたのではなかろうか。もし愛した人に想いが届かず、愛し合えずに童貞も卒業できぬまま終わっていたとしても、それでもなにかが変わって良い方向へ行けていたのではなかろうか。あれからもう七年である。私はこの七年間なにをしていたのか。確かにあの後新しく違う定時制高校に入学して自分なりの青春を経験して四年間通ってその定時制高校を卒業し、その後夢を追って上京したりもしたが、結局現状はあの頃とまるで同じひきこもりで、シコっていたらいつのまにか七年が経っていたような感覚である。もしかして七年間シコり続けてさっき射精したのか?そう思えば長い自慰行為であった。賢者タイムに入って全てがリセットされ、私はまた十五歳に戻った。


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