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長崎市、平和祈念式典:「戦争の悲惨さ」「平和の大切さ」を理解させるために、戦争をしている国こそ招待したらよかった。

9日の長崎原爆の日に行われる平和祈念式典について、長崎市はイスラム組織ハマスと戦闘を続けるイスラエルの駐日大使を招待しなかった。

これに対して、G7=主要7か国のうち、日本を除くアメリカやイギリスなど6か国とEUの駐日大使らが連名で懸念を示す書簡を長崎市の鈴木市長に送り、参加見合わせを表明した。

ジュリア・ロングボトム駐日英大使は、イスラエル大使が「他国に侵略した国」であるロシアと同様の扱いを受けていると「誤解を招く」可能性があると懸念を示した。

一方、鈴木市長は「決して政治的な理由で招待していないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由だ。苦渋の決断ではあったが、そういう考えで決定した。判断に変更はない」と述べた。

苦しい弁明だなと思う。「政治的な理由ではない」と言っても、「戦争をしている国」を招待しなかったというのは、「政治的な理由」そのものだ。

イスラエルは、侵略ではなくても、虐殺ととられても仕方がないことをしている。G7の主張とは真逆に、平和な式典への参加は到底容認できない人が多くいるのはわかる。

イスラエルに反対するデモ、暴力が起こる可能性がある。そこまではいかなっくても、世界の様々な団体や組織からいろいろな形のアプローチがあるのかもしれない。我々に見える部分だけではない複雑な事情があるだろう。

鈴木市長が、それに対応する力量の不足を考慮し、イスラエルを招待しないと判断したことは理解はできる。

一方、G6とEUからの批判は強烈だ。板挟みの鈴木市長は、ああいう風な苦渋のコメントを出すしかなかったのだろう。ただ、「政治的に逃げた」と言われても仕方がない。

G6やEUは、式典に欠席はするものの、それ以上のことはしないだろう。鈴木市長は「決定に変更なし」で粛々と式典を終わらせるしかない。

ただし、私は今回の式典への招待に関しては、ロシア、イスラエルを含むすべての国家・地域を招待すればよかったのにと思う。

「戦争をしているから招待しない」というのは、常識なのだろう。それはわかったうえで、あえて言えば、「戦争をしているからこそ、長崎に招待する」という考え方もあるのではないか。

原爆投下による長崎の惨禍、戦争の悲惨さをあえて、そういう国に直視させる機会を設けるのだ。

昨年の広島サミットで、G7の首脳が原爆記念館を見学し、知識だけではない、原爆の悲惨さを直接知ることで、衝撃を受けたということもあった。

長崎が平和都市として「核兵器の廃絶」「戦争の根絶」を目指すならば、その理想を理解せず、戦争を起こしている国にこそ、自らの理念を示してそれを理解するよう説得するために、呼ぶべきだと思うのだ。

この世の中、とかく「分断」といいますが、価値観が異なる人は、排除して付き合わないことが多い。

でも、価値観が異なる人を「敵視」して「排除」したら、ずっと相手もこちらを「敵視」して「排除」するだけだ。それでは、物事は前に進まない。

戦争を起こす国は、戦争をなくそうという考え方を、ずっと理解しないままになる。

理解してもらおうとするならば、呼んで、見てもらい、話し合うしかない。

もちろん、簡単に理解はしてもらえませんよ。だけど、会って話さなきゃなにも起きない。延々と今の状況が続くだけだ。

今回の式典、イスラエルを招待しても、しなくても、どこからか批判は起きた。板挟みになることは、目に見えていたと思う。その時、覚悟を決めて「戦争の悲惨さを知ってもらう、平和の大切さを知ってもらう」と主張して、あえて招待するという判断は、あったのではないかと思う。

もちろん、そのためには、日本政府、長崎市、そして我々日本人がどれだけ強いメッセージを世界に対して持てるかが大事なのですけどね。




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