紹介したいnote記事「空と海と」
冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「空と海と」という記事を紹介します。
「空は父のよう、海は母のよう」
「空と海」を「父と母」に例えています。
「空」は、手を伸ばしても届きません。いつも上から見下ろされているのに届きません。触れさせまいとする「厳しさ」があるようにも思えます。越えられない壁のような存在として「父」を感じたのでしょうか。
「海」は、近くに行けば触れる事が出来ます。「いつでも帰っておいで」と言って迎え入れてくれる「母」のようにも思えます。
「わたしは空から来て、海へ還るのか」
「空から来て、海へ還る」と。
「空」は、天(神)を意味するのでしょう。神が与えた命。子どもは神からの授かり物と言います。また、コウノトリが運んでくる時も空からですね。空から与えられるものは、「太陽の恵み」だったり「恵みの雨」だったりします。
「海」は、母親の胎内にある羊水でしょう。「元いたところに還る」という感じでしょうか。「亡くなったら海に散骨してほしい」と願う人もいます。
「この期におよんで耐えがたき、空と海の沈黙」
この作品で一番驚いたのが、「この期におよんで」という言葉がある事です。詠み手に一体、何が起こったのでしょうか? 江戸時代のキリシタンが磔にされた画が浮かびます。遠藤周作の小説をハリウッドで映画化した「沈黙 -サイレンス-」は強烈でした。
神に助けを求めても沈黙している。正に「空と海の沈黙」です。映画の中で最終的に、イエズス会の宣教師は棄教します。信仰に篤いクリスチャンにとっては面白くない映画でしょうが、私はとても感動しました。
この詩を書いた詠み手にとって、今が正に正念場。そんな緊迫感が伝わってきます。
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