将来への不安を乗り越えて、人生をもっと豊かにするシンプルな秘訣
最近世の中に対して不安や、さらに加速して絶望という状況に陥っている人が多くいるように感じます。けど、私も同じです。特に不安を抱えているのはお金に関してで、
日本の賃金はあまり上がらないまま物価は高くなっていく生活への不安、そしてAIなどの波もありいつか仕事が奪われてしまうのではないかという不安もあります。
自分の生活で手いっぱいなのに、もし家族が大きな病気になったりしたら、しっかりと経済的に支えることができるのか?
それだけではなく、自分が病気になったら?両親は高齢で期待できない。そして自分は病気で働けない。給料が低いことにより、貯金もあんまりない。そんな状況になったらと頻繁に考え、不安になることも多いです。
このように私は今の環境を絶望的に感じていました。しかし、最近とある本を読んで、一縷の希望を感じることができました。
それはプリーモ・レーヴィという人の『これが人間か』という本です。
この著者は、あのアウシュヴィッツでの大量虐殺の生還者で、その著者がアウシュビッツ生還後すぐに執筆を始め、そこでの過酷な生活が書かれた本です。そんな本を読んで感じた事を書いてききますね。
アウシュビッツという場所では、個人の力では本当にどうにもできないことが多く起こり、この場所での命の扱いはとても軽いです。まずアウシュビッツに着いた時からそれは始まります。
ガス室に送られる者、アウシュビッツで労働者として生かされる者が、その場で看守の理不尽な判断によって決まっていきます。看守は一人ずつ見ていき、指で右、左と生かす者とガス室に送るものを分けていきます。
彼らの命はとても軽いので厳密な審査が行われるわけではなく、労働者として利益になりそうな者でも、看守にとって気に食わない顔だったり、他の気に入らない要素があればガス室行きになります。
これは最初の選別の時だけではなく、労働者として働いているときも定期的に選別が行われます。
肉体的に使えそうにない者は勿論、選別の大きな対象ですが、年齢が若く肉体的にも未だ健康そうである若者でも、少し猫背になっていたりすると、なんか覇気がないというイメージを与え選別の対象になってしまいます。
彼らはユダヤ人の命など紙切れ程度とも思っていないので、一人一人をしっかり見ていないのです。だから一瞬の印象で生死が決まってしまう。
そもそも若い者が無駄になくなったからといって、惜しい労働者を無くしたとはなりません。彼らの目的はユダヤ人撲滅のためだから、誰がいつどのタイミングで亡くなろうと構いやしないのです。
そして私が最も絶望したのは、アウシュビッツ内の社会でのことです。ここが真の意味での絶望的な社会であると実感しました。
アウシュビッツ内での社会では、同じユダヤ人同士、同じ苦難を味わっている同士、「共に協力して頑張ろうぜ」とは絶対になりません。彼らが人を考えて行動するのは彼らに利益がもたらされる時のみです。
私たち日本人は、もし食べ物が食べれないほど貧しくなっても餓死することはほぼ確実になく、誰かしら恵んでくれる可能性は大いにあるでしょう。
しかしながらアウシュビッツでは、たとえその人が衰弱していようと助けることは決してない。なぜなら彼らはこう考えるからです。
こいつは一週間後にはガス室に送られて居なくなるだろう。そんなもう居なくなるように人間を助けて何になるんだ。ただ、自分の貴重な体力や食料が無駄に失くなるだけじゃないか、と。
現在の社会でも弱い者は切り捨てられると言われますが、ここは別格です。本当に弱い者はどう助けを求めようと無視されます。
日本だと生活が苦しくなれば生活保護という国からの支援をもらえます。だがアウシュビッツでは看守たちからは勿論のこと、同じ仲間、いや仲間ではない同じような立場の人間からも助けをもらえません。
コミュニケーション能力が乏しい者、頭が良くない者、肉体的に弱い者などの弱者は、切り捨てられるというどころか、存在を認識されないまま放置され一人孤独にこの世から消えていく、そんな虚無的な社会なのです。
私は確かに将来に対する仕事のこと、病気のこと、お金のことなど多くの不安を感じ続けています。この本を読んで、そういった不安がなくなったわけでは勿論ありません。
けど、私が現在いる日本という国はアウシュビッツのような極端な例だけではなく、歴史の中のいろいろな国、そして現在ある多くの国と比較しても恵まれているのだと改めて思わされました。
日本は政治的な問題はあり、そこに対して不満はあるけれど、自分の環境の良い側面にも目を向けて、そして極端に絶望しすぎず生きてみようと強く思いました。
今いる環境は誰かに助けを求めれば誰かが助けてくれるかもしれない、そして不安とかがあってもnoteなどを通じて自分の声を人に届け、共感という温かい励ましのメッセージなどが、今いる場所から大きく離れているような人たちから届く。
これは改めてすごいことなんじゃないかと温かい気持ちになりました。
ALSという難病に罹った藤田正裕さんという方の『99%ありがとう』という本の中で、このようなことが書かれています。
「文句を言えるのは、文句を言える立場にあるからだ。その文句を言える権利さえ失った時を想像できるか」と。
ALSという病気は身体が動かなくなってしまう病気です。だからこそ著者は普通の人たちが日常のあらゆる事を経験し、文句を言える立場である事をとても羨みました。
世の中には様々な困難が多く用意されています。受験や就活、育児の悩み、仕事での人間関係、貧しい生活など、多くのことが人生を通して私たちを悩ませていきます。
しかし、それは私たちの悩む数が多いことに比例して、色々な素晴らしいものが経験できるという証拠でもあるのです。
そして、著者はこう言葉を続けました。
「文句を言ってねぇで自分でなんとかして解決しろ!!」
私たちは多く悩みますが、それらは絶対に解決できないというものではありません。著者は自分の意思の通りに身体を動かす事ができ、頑張れば、努力すればなんとかできる力を持っているのだから文句を言ってないで、どうにかしろと言っているのです。
私たちにとって当たり前のことですが、これは改めて本当にすごい事なのです。
過度に不安にならずに一緒に頑張っていきましょう。きっと私たちが普段感じているほど私たちの世界はそこまで悪くないはずです。
私たちは変えることのできる環境、困難な状況を打開させられる身体をもっています。なら、あとは精一杯意思の力で頑張るのみです。
そして、もし辛くなってもnoteの記事で書けば支えてくれる人たちは多く現れるはずです。全力で今に取り組み、お互い助け合いながら頑張りましょう。アウシュビッツとは異なり、利益ではなく相手の心を思い遣って協力する力が、ここにはあります。
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