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家という箱

 研究計画書に追われて案の定ノイローゼ寸前まで体調を崩した院生です,ドタバタしている間に2年生になったようです.
お加減いかがでしょうか.
私はそんなによくなかったです,慣れるまでは.とはいえまだ慣れきったともいえずに家におり,医療従事者である姉が出勤停止にならないように家から何日も出ないで過ごすことがザラです.原稿や計画書を書くにはちょうどいい隠居みたいな環境なはずなのに.

・毎晩自分を甘やかしていると反省する
 実際に今の生活に慣れるまで,かなり時間を要している.本当ならば今年は春から京都の大学院で二人の先生から教えを受けて,既に学会発表の準備も原稿も書いていた筈で,3月の主人の東京出張でバレンタイン以来の再会になる筈だった.その出張も,会社側から国内外を問わない出張の禁止令発布により白紙.そして家族として,会社に迷惑をかけられないので私が彼の方へ移動することで首都圏の菌を撒き散らすわけにもいかない.姉は医療従事者のため,今日から6連勤だったり,一度は3日程出勤停止になってPCRを受けてドタバタしたこともある.陰性だったけれど,仮に陽性だった場合,現場から医療従事者が消え,私も濃厚接触者と見なされて経過観察期間となる.医療従事者が減るかもしれない状況を目の当たりにし,いつもはいない姉が自分の作業時間中も在宅,増えていく家事.
 緊急事態宣言によって,研究計画書(学振)の提出期限が延長した.書かなければと思うほどに,本を読まなければと思うほどに,義務のようになっていって研究と向き合えなくなる.修士1年時の休学前,研究テーマは一体何なんだと考え始めたように,頭を悩ませることになった.ついつい手は動かすものの,書きたいものは計画書ではなく自由な散文体の小説ばかり.中学二年生から始めたネット小説は自分の感情の吐き溜めとして更新したりしなかったりともう何年その繰り返しを続けているのかと思う.
 早く計画書を書け.されど小説の続きばかり手が進む.型式ばった文章ではなくて,もはや自由な文体で自身の課題からの現実逃避行為をしている.自分自身に呆れている.そして毎晩読み返してはどれだけ書いて,どれだけ計画書を書いていないか,それをわざわざ知って毎日朝を呪う.

・生活環境の変化と受け入れること
 現在の生活形態はこうだ.
起床後:一番にメール等のチェック@ベッド
午前:姉のメモ通りに家事をこなす,最低限のニュースと小説執筆
午後:計画書の作成,作業(ワイドショーでの精神的なメディア汚染断絶のため)
大体19時〜20時:姉が帰ってくるので夕食(遅番の日は一人で先に食べる)
食後:自由時間

 博士の学生にしては酷く怠惰と思われるだろう.フィールドワークや図書館でしか閲覧できない資料を用いるため,図書館に行けないのがまず苦痛だった.そしてそこから始まった「研究が進まない」のデフレスパイラル.ものは考えようだ.そこで積読の解消や研究計画書の作成など執筆系のものを処理する.論文を読む.その時間が与えられたと考えればいい.
 だがそこに至るまでに一ヶ月程時間を要した.私の体が外に出ないこと,学校や研究室に行けないこと,何か研究に関して手を動かさないと自分が生産性を得られないと感じていた.本を読むことさえ,文献を探すことさえ,研究に関連していて自分の理論固めに必要な作業にも関わらず,「読書」という行為では受動的で手を動かしていないと感じて読書さえ怠惰に感じ,何か書かなければ,何か研究をしなければ,と考えていた.
 これが気持ちの余裕の無さというものだろう.今までと違う環境になり,同じようにものが進まないのも当たり前で,寧ろ同じようになった方がおかしいので当時の私は読書行為を受け入れられなかった.読書会のように読書をしながらレジュメを作ったり手を動かせば,別段読書行為は受動行為ではなかったのにも関わらず,だ.当初は午前から作業をしようとしていたのでPCを起動させるも自律神経失調の時のように手が動かず画面を見てもすぐに疲れて作業にならない.その割にスイッチが入った日は時間を忘れてしまうASD気質が顔を覗かせるので,気付けば14時,15時となって昼食はなく1日2食の日が続いた.パニック発作も何度かなりかけては,在宅にも関わらず頓服を飲む羽目になった.生理も1週間以上遅れた.なんとかしてこのサイクルを断たなければ完全におかしくなる,と思った.ほとんどノイローゼ状態で姉にも指摘され,彼にもラインの文面だけで今日は元気がなさそうと言われた程だ.病院では薬の種類を変えずに量が少しだけ増えた.そして,長期戦になると薄々感じていたので今のうちに自分の「マイペース」を確立しておかないといけないと思った矢先に届いた希望の光が,去年の年末に応募していた研究助成の採用通知だった.

・義務化すると楽しくない
 根本的なところに立ち返った.まず研究計画書の大学へ提出期限から逆算して初稿はもうそろそろ出来上がっていなければいけない.現段階では8.5割埋まっている.書きかけでも今指導教員と助教に,晒しあげのようにslackでゼミ生全員が見られる場所に公開した.
 生活ペースを変えるにあたって,まず考えたのは他の研究者や他大の博士の学生(特に理想の研究者)と自分の作業ペースを比較しないことだ.専門が違えば進度が異なるのは当たり前のように,博士なのでもう自分の研究にどのくらいの時間をどのくらいの量勉強して,どのくらい休憩を入れるか,というのは自分でしか設定できない.他人に何を言われようと,まずこのノイローゼ寸前と言われていた体が壊れてしまえば研究計画書を書くことも研究助成で行なっている研究もできなくなる.当たり前だが,それがわからないほどに他人と自分を比較していたかがわかった.そして理想の研究者は研究者なのだから経験的に違うので,既に個人のやり方が確立されているわけで,こなしている量が違うのは当たり前である.比較したところで赤ちゃんが大人を見て二足歩行を試みては転ぶのと同じである.つまりその人がどのように研究生活をしているのかを参考にしたり,試して自分に合えば取り入れてみたりすればいい.合わなければ少しずつ真似ながらも自分の歩き方を自分で見つければいいだけだ.
 そこで一度,なあなあになっていた現実逃避と現実を切り分けることにした.単純な話だが,時間で区切ることは私にとってはとても難しい.というのもいつものことだが,キリがよくないと終わらせることができない.そこで,まずは午前,午後,夕食後と大胆に時間を区切った.午前は家事もあるので,何時から作業ができるのかもわからない.そして以前よりも研究で外に出られないフラストレーションが増加したために自分の好きなことをする自由時間を増やした.これが午前だ.つまり,家事が早く終われば自由時間は長いし小説も書ける.そしてお昼ご飯を食べることにした.1日3食,当たり前のことだが,これとお昼の娯楽番組で少しずつモードを切り替える.ワイドショーが始まると気が滅入るので,作業タイムへと突入する.どうしてもPCが今日は体調的に無理…という日には積読になっていたものと,読みたいと思っていて新しく買った理論の本を紙を使いながら読み進める.スイッチが入れば没頭するので,知らぬ間に18時半になっているのはよくあるし,姉が帰ってきて作業を強制的に止めることもある.これが午後だ.夕食後は生活が変わる前からずっとご褒美の自由時間だったのでそのままである.
 こうして書いてみると,以前よりも自由時間が増えたのでちゃんと研究をしているのかとなる.しかしそれ以前に今は体調を元に戻したかった.そして,京都に伺う筈だったと冒頭で記述したが,ありがたいことに京都の大学のゼミにはリモートで参加させていただいており,4月からようやく研究の話を聞く場所ができた.これがきっかけとなって,気合が入り直したのも確かだ.やはり研究に触れる場所がないと私は少し自分の研究を蔑ろにするらしい.どんな研究をしてますかと聞かれたり,紹介することで,やっと自身の研究がいかに面白かったから始めたのかを思い出した.(最近は専ら勉強不足で泣いている)
 最近,大学の学部入学時の同期と流行のZoomをした.学部1年時,デザイン科ではありがちなのだろうか,100枚ドローイングの課題をSkypeで通話しながらこなしていたのだ.それを懐かしがって,各々の在宅勤務や出勤している友人の近況を聞きながら,同窓会のようなことをした.週に一度の彼との電話も,この前初めてビデオを起動させてみて,860km離れた彼を久しぶりに見た.少しずつ自分の生活自体が変わってきたし,適応する力が不足している自分にとって試練のように感じているが,案外なんとかなるものだ.今日は世間的に日曜日だが,姉も仕事なので平日と同じようにこのサイクルで回している.

・自分の赦し方だけはわからない
 相変わらず作業効率は高いとは言えないまま,それでもこれ以上薬を増やしたくないので今はこうして疑問を持ちながらも習慣化させている.そして今疑問を持っているということは,これ以上できるのではないかと自分が感じているということだ.しっかりとこのローテーションができた時には,やはりもう一段階あげる必要がある.それが明日になるか明後日になるのかはわからない.それでも今は無理のない習慣を作って,完全に余裕と思えたらもう一度組み直してみようと思う.薄々勘付いている自分への甘さも,どうしても持ってしまう罪悪感も,小さな目標の達成にしか過ぎず,何故かローテーションを回せるようになっても今日はここまで進んだんだからと言い聞かせるのも渋々である.もどかしさを感じている.ただ今無理をすれば研究ともっと向き合えなくなるだろうし,自暴自棄になりそうな気がしてしまう.やっと持ち直したものが粉砕される可能性もある.挫折と反省は違うし,罪悪感を何故かいつも感じながら生きている.家という箱の中で暮らしながら,PCに手を伸ばし,助けを求めているわけでもなく,順調に研究をしているわけでもなく,ただただ自分の状況を暴露しているだけだ.家にいることは嫌いではなかった筈なのに,こうして出荷される前の檸檬のように箱に詰められるだけ詰められて,直前で出荷停止が決まって箱の中に居続けている.思考の転換を求められるのなら,その爽やかな檸檬の匂いを箱の中に充満させて箱の環境を少しばかり,出荷されるまでは自分のペースで熟させることも赦してもらえないだろうか.出荷された時には,一番熟れた状態で最高の檸檬として香ってみずみずしく潤っていたいのだ.
 どうしたらこの状況下で,小さな目標の達成を正当化することができるだろうか.自分を認める,状況を受け入れる,頭ではわかっていることも綺麗事のように聞こえてしまう天邪鬼な自分を赦せないでいる.

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