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ロングセラー商品とかパッケージとか,デザインの研究とかって.

 お久しぶりです,研究沼に浸かっていたら学会の週の頭に扁桃炎になりスケジュール管理大事…と痛感した院生です,こんにちは.
すっかり今年も折り返し地点となりましたが,無事に今年もデザイン学会春季大会で口頭発表をし本日東京に戻って参りました.
 で,またデカいタイトルをつけてしまいましたがこのD入学から現在の研究の中身とか,改めて思うデザイン領域について簡単にざっとだけ書きたいと思いますがやっぱりパッケージデザインて難しいわって話になると思う…(遠い目)

今日の目次
・DC2提出後のゼミと研究談義
・パッケージデザインの研究
・デザイン研究の先にあるもの

・DC2提出後のゼミと研究談義
 DC提出した皆様お疲れ様でした,という感じですね….確かにこういうのを学生のうちから書いて科研費の練習みたいになっていいなとも思いますが結構苦労する割に最近あまり給付額について良い議論は聞かないですがやはりDCの称号は欲しいです.もう提出してしまったのでどうしようもありませんけど.
 DCを書いたおかげでなんとなく4月から詰めていた研究計画がより具体的になりまして,それから今度は一旦学芸員課程の博物館実習で東大横の某美術館に2週間実習に行っていました.楽しかったです.(正直)
 大変なことや意外と多い外回りなど,博物館・美術館の規模ややり方にもよるかと思いますが,自分の専門に近く特化した美術館で実習したため,その間も学芸員さんから色々と情報を得たりしておりました.確かに研究とか成果報告として著書も出るし展示という形に落とし込んで作り上げるのはすごく大変だけれど楽しいだろうなと思いました.
   それはそれで色々と得ました.私の研究室ではslackを使って情報共有を行なっておりますが,研究室のプロジェクトの準備が始まってきたり,あとslackに勝手に私の研究チャンネルを作ってコンスタントにゼミで使うハンドアウトを載っけて後輩達も見られるようにしています.あとはちゃんと進捗があるという自己満….過度になるとプレッシャーになるのでほどほどにと思っていますが,進捗オバケによく襲われます苦笑
 結果的に,学会前にまずメンタルをやってPCの作業ができなくなってきたり,休憩時間を設けないとPC使えなかったり,その後で恒例の扁桃炎をやりました.ちなみに学会は口頭発表です,馬鹿かと思いましたね…(白目)
 フィールドワークや図書館に出向く回数が圧倒的に増えました.なのでゼミの翌日なんかはよく行きますね.あと今はパッケージデザインにもう特化して研究しているのでパッケージデザイン協会とか団体やメーカーとも意見交換をさせていただいてたりします.

・パッケージデザインの研究
 という事で,最初は大正時代なのは決まっていましたが,M2の後半くらいからデザイン史と言えど大正時代の図案研究は人物が多いのもそうですが,色々とグラフィックデザインに関して先行研究も多いのでお手本があって良いのですが,やはり何が私を此処まで導いたかというと,M1で地道に分析してた「ボンタンアメ」の箱でした.修士も結局ロングセラー商品のパッケージデザインのグラフィックなのでパッケージには変わりないのですが,じゃあどうしたらもっと深掘りできるのか,という事でゼミで結構話してやはり「紙箱」というパッケージを深掘りしようとなりました.
 パッケージデザイン協会の方と意見交換をしていて思ったことですが,パッケージデザインのもっと評価されるべき…!勿体無い…!と思うことは多々あります.

1. 広告・ポスターのようにグラフィックデザインと一つの枠組みに括られてしまうくせに消耗品であること

2. 人物研究というよりも,商品のイメージを消費者に伝えるための媒体(メディア)であるがゆえに,社会の流行や消費者のニーズ,薬事法や記載事項に制約があり,広告・ポスターほどの自由さがない

3. どうしても商品の宣伝のための媒体となるため,デザインを取り上げても変更した時の売り上げの変動や消費者のイメージの変化について経済学やマーケティング視点の論文が多く,デザイン学からのアプローチが広告・ポスター研究に比べて圧倒的に少ない

という感じでしょうか.簡単にですが.
 1のように,食品などは顕著に見られますが,例えSNS上でバズったり話題性が高く注目されたりしても,食べたり飲んだり,用が済んでしまえば捨ててしまうものです.例えばチョコレートのパッケージを食べた後までわざわざ持っている人はなかなか,よく洗って収集しているマニアの方とかでないといないかと思います.
 2のように,修士研究中から感じていたことですし実際に研究協力いただいていたメーカーからも法の規制で「これ書かないといけいないのでスペースがうまく取れないんですよね」等,昔は流行に乗って良しとされていた健康に関するキャッチコピーも薬事法で使えなくなったり,公正競争規約,分別のための素材表記や入れなければならない説明,最近はインバウンド政策による土産物として商品の説明書きなどを英語でも表記している商品もあります.特に和菓子や日本特有のものは説明がなされていないと美味しく食べていただけなかったりする事もあるので,わざわざ食べ方の説明を書かれるメーカーもあります.そういった事でデザイン面に割けるスペースの減少と法改正の度に翻弄されています.
 3としては仕方ないです.危機感を感じました苦笑.いや,だったらもう私がデザインからのアプローチでパッケージデザインの議論をしようじゃないかという事です.実際に教育普及活動を行なっている方もいらっしゃいますが,どちらかというと実践的なデザイン教育,イメージをパッケージとして的確に伝える方法などクリエイター養成であったり,学問というよりは実践者の育成に力を入れているので論文では計り知れない実践教育面に重きを置いております.(これはこれで勿論大事な事なので)

そこで考えたのは「キャラメルの箱ってなんでこの大きさなんだろうね」という事でした.そこからポケットに入るサイズ(ポケットサイズと呼んでおりますが)の紙箱というのがどうも大正期,グラデーション化していた第一次・第二次産業革命の完了後の時代に誕生し需要が増えているという事に注目して,そこからどこでもキャラメルを食べられる,タバコを吸える,キセルや火打ち石を持ち歩かなくてもいい,高級品な舶来品の一般化など明治後期から大正期にかけての社会背景や市民の考え方の変化,販売形態の変化など様々な要因が浮き上がり,携帯するという行為にまで発展させられるのでは…と今の段階ではなっています.長い目で見たときに,人がポケットにモノを持ち歩く行為の発端が洋装の普及とともに誕生したポケットサイズの紙箱だったのではないか,という事でモニョモニョと今調査している次第でございます.(大量生産,大衆社会になった事も踏まえ,使い捨ての概念や他社との差別化,洋装文化の普及などなど考えることが多いです…)

・デザイン研究の先にあるもの
 今日東京に戻ってきて,改めて学会でのフィードバックや,こんな事研究してる人がいる…!とか気付きや発見含めての事ではありますが,いつもデザインとは何かを考えてはいます.デザインは実に流動的で現在はどうも個人的な感覚で恐縮なのですが,近年のデザインという言葉はとても巨大化しているように思います.以前のグッドデザイン賞の時の記事にも色々書きましたが,どこからどこまでがデザインであり,システムであり,アートであるのか.境界線はあんまり設けたくはないですし,寧ろそれ自体が媒介となって他領域を媒介しているとも感じています.
 昨今のAIやディープラーニングによるインタラクティブなデザインであったりシステム開発というものは本当に技術の発展としてすごいなあと素直に感動します.実際去年Pythonで画像合成とかやってみて,こんな事できるのか…とか思って驚きましたし利便性もわかっているつもりです,
 それをどう使うか,どうデザイン分野に落とし込むかという事に焦点が置かれていくのではないかと思います.現在は特に医療分野とインタラクティブアート,福祉関係とも関連は強く感じます.
 決してそれだけに固執しろとは思わないですし,寧ろそれができるならこの分野でもデザインと結びつけられるだろ,という事はしょっちゅう思うので,「デザイン」という広義的なものの中からどのカテゴリ・ジャンルのデザインを用いて(プロダクトやグラフィックなどもう少し絞り込んで),この分野にこのデザイン分野が連携しそうだ,もっと便利になりそう,なんとなく社会が動きそうだ…という事をデザインを学んでいる側が提案・介入してあげる事も必要なのではと思います.
 今まで関連がないと思っていた他領域にとってはデザインの介入に対してまだまだ理解が得にくいというか,センスの問題と思われていたりする事もあると思います.学会で社会人のデザインの学び方についてセッションがありましたが,実際上司に言えない方や上司がわかってくれない,という方もいらっしゃったのも事実です.
デザイナーも人間です.デザインを勉強している人間ならではの非言語化された会話というものも確かに内在しているとは思いますし,その点で,どうせデザイナーだから…と言われてしまったり思われる事もあるでしょうが,言葉で伝わりにくいことをイメージや視覚化,非言語化してわかりやすくするのはデザイナーの仕事だと思っています.

 そしてそのデザインとはなんぞや,ということをモニョモニョした先には非言語化されたものがたくさんあると思います.それを少しずつ明言化していくのが研究者としてのお仕事の一つなのかなと感じております
最近はデザインを制作だけに留まらず自分の研究として行なっている院生(修士)と研究の話をする機会が増えました.私のやり方が正解だとは言いませんが,できる限り必要最低限のことは指導します.(この前は論文て何処で読めますかと聞かれて驚きました,ごめんね…)
プロダクト系の院生は修論と共に作品を作る生徒も多いので,論文が作品とどういった関係性を持っているのかを明示しなければならないですし,それはある種美大的な自分の制作手法を研究したものなので,そこの明言化が必要です.でなければその手法の有用性がわからないから悲しい事に「あ,そう」で終わってしまう…勿体無い….
グラフィック系の院生も論文だけの生徒と作品を作る生徒と半々くらいです.
とても難しい分野です,理系とも文系ともつかない学際的立ち位置にあるのも事実ですが,この先デザインというものが(以前も書いた記憶があるのですが苦笑)言葉だけが一人歩きしない,何かとデザインとの融合によって物事が円滑になっていけばなあと思います.
 社会や身の回りで何か円滑になっていった事柄の中にデザインというものが実は縁の下の力持ち的要素として,だからデザインは必要なのか,デザインがあったからこれはこんなに便利になったのか,といった事が少しでも多くの人に伝わっていったらいいなあと思います.

相変わらずなっっっっっっっっっがい記事になりまして申し訳ございません.
なんだかもう少し纏められると思ったんですが無理でしたね苦笑
中間発表に使う考えたことを整理する場になってしまいました…すみません.
今度はちゃんともっとバシッと纏めた記事でも書きたいものです…

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