私にThinkPad愛が芽生えた日
みなさま、お疲れ様です。
もはや、コレクターでも、なんでもないのですが。
「私とThinkPad 220」について、話を書きたいと思います。
Xは付かない、ただの220だよ。
それは、まだニフティサーブが動いていたころ。
もう、ソフマップはPCソフトのレンタル事業をやっていなかったと思うけど、喫茶店『東洋』はいつも賑わっていた。
驚異の1KgなクラムシェルPC (注:1993年製)
その頃、ThinkPad 220というモバイルPCが発売されていた。
知っている人は、私と同じ50代か、それ以上の人だと思うけど。
1Kgを切るクラムシェルタイプのノートPCで、筐体にはマグネシウム合金を使い、軽量化されていた。
赤いイチゴのようなトラックボールを搭載した、モノクロ液晶のDOS/V機だった。
なんと、単三乾電池で駆動するノートPCだった。
ACアダプタは後から発売され、発売当初は、単三乾電池でしか動かせなかった。
CPUは、インテルのi386 SL、16メガヘルツ。
当時からしても非力なCPUだったけど、単三乾電池で動かすには、これが限界だった。
当然のこと、WindowsなどのGUIを動かすには、馬力が足りない。
単三乾電池でパソコンを動かす
単三乾電池で動くとは言え、普通に使っていたら、動作時間は数十分程度。
それを、DOSの設定を切り詰め、RAMディスクを設定し、あれやこれや動作時間を延ばしていた。
乾電池の銘柄によっても動作時間が変わる為、その情報などが、ニフティサーブの会議室をにぎわしていた。
ACアダプタ用の端子は最初からあったから、そこに繋ぐ外部電池として、単三電池をダイナマイトのように見立てて束ねた「爆弾電池」が考案された。
今でいう、モバイルバッテリーの先駆けだね。
その爆弾電池が、空港で本物の爆弾と勘違いされて、問題になったこともあった。
オフ会にいた、とっても濃い人たち
そんなThinkPad 220が話題になっているころ、私は生まれて初めて、ニフティサーブのオフ会に行った。
確か、FMPCだったかな?モバイルPC系のオフ会だった。
当然、ThinkPad 220の話題で持ち切りだった。
当時の私には、とうてい買うことのできない高額PCが、ThinkPad 220だった。
そんなThinkPad 220が、オフ会には何台も持ち込まれていた。
「俺の設定だと、〇分動くよ!」
「××の電池だと、〇分動く」
「いやぁ、俺、乾電池の代金で破産しちゃうね!」
そこでは、そんな会話が飛び交っていた。
もちろん、みんな楽しそうだった。
「乾電池の代金で破産しちゃう」とか言いながら、その目は、とっても輝いていた。
その時、私は「お金貯めて、絶対、ThinkPad買おう!」と決意したのです。
その時、私は「絶対、ここの人たちの仲間になろう!」と決意したのです。
そこから、私のThinkPad愛は始まった。
それから、ウン十年。
私は、ThinkPadだけで100台を超えるコレクションを持つまでになりました。
ThinkPad 220も、複数台所有しました。
ThinkPadのおかげで、友人知人も増えました。
人間、決意倒れで終わることも、とっても多い。
でも、たった一度の決意が、人生を変えるようなことにも、なり得る。
今日は、そんな経験を、noteに書いてみました。
この話が、誰かの目に留まってくれたら、嬉しいです。
ではでは、また、いつか。