「お前出来てない」と頭ごなしに言ってくる人
(※以下のボヤキは、あくまで個人的な見解です)
「お前出来てない」と公然と言ってくる人って正直どの環境にもいると思いますが、私(=中の人1号)はこの種の人達を毛嫌いというくらいに嫌いです。「お前出来ていない」という風に他人を批判するのは非常に簡単です。他人の悪い部分を指摘するほど簡単なことはありません。対照的に、他人の良い部分を見付けて適切に表現することは一般的に難しいことです。誰しもが良い部分もあって、悪い部分もあるかもしれない。でも、長所があるからこそ短所もある、短所があるからこそ長所もある。長所と短所は表裏一体なものです。そんな自分という存在を客観的に・あるがままにとらえてこそ、自分を活かすことに繋がりますし、指導的立場にある人が他者の出来ていない部分だけにフォーカスし、やんややんやと寄ってこぞって批難するのは、その人の成長に対して何らプラスにならないことは自明と思います。
本当にその物事について知っている・精通しているのであれば、せめて「こうしたら出来る」を相手に対して”例示”することが出来ると期待されます。「お前出来てない」と言ってくる人は、”良い例示”をしてくれない傾向にあると感じます。…というか、多分出来ないのでしょう。例示することによってその人の能力を伸ばす、ということにフォーカスしているわけではない、ということがここからも分かると思います。
「お前出来てない」と頭ごなしに言ってしまう人口って非常に多い様に思います。私(=中の人1号)が”出る杭”だったからかもしれないですが…。何でこんな酷いことを平然と言ってしまうのか?私なりのコタエは、”自尊心の欠如”にいきつきます。多分この種の人達は、自分という存在を曝け出すことに対して極度に怖れ・不安を抱いており、周囲の誰かを沈めることによって相対的に自分自身を浮上させる、ということを行っている人達と感じます。恐らく成長の過程で、その悪戯を覚えてしまったのかもしれません。自分を下げることで相手を相対的に上げるという謙譲語の概念と逆のことをやっている、と言えます。自分が自分であることを認められない状態は苦しいものとは察しますが、だからといって他者を沈めても良いという論理にはならないのは倫理的に自明と思います。にも関わらずそういった行為に及んでしまうのは、それだけ自分自身が”自尊心の欠如”によってうちひしがれている証拠と思います。
また”自尊心の欠如”した人達が何となく集まって(生化学的な喩えになってしまいますが)”疎水結合”が生まれる様子です。”疎水結合”とは、(ふんわりした説明ですが)周りの”水”的な雰囲気に対して結果論的に”油”的な要素のものが集まってしまうことを指し、”水”がなければ”油”的なものが集まることはありません。そんな水と油の関係の様に、”自尊心の欠如”した人達は、”水”を攻撃することで”油”としての疎水結合を強める傾向にあると感じます。逆説的に”水”が無ければ、自然に疎水結合は瓦解しますし、互いに反発さえします。世の中の”イジメ”の構図も、この疎水結合の様なものと(中の人1号は)考えており、”油”の結合のために絶えず”水”を探している状態、とも云えるかもしれません。何なら、人類の長い歴史における争いもそんな様なものなんじゃないか?とさえ思います。
中の人1号は、”自尊心の欠如”という問題に対して、コレという手立てを持っていません。オトナでも”自尊心の欠如”を呈している人は非常に多い次第で、恐らく成長過程の何処かで拗らせたのかもしれませんが、でもオトナになる段階でせめて”理性”で以て解決して欲しい…とも願いつつも、そうもいかなかった結果なのかもしれません。オトナの”自尊心の欠如”は解決が難しい様に思いますが、まだワカモノに対しては解決の方向に導くことができると、と中の人1号は考えています。
良いオトナがワカモノに対してすべきことは、上述にある様に”良い例示”ができる程度に自分が物事に対して精通することと考えます。また自分の例示が”良い例示”となるためには、相手とのコミュニケーションの充実が必要となります。同じ日本語を使っているとしても、言葉のニュアンスは個人によって微妙に異なるものです。相手の言葉のニュアンス(=言葉の辞書)を対話で以て試行錯誤しながら習得しつつ、できるだけ相手の言葉の辞書で例示をすること、これが”良い例示”に繋がるのではないか、と考えています。この繰り返しがワカモノにとって自己の客観視にも繋がり、自尊心の形成にも役立つものと期待しています。
ワカモノに対して”良い例示”を心掛けて教員という仕事をやっている次第ですが、オトナの”自尊心の欠如”という問題については、中の人1号もまだどうしたら良いか分かりません。疎水結合に”水”をぶっかける様なことをしたら、それこそ強烈で攻撃的な拒絶反応に繋がってしまうでしょうし、”水”が無ければ無いで前述の様に内輪揉めをしてしまいますから、これはこれで悲惨と言わざるを得ません。私もこの様な疎水結合に対しては、今の所無限遠方に自分の身を置くことで自分に火の粉がかからない様にするのが関の山ですが、理想的にはこういった問題も解決したいよな…と思います。
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