死ぬことを都合の良い言い訳にしていないか?

 自戒の念を込めて。
 これは自分へ向けた文章です。誰かに向けたものではないので話半分に読んでください。
 辛いことがあったらすぐ「死」に逃げようとする。それが悪い癖だ。辛さの大小を問わず、一直線に。
 自殺は周りを悲しませる。死に場所を選ばないと迷惑をかける。理由を書き出したらキリがない。自殺は悪だ。肯定される理由などない。それが今の社会だ。
 自殺へのリミッターが外れかかっているのを自分の強みだと勘違いし、死んだら全てが美化されると思い込み死へと走る。
 確かにこの世界は生きていくのにしんどい。変えられない状況だってある。安楽死を選べる国だってあるくらいだ。しかし、それはあくまで例外中の例外。繰り返すようだが自殺は悪でしかない。
 その悪に手を伸ばそうとしてしまう。割とすぐに。母親を泣かせ、同級生に迷惑をかけ、周りに心配をさせる。こんな行動に意味などあるのだろうか。そんなものはない。愚の骨頂だ。自殺などこの世で1番愚かな行為なのだ。
 ではなぜそんなことをしてしまうのか。それは自殺を都合の良い言い訳にしているからだ。死ねば自分の人生は美化される。空っぽな人生が意味のあるものへと形を変える。周りが勝手な理由をつけて同情してくれる。要は自分を丸々肯定してくれるのだ。こんな都合のいいものは他にない。名誉を自殺という壁で包み込んでくれる。だからだ。
 結局何が言いたいのか自分でもわからない。恐らく、感情を整理するための文章だったのだろう。しかし今一度自分に問いたい。「死ぬことを都合の良い言い訳にしていないか?」と。

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