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【はじめてのnote】氷河期世代の矛盾と苦しみ:支援の形を考える

私たち氷河期世代の歩んできた道

私は1975年生まれ、いわゆる氷河期世代に属します。
私たちの世代は、社会の大きな転換期に生き抜いてきました。バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災など、社会が大きく変動する中で多くの矛盾や苦しみを抱えてきました。
私はその過程で、両親の介護という現実、そして自身の重度のうつ病という問題にも直面しました。
この背景から、氷河期世代の支援の重要性を強く感じています。
このnoteでは、私の経験を通じて、なぜ氷河期世代への支援が必要なのかを考えていきたいと思います。

就職氷河期世代の現実と課題


社会の変化と私たちの苦しみ

私が生まれた1975年は、日本が高度経済成長を終え、社会が大きな変化を迎えた時期でした。
私たち氷河期世代は、社会の価値観が大きく揺れ動く中で育ちました。10歳で男女雇用機会均等法が制定され、ようやく男女平等の一歩が踏み出されたものの、その後は続々と社会が変わり、私たちの未来は先行き不透明でした。

バブル崩壊と就職氷河期


高校生の頃にはバブルが崩壊し、その後を引き継いだのは失業率の上昇と厳しい雇用環境でした。私たちの世代は、社会が「バブル」と「崩壊」を繰り返す中で、自分たちの進むべき道を見失うことが多かったのです。
就職氷河期と呼ばれるその時期に、多くの人々が正社員としての職を得られず、非正規雇用が拡大しました。私はその中でも何とか生き抜きましたが、就職活動では幾度も挫折を経験しました。

自己責任のレッテル


そして、成人してからも私たちの世代は次々と社会の大きな転換期に直面しました。
20歳の時には阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という大きな出来事があり、私たちは次第に社会の矛盾を意識し始めました。
その後、労働者派遣法の自由化とリーマンショックという二度の大きな経済危機に直面し、氷河期世代の若者たちは「自己責任」というレッテルを貼られ、ますます社会から疎外感を感じていました。

未来を考える:氷河期世代の支援の形


支援の必要性を広める


私は当時、働くことの困難さを感じながらも、自分が「できること」をして生活を支えていました。
しかし、数年後、私はうつ病を発症し、精神的に限界を迎えることになります。
結果的に入院を余儀なくされ、しばらくの間、社会から距離を置かなければなりませんでした。
この経験は私にとって非常に辛いものでしたが、同時に多くの気づきを与えてくれました。

両親の介護も私の人生に大きな影響を与えました。
母は足腰が不自由な要介護2、父は介護度4の認知症を経て亡くなりました。
私は一人っ子として、両親の介護をする立場にあります。
これもまた、私が感じる氷河期世代の矛盾の一つです。
私たちは、若い頃に未来に向けての希望を持ちたかったものの、社会が変わる中で、予期しない問題に直面し続けています。
働くこと、生活すること、介護すること、すべての選択肢が限られており、未来が見えない不安に苛まれる日々が続きました。

共感と支え合いの重要性


その中で、私は一つの大きな決断をしました。それは、同じ世代の人たちとつながり、支援の形を考え、声を上げることです。
私たち氷河期世代が抱える問題は、決して個人の問題ではなく、社会全体の問題であると私は考えています。
この世代に対する支援が不足している現状を、少しでも改善できるように、私は情報を発信し、同じ悩みを持つ人たちと共に未来を考えていきたいと強く思っています。

私たちが直面している問題は、単なる個人の不運や自己責任ではなく、社会全体が抱える課題であり、まさに「The personal is political」です。
私の体験が示すように、個人の生活の中で起こることは、決して個別の問題ではなく、社会的、政治的な背景とつながっているのです。

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