【読書日記】9/7 よく学びよく遊べ「百年の子/古内一絵」
百年の子
古内一絵 著 小学館
「小学〇年生」かつての私も愛読していました。その学年誌の百年の歴史をたどりながら日本の百年、子どもを巡る社会を綴る物語。
小学館、本書の中では「文林館」の入社5年目、市橋明日花は、コロナ禍真っ只中の令和3年、今まで担当していた女性ファッション誌から「学年誌児童出版局」に派遣されます。
その役割は「文林館創業百周年記念 学年誌創刊百年企画チーム」の広報担当。
文林館は学年誌から出発した出版社であり、看板雑誌といえども少子化の影響をまともに受けていまでは「学びの一年生」が残るのみ。
「創業百周年記念」と名前だけは輝かしいものの窓際感あふれる環境に失意の日々を送っています。
何より明日花の気持ちを逆なでするのは、元々同じ女性ファッション誌の編集部にいた同期の岡島里子の存在。
入社当時から婚活を意識し、同期のなかでいち早く結婚し子供を産んで産休・育休を取り復帰、その後も子供の発熱やらなにやらで遅刻と早退を繰り返す里子。
そのしわ寄せは全部自分がかぶって編集部を支えていたのに、なぜ、里子ではなく、自分が派遣されたのか、と憤懣やるかたない明日花。
家に帰れば、90歳を超えた祖母、スエが認知症となりほぼ寝たきりとなった身を在宅で過ごしています。介護を担っているのはスエの娘、明日花の母である待子。
待子は獣医であり、明日花をスエに預けて自分は仕事に取り組んできました。
「母親なのに子供を優先しない冷たい女」と父親との間に溝が出来て離婚。
スエは明日花をかわいがってくれましたが、それはそれで待子には「甘やかしすぎ」と映る。
祖母・娘・孫娘、女三代、どこかしっくりとこない微妙な関係です。
子あり・子なし社員間の業務分担、在宅介護に女性に偏る育児負担。
まるで、現代日本の課題見本市のような明日花。
大丈夫か、と心配になってきますが、同僚の助言もあり、「学年誌」というものを見直して、少しずつ自分の仕事に前向きに取り組もうとし始めた明日花は、社史で1944年入社名簿に「鮫島スエ」という名前を見つけます。
鮫島スエ、明日花の祖母の名前でした。
ここから、物語は戦中から敗戦(昭和19年~20年)、戦後の復興期から高度成長期へと移り変わる時代(昭和42年~45年)とコロナ禍の令和3年~4年、という3つの時代を行きつ戻りつしながら、日本の社会の歩みと学年誌の歩みを描き出します。
明日花は、百年の歴史を振り返ることで、仕事のこと、家族のこと、社会のことを見つめ直し、新たな一歩を踏み出すのです。
さて、本書の中で私が印象深く読んだのは、やはり明日花の祖母、スエが主人公となる戦中の場面です。
そのパートについてご紹介します。
スエが文林館に入社したのは昭和19年。欠員補充のための臨時職員募集の張り紙をみて応募したのがきっかけでした。
「女に学問は必要ない」という父の考えで尋常小学校しか通えなかったスエにとって学年誌は憧れの雑誌でした。
学びマークには、男の子と女の子が共に勉強に励んでいる。それを見ると女子も男子同様に学んでよい、そう励まされているような気がしたからです。
スエの入社は、その前年、「国内必勝勤労対策」が決定され、一定の職場に四十歳未満の男性が就業することができなくなったことによる欠員補充として女性が登用されたことによります。
皮肉にも、スエが房総半島の端っこにある郷里から働き口を求めて東京に出たのは同じく国策の「臨時農地等管理令」により、家業であった花卉栽培が禁止になり一家が困窮していったためでした。
この頃、編集部にも国策の影響は及んでいました。「少國民のひかり」という名の学年誌の編集方針は、「立派な第二国民となるよう、国民精神を養うお話や、日本内地はもちろん、外国の新しい記事をたくさん載せます」というもの。
大政翼賛会の前書き、少年兵の生徒募集広告、「撃ちてし止まむ」などの勇ましい標語。読み物も戦意高揚をはかり、銃後の守りを説くものばかり。
しかし、戦局が悪化し、前社長の忘れ形見も特攻隊へ入隊、少年社員たちも次々と出征し、職員たちの家族の戦死、空襲による死亡が続く。
どれだけ犠牲を払っても勝たねば、と歯を食いしばった日々は玉音放送で終わりを告げる。
そのときに、「二人の息子を兵隊にしたから勝ち、戦車隊に入れる男の子がいるから、勝ち」と誇らしげに語っていた職員が罵声を浴びせる。
「うちの子は、お前たちが作った雑誌にそそのかされた」
「学のあるあんたたちが作って来た記事にあたしたちはずっとおどらされてきた」と。
その後、文林館を辞めて故郷に戻ったスエは再び花卉栽培を始めます
「大きなうねりに、個人は逆らえない。」
戦争の時代を振り返って、スエはそう思います。しかし、そのうねりを生んだのは誰だろう、と自問するのです。
私は、背筋が寒くなりました。
おそろしい、と思います。もちろん戦争がおそろしいのですが、一人一人を呑み込んだ大きなうねりが何よりおそろしい。
雑誌の編集部も執筆者だった作家たちも、国策の前に抗う術がなかったのだろうと思います。ひとたび非国民と名指されれば、小林多喜二のように虐殺されることもある中で、自分は節を曲げないなどと誰が言えるのか。
日本のために尽くしたい、という願い自体は純粋でも、その願いが誤った方向性へといざなわれ、ちいさなさざ波が誰にも抗えないうねりへと変化してしまう、そして、そのうねりに自らも巻き込まれ、深く深く傷つく。
この人々を巻き込む大きなうねりが、いとも簡単に生み出され、そして手に負えないくらいに成長してしまうことは、つい数年前コロナ禍発生時に目の当たりにしたものです。
我々は、過去から学ばなければならない、今度こそ、得体のしれない化け物のようなうねりを生み出さないために。
そのためのヒントも本書の中に書かれています。
私だって御免です。
だから、あきらめない。目を閉じず、耳をふさがず、口を閉ざさない。
そう思うのです。
最後に、学年誌の魅力を、明日花の同僚、誉田康介の言葉でご紹介します。
子供たちが、自分の好きなことを自由に見つけることのできる社会がこの先も続くことを祈っています。