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【読書日記R6】9/16 この土地で生きていく「うらはぐさ風土記/中島京子」

米国から三十年ぶりに帰国した田ノ岡沙希は「うらはぐさ地区」と呼ばれる武蔵野の一角にある一軒家、高齢者施設に入居した伯父の留守宅を借りることになりました。

幼い頃より伯父一家をときおり訪ねてきていた町、また、沙希がこれから教鞭をとる近くの女子大学は沙希自身の母校であり学生時代はこの町で独り暮らしをしていました。
だからこの町には馴染みがあるはずなのに、数十年ぶりの帰国のせいか、コロナ禍で人と人の結びつきが断たれているせいか、よそよそしく全く違ってしまったように感じます。

まるで「浦島太郎」だ、と沙希は思います。
自分がよく知っているはずの世界なのにどこか違ってしまったような「もの哀しさと滑稽さ」は「浦島太郎」としか例えようがないと。

私は、もしも、と思いました。
もしも、浦島太郎が竜宮から戻ってきて最初の絶望からえいや、と立ち直って暮らすことにしたならば、ずれてしまった自分を少しずつ現実になじませながら、案外楽しく暮らせたのかもしれない、と。
そして、社会と自分との間にずれを感じているのは自分だけではないことに気付いたかもしれない。
三百年たってすっかり変わってしまったような土地でも、住んでいるうちにかつての面影を見いだせたかもしれない。
この小説の沙希のように。

さて、沙希の浦島太郎気分で始まったうらはぐさ暮らしですが、町や大学で出会うのは、みな少しずつ不安で孤独で、世の中の普通から少しずつ軸がずれている人たちばかり。

最初に出会ったのは、庭に勝手に入り込んでいて沙希に警察を呼ばれた秋葉原さん。
秋葉原さんは、伯父の囲碁仲間で庭仕事を任されていたといいます。
彼は古き良きあけび野商店街の足袋屋に生まれ76才になる今日まで「一度も働いたことがない」という<高等遊民>。

高齢結婚した奥さんは、刺し子の作品を足袋屋の片隅で売り、刺し子をふんだんに使った独特のファッションで装っている<刺し子姫>
二人でさびれた足袋屋の屋上で野菜を育てながら浮き世から付かず離れず暮らしていました。

沙希の勤め先、うらはぐさにキャンパスを構える女子大学は、自身の母校なので馴染みがあるかと思いきや、こちらも学部は新設され「いまどき」の学生たちとの距離感を測りかねて、こわごわと手探りのスタートとなりました。

しかし、沙希の講義に興味を持ったという学生で奇妙な敬語を駆使し、周りから浮き上がらないことに腐心する<マーシー>たち学生や教師とも徐々に交流が生れ、大学の人の輪が商店街の人の輪と交じり合い、結びつき、新たな輪が生れていきます。

少し変わった人たちと穏やかで心温まる交流を四季の美味しい食べ物を添えて描いている、ほどよく都会でほどよく田舎の町のまちづくりほのぼの小説・・・では、ありませんでした。

<マーシー>が学園祭の弁論大会で行った「うらはぐさの歴史」というスピーチ。
そこで語られたのは、今、大学からほど近いウラハグサシティという大規模マンションの立ち並ぶ振興住宅地が、かつて米軍住宅地であり、さらにその前は飛行場で特攻隊の出撃基地であったということでした。

さらに、大学の趣きある美しい講堂を設計した米国人建築士が、帰国後に米国で行ったのは日本の町を模した木造家屋の実験都市を作ることだったこと、それは如何に安価で効率的に空襲を行うことができるかを検証するためだったとスピーチします。

<マーシー>は、自分が何気なく暮らしているこの町のすぐ近くに戦争があることを知った衝撃を懸命に語ります。
この大真面目なスピーチの哀しく滑稽な顛末には触れませんが、「土地」が抱えている歴史の底知れなさを垣間見させるエピソードでした。

その後も、幼い頃、学生時代、そして今、この土地の思い出、歴史を新たな知人たちとの交流を通じて掘り起こし「過去の連なりの果てに現在はあり、それらはうらはぐさという地名でつながっている」ことを実感していくことになります。

ところが、そんな沙希の思いがけず充実してきたうらはぐさライフを揺るがす(かもしれない)ことが持ち上がります。

それは、あけび野商店街道路拡張計画。
随分前に計画され、事情により凍結されていた計画でしたが、ここにきて急に実行の動きがでてきたのです。

計画が実行されれば、秋葉原さんの足袋店も、沙希たちの憩いの場である焼き鳥屋もなくなるかもしれない。
<刺し子姫>は、流行らない足袋屋の屋上菜園から高いビルの少ないあけび野商店街を見渡して「なくしたくないなあ」とつぶやきます

「うらはぐさ」を愛すると言っても、その立場や価値観、考え方はそれぞれ。何が正しくて何が間違いかなど誰にも分らない。

自分たちの町、「うらはぐさ」の未来をどのように切り開くのか。
それは、まだ書かれていない物語。

さて、この本を読んだのはお盆休みのことでした。
一泊温泉旅行のお供本は何にしようかな、と積読本棚の前でしばし考え、何気なく持ち出した一冊です。

ゆるゆると気軽に読んでいたのですが、<マーシー>のスピーチ、秋葉原さんとお父さんの過去の話(詳細は省きますが戦争が絡む)が出てくるにあたり、だらしなく寝そべっていたリクライニングチェアから体を起こし、少し背筋を伸ばして読みました。

言うまでもなく8月は原爆記念日、終戦記念日と戦争について考えさせられる機会の多い月です。
今でもウクライナやガザ地区など戦闘が絶えない地域が数多くあります。
<マーシー>が衝撃を受けたように、戦争は遠い自分と無関係な話ではない、ということ。それを改めて突き付けられたような気がしたからです。

そして、この物語のもうひとつの主人公は「うらはぐさ」という土地でした。
人は、太古の昔、川のほとりに住み着き、次第にその範囲を広げていきました。山を削り川の流れを変え、海を埋め立て、荒れ地を田畑に変え、町を築いて人は暮らしてきました。
町に住む人は、生まれ、そして死に、出ていき、そして入ってきました。
その間、土地はずっとそこにありました。そこで生きた人々の証をそこここに残しながら。

変わらなければいけないこともある
残るべきものは形を変えて残っていくはずだ
だけど、今あるものを変えたくない気持ちもある。

再開発計画の話を聞いた沙希の認知症の伯父は、こう言いました。

いいもんに あれしなさい

沙希の伯父の名言。

なんにも言ってないに等しい言葉ですが、不思議と心に残りました。
「改善」でも「向上」でも「進歩」でもなく「あれ」しなさい。
「いいもん」にする方法は「縮小」でも「中止」でも「撤退」でも、一見後ろ向きの選択肢だってあっていいし、選択肢はひとつとは限らない。

白黒決めつけず、柔軟に進む方法もあるのではないか、と思わせる言葉であって、自分たちの生きる町でどのような未来を築きたいのかを考えるきっかけとなる物語でした。

このお盆休み、「ふるさと」に帰省した方たちもいたと思います。
久しぶりのふるさとの町はどのように目にうつったでしょうか。
そういう意味でも時宜を得た読書になりました。

この本は、数か月積読してあったのですが、今回の旅行で持っていく本を選ぶとき自然と手が伸びました。
このタイミングで読め、と積読の妖精がささやいたのかもしれない、そうおもっています

<おまけ>
「うらはぐさ風土記」の目次をご紹介します
私の気持ちをぐっと引き寄せて読みたい!という気分を掻き立ててくれました。

しのびよる胡瓜
山椒の赤い実
柿とビタミンC
スティルトンとメノポーズ
狼男と冬の庭
梅はやたらと長く咲く
エナガの巣
キョルギとチルギとテンバガー
うらはぐさの花言葉は

うらはぐさ風土記の目次。日本語の魅力がたっぷり詰まっている

「うらはぐさ」
イネ科の植物で、別名は 風知草

花言葉は 未来

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