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【読書日記R7】2/11 BGMは「地上の星」 雪夢往来/木内昇

先週からこの冬一番の寒気が流れ込み雪が降りました。にわか冬籠りのつれづれに、そういえば雪の話を積んでいたなあ、と本書を手に取りました。

雪夢往来 木内昇 著  新潮社

越後塩沢の縮仲買商及び質商を営む鈴木家の儀三治は二十七才。
父から受け継いだ家業をさらに興そうと日々研鑽し、また、同じような立場の若者たちと集い塩沢村を盛り立てていくことにも熱心です。
一方で家中が寝静まった後、文机に向かい書や絵を書き留めることをなによりの楽しみにしていました。

不思議なことに、そうしていると本来の己に立ち戻れるようで、気持ちは凪いでいくのに総身の血道が躍るような昂揚を覚えるのである。

ものを書く(描く)ことにであってしまった

ああ、これは<わたし>だ、そう思いました。
己の果たさねばならぬ務めがあり、守らねばならぬ家がある。
本業第一の則を超えることは許されず、それでも己の魂が望むことを欲し、ひたすらに希求する、足は地に根をおろしたままで、天翔けることをも願ってしまう、これは<わたし>だ、と。

儀三治は、商いで江戸に行ったときに、江戸のものが越後のことを全く知らないこと、田舎と軽んじていることを目の当たりにし、越後の風俗や綺談を知らしめたい、江戸には無い豊かなものがここにはあるのだ、と自負心をもって思うようになります。

越後の雪とともにある暮らし、風俗、伝承や綺譚などを書き留め、自ら挿絵を描いて草稿をまとめ、出版を望むのです。
かすかな伝手をたどって知人に江戸の書肆への紹介を頼み、そこからさらに糸がつながって、当代随一の戯作者、山東京伝のもとに草稿はたどり着きました。

「雪の中を大きなせんべい様の草鞋を履いて歩く様」、「雪が戸口を突き破って家の中になだれ込む様」など、江戸の京伝には驚くことばかり。
儀三治の「心底書きたいものを書いている」姿勢も好もしく感じます。

そして、儀三治のもとには、京伝からの草稿への讃辞を連ねた文が届き、板行、すなわち出版の可能性も記されていました。
田舎町までその名が轟く山東京伝の眼鏡にかない、己の書き溜めたものが本になる。己の作品と越後が江戸で認められる。
儀三治の胸は期待に高鳴ります。

なんととんとん拍子にいくことだろう、と思いきや、ここからが長かった。

京伝は、儀三治の越後の<雪話>を、二代目蔦重をはじめ、馴染みの板元に紹介します。
しかし、板元は、あまり良い顔をしません。曰く「良い書物が売れる書物になるか、というと、どうも勝手が違う」と。

挙句の果てに、相応の負担金を著者である儀三治が負担するならば、という展開になってしまいます。
出版したければ、金を払え、といわれた儀三治は、<雪話>の執筆はあくまでも道楽であり、大事な本業の金は使えない、と身を切られるような思いで断ります。

しかし、一度心につけられた火は、消えないのです。
京伝からの話がご破算になった後、江戸だけでなく上方など、あちこちに仲介を頼みます。
儀三治の<雪話>は、どこでも好評で、力になろうと言ってくれる人も何人もいました。
ところが、いざ形になろうとすると不慮の事態が起こり、頓挫してしまいます。
そうこうしているうちに、月日ばかりが流れていきます。

仲介を頼んだなかでも曲亭馬琴(滝沢馬琴)はひどかった。
板行を請け負う、と言いながら、脇に押しやり棚に放り上げ、時折、自著に宣伝めいたことを書くことでお茶を濁され、十二年が過ぎ、何一つ話が進まない。
馬琴が全身全霊を傾けて<八犬伝>に取り組んでいた時期とはいえ、あくのつよい偏屈ぶりに辟易しました。

結局、紆余曲折を経て、この<雪話>を、端から高く評価していた山東京山の手によって出版の運びとなりました。
山東京山、山東京伝の実弟です。

山東京山とは何者か。
現代において京伝は知っていても京山の名を知るものは少ないでしょう。そこに兄弟の力量の差が見てとれます。
彼がもし、京伝の弟でなくても戯作者として世にでることができたのか、という問いに周囲のだけでなく己自身もとらわれてしまうときがあるのです。

偉大なる兄・京伝は天才肌で、はたからは造作なく軽やかに鮮やかな物語を紡いでみせる。
馬琴は他のすべてを犠牲にしてでも戯作に打ち込み命と引き換えのように物語を生み出している。
では、京山は?

ああ、ここにも<わたし>がいる、そう思いました。
己が選んだ道で、他人の背が如何に大きいかを見せつけられ、自分にはたどり着けないはるか先に行くのを見送る歯痒さと寂しさ、己は神様に選ばれなかった側だ、ということを誰よりも自覚しながらも、ただひたすらに歩み続ける、これは<わたし>だ、と。

京山が誰よりも儀三治の<雪話>に惹かれたのは、似たものの魂が共鳴したのかもしれません。
京山が、儀三治の<雪話>について語る場面が私は好きです

彼の作はひと言で言えば、平凡ながら誠実に書かれたものである。書くべきことを、ただ真正面から真面目に紡いでいる。その一本道を、飽くことも腐ることもなく、脇目を振らずに歩いている。京伝のように多彩な景色を見せる峰には、どうあがいてもなれぬだろう。けれど、一本道を愚直に歩いて行った先には、きっと正しい景色が広がっていると相四郎はどこかで信じたいのだ。

相四郎は京山の本名。私も信じたい。


かくして、京山は、越後まで足を運び実際にその土地を見て誠実に出版へと導いたのです。
二人が<雪話>の題名を<北越雪譜>と決め、語らい、笑い合う場面は胸がじんわりと熱くなります。

面白いのう。生きるということはまことに厄介で面白い

似たもの同士の魂が共鳴する

鈴木屋の儀三治、俳号・鈴木牧之が<雪話>を綴り始めて<北越雪譜>が出版されるまで実に40年の歳月が経過していました。

この物語は、<わたし>の、この世の津々浦々で日々のままならぬ暮らしと向き合いながら、愚直にただ真直ぐに歩こうとしている<わたし>たちへの贈り物のように思えます。

お義兄さまを追わなくたってよござんす。旦那様には、旦那様にしか行けない道がきっとあるはずにございますよ。

銘々の家族の在り方も興味深い

物語を読み終えて、京山の妻の言葉がしんしんと天から舞い落ちる雪のように心に振り積むのです。

表紙は<北越雪譜>より。北越雪譜は、青空文庫で読めます