ログはあくまで過去のもの【ユタカジン】
かめりんです。
ゴールデンウィーク前半には実家に帰省してのんびり過ごしてきました。
さて、本記事もユタカジンへの寄稿記事となります。
ユタカジンとは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマとして、タスクシュート協会メンバーが、時間や習慣、タスクシュートなどなどにまつわるお話を連載していくマガジンです。
タスクシュートを実践する上で「レビュー」というアクションがありますね。タスクシュートサイクルでいう「ログ」と「ルーチン」を橋渡しするものです。
タスクシュートサイクルの全体像についてはちょこっと過去記事でも触れたので、ぜひ見てみてください。
本記事では、レビューにまつわる僕の失敗談をお話ししてみようと思います。反面教師としてお読みください。
週次レビューを行なっていた
さて、タスクシュートにおけるレビューというのは「日次レビュー」を指しています。一日の終わりや翌日にその日のことを振り返るということですね。
このレビューの時には一日の「ログ」を振り返るわけです。
基本的にはレビューはログとルーチンを接続するものなので、ログを何らかの形でルーチンに反映していきます。ログの中からルーチン化したいタスクを見つけてルーチン化したり、逆に不要なログを削除したり。また、ログを元に見積時間を修正するするのも大事です。
ただ、もちろんこれらを毎日する必要はなく、一日のログを上から眺めて「今日も一日よく頑張ったな」と思えるだけでも十分です。
そんな「レビュー」ですが、タスクシュートのことをきちんと理解する前の大学院生時代の僕は、日次レビューだけでなく「週次レビュー」も行っていました。週に一回その週のことを振り返るわけです。
「週次レビュー」としては、日次レビューで入力している満足度の平均値を割り出したり、一週間のトータルの研究時間(要するに仕事した時間)をTaskChute Cloudの「レビュー」ページを元に集計していました。
一週間の「良かったこと」「改善したいこと」などを箇条書きで書き出したりもしていました。
今はもう週次レビューは行なっていません。そう決めるにいたった背景をお話ししてみます。
もちろん週次レビュー自体が悪いわけではないので、もしあなたが今やっていてそこにメリットを感じているとしたら、そのまま続けてみてもいいと思います。
週次レビューは負荷が大きかった
そもそも週次レビューには結構時間かかっていました。過去の実績を見てみると1時間くらいはかかっていたようです。
一週間って結構いろんなことをやっているので、その棚卸しはなかなか大変なんですよね。
大学院生時代、週末は束の間の休息時間だったので、のんびりしている中で週次レビューに取り組むハードルは高くなりがちでした。先送りしがちだったルーチンの筆頭だったとも思います。
週末のレビューを先送りしてしまうと次の平日に差し掛かってしまうので、せっかくの研究時間も少し削られてしまうという本末転倒さもあったのも否定できません。
週次レビューで見出した「55時間」に囚われすぎた
上で述べたように、週次レビューでは一日の満足度の平均値を出したり、一週間のトータルの研究時間を出していました。
その中で、興味深いことに気づきました。それは、一週間の研究時間が55時間までであれば無理なく研究できる(それまでは研究の質が高い)、ということです。逆にそれを超えると急にしんどくなってくることがわかってきました。
きちんと調べた訳ではないですが、一週間の労働時間と日々の満足度に関する(おそらく国の)調査結果でも同じくらい時間に閾値がある(要出典)ということを見つけて、自分の記録と調査結果が矛盾していないことに面白さを覚えた記憶もあります。
その閾値を発見したこと自体は悪いことではなく、それを超えない程度に研究をしようと自分をセーブすることができたりしていました。
しかし、のちのち自分にネガティブな効果を与えることがありました。大学院を卒業し就職してしばらくした時のことです。
同じように週次レビューをやっていました。
その中で、一週間あたりの勤務時間が55時間を超えないのに結構疲れを感じていたことに気づきました。
ただただその事実を認識するだけであれば良かったのですが、55時間という閾値をデフォルトで考えてしまっていたために、
55時間に達していないのに疲れているなんて、自分は衰えてしまったのかもしれない。。
と考えてしまったのです。
自分の中で55時間というのは割と確固なものとして信じてしまっていたので、これに気づいた時は結構ショックでした。会社というぬるま湯に早速慣らされてしまったのか。。という変な思考にまで陥りました。
しかし、これはよくよく考えると「55時間」というものが揺るぎないものだと思ってしまったのが間違いだったと気づきました。
大学院にいたときと会社での環境が大きく違うので、時間の長さという単一のものさしで考えること自体が良くなかったのです。
僕は学部から博士課程までずっと同じ研究室にいたので、年度が変わってもほとんど働く上での環境に変化はありませんでした。
しかし、当たり前ですが入社してしばらくは全てが新しいことです。
そもそも引っ越してすぐなので新居にも慣れなきゃいけません。通勤の方法や時間も異なります。会社では細々としたルールを覚えたりする必要もあります。
また、会社に入ってから関わる人の数も多くなりました。僕は基本的に一人が好きで、人と関わることが多いと疲れがたまりやすい傾向にあったりします。特に入社してからまもないと知らない人ばかりなので、新しく生じるコミュニケーションに知らず知らずに疲れを感じていたのかもしれません。
単純に一日あたりの労働時間が長くなってもおかしくないはずです。
一週間で55時間働くとすると、大学院では土日も研究していたので一日あたり8〜9時間ほどの仕事でしたが、会社員になると平日だけしか働かないので一日あたり11時間という計算になります。
しかも、大学院にいたときは疲れたら近くのコンビニにお菓子を買いに行ったり敷地内を散歩したり、時には昼寝もしていました。しかし会社員になるとそこまで自由が効かないので、自然と一日あたりの休憩時間が短くなります。
55時間という閾値はあくまで大学院生時代に研究をしていたときにだけ当てはまるものだということがよくわかってから、この時間を意識し過ぎるのをやめました。
ログはあくまで過去のもの
過去の自分は、自分自身を研究対象のように捉えて、ログを元に自分の理解を深めるようなアプローチをとりがちでした。55時間という閾値を見出したのもその一環です。
しかし、今は考え方が変わっています。今は、ログはあくまで過去のものであり、現在の自分を規定したり制限したりするものではない、というふうに捉えています。
もちろん、タスクシュート上に残る「ログ」は、紛れもなく自分自身の行動の軌跡であり、それが唯一無二のものだという認識は変わりません。
しかし、上の失敗談でも述べたように、過去と現在ではいろんな環境や条件が変わります。過去に当てはまったものが必ず今日にも当てはまるとは限らないし、逆に過去にできなかったからといって今日もできないとは限りません。
(主語が大きいですが)人は大なり小なり過去に意味づけや解釈をしてしまいがちな気がします。それによって今が明るくなればいいのですが、行動が狭まってしまったら元も子もないですよね。
日次レビューを行なっていれば、過去のことはきちんと今に反映されているはずです。その蓄積があっての今のはずです。過去を振り返るのを手放すのは勇気がいるかもしれませんが、今に集中するための取り組みの一つとして意識してみても良いかもしれません。
もしもしかめよ かめりんでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
明日以降も続々と「ユタカジン」に記事がアップされていきます。
ぜひ本マガジンをフォローして日々のささやかな楽しみにしてくださると嬉しいです。