あえて先送りしてみる【ユタカジン】
かめりんです。
汗ばむ季節になってきました。
さて今回は、久しぶりに「先送り0」に関するテーマを取り上げます。
先送りしそうなときのジレンマ
タイトルにピンときてこの記事を開いてくださったあなたは、もしかしたら『先送り0』という書籍を読んで、「先送り0」というゲームに取り組んでいることでしょう。
久しぶりに取り上げるので、改めて書籍に載っている3つのルールを確認してみます。
1.にあるように、「今日やること」は基本的に1日の初めに決めます。
しかし、未来はわからないですし状況は時々刻々と変わるのが常ですので、
1日のはじめに描いたプランと現実が大きくずれてくることも往々にしてあるでしょう。
たとえば、今日やることを決めたときには想定しなかった事態が日中に発生して、決めたことに着手できないままどんどん1日が進んでいったり、
決めたことは仕事終わりにやろうと思っていたけどどうしても疲れていて寝落ちしてしまい「気づいたらもうこんな時間!?」みたいなこともあるかもしれません。
こんなときの処方箋の1つとなり得るのが、通称「1分着手」と呼ばれる、
です。この3つ目のルールによる恩恵はあなたもきっと感じていることでしょう。
ただ、場合によっては、その状況に至ったときは十分夜も更けていて、
「1分着手しまくれば先送り0にできるけど、睡眠時間が削られてしまうな。。」
という板挟みの状態を経験したことはないでしょうか。
先送り0の取り組みに慣れてきて、1日の初めにプランする数が多くなってきたときに陥る状況かもしれません。
そんなときはいっそ、たまにはあえて先送りしてみるのはいかがでしょうか?
戦略的先送り
そんな「あえて先送りしちゃうか」というやり方を、僕や一部の人々は「戦略的先送り」と呼んだりします。
なぜ「戦略的」と呼ぶのか?いい質問です。
減らすべきだと思われる「先送り」との違いを考えてみましょう。
「先送り」にはネガティブな印象が付きまといます。
なぜかというと、
「やろうと思っていたのにできなかった…」
といった後ろ髪を引かれるような気持ちがするからでしょう。
しかし、戦略的先送りは違います。
あえて、自ら進んで先送りすることを決める、という点で違います。
そこには後悔ではなく(ゆるい)決意があります。
決意があると潔さが生まれ、先送りがあっても1日を気持ちよく終えることができます。
プレイヤーとしての自分とマスターとしての自分
戦略的先送りをするかどうかの判断は紛れもなく自分自身がやりますが、
そのときの役割というか、自分の中の立場のイメージを少し変えてみましょう。
ゲームプレイヤーからゲームマスターへ切り替える、というイメージです。
この記事の冒頭でわざと、「先送り0」というゲーム、と表現し強調して書いたのは、
この自分の役割の切り替えを意識してみてほしいからです。
日中は、ゲームプレイヤーとしてプランした「今日やること」の先送り0を真剣に目指します。これはイメージしやすいはずです。
それ以外の時間、つまり「プランを作るとき」や「1日の終わり」には、その日の先送り0に向けた取り組みがどうだったか振り返ったり調整したりする役割に切り替えます。これがゲームマスターとしての役割ですね。
先ほどあげた「戦略的先送り」はゲームマスターが決めてあげます。
ゲームマスターとしての自分が、ゲームプレイヤーの自分に「先送りしちゃおっか!」と優しく判断してあげるようなイメージです。
また、普段は先送りを0にできているのにある日はできなかったり、
先送り数が「10」のような滅多に見ないような大きな数になってしまった場合でも、
「よほど疲れていたんだな。ちゃんと体を休めたほうがいいな」
というふうに、先送りの数が自分の状態を知るバロメータとして働き、自分を労れるようになるかもしれません。
そしてまた、翌朝「今日やること」を決めるゲームマスターとしての自分が、
「昨日は難易度を上げ過ぎたかもしれないからプラン数を減らしてみよう」
といった難易度調整をしてあげることも良いでしょう。
前日戦略的先送りしちゃったものも、その日や別の日のプランに組み込んで、またプレイヤーとして先送り0にチャレンジすれば何も問題はないはずです。
「先送り0」ゲームにゆるく長く取り組む
先送り0の取り組みはあくまでゲームです。
1日単位でチャレンジするものではありますが、達成したら終わり、というものでもありません。
逆に言うと、先送りが0になってもゲームオーバーになることもありません。
また先送り0にチャレンジできる次の1日がやってくるだけです。
もしかしたら、あなたは今100日チャレンジに挑戦中で、100日間「先送り0」に取り組んでいる真っ最中かもしれません。
その取り組みによって楽しさや豊かさ、取り組みの意義を感じられていれば良いのですが、
「100日間乗り切れればこの取り組みから解放される…!」といった気持ちが生じてしまってはいないでしょうか。
先送り0の目的は、日々過ごしていく中で豊かな気持ちでいられる時間の使い方に慣れ親しむもののはずです。
そして、その100日間で得られるものは、それが終わってもずっと続けていきたいと思えるものであってほしいものです。
ゆるく続けてみましょう。スパルタ化させてはいけません。
そんなスタンスで長く続けていられることで、自分なりの「先送り0」に対する取り組み方も洗練されていき、気づいたら「自分らしい時間的豊かさ」が手に入っているかもしれません。
もしもしかめよ かめりんでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
明日以降も続々と「ユタカジン」に記事がアップされていきます。
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