クリエイティブな精神について考える日。
おはようございます。
昨日無事にパンが焼けました。いろいろ考えてみたんですが、パンを焼くこととお米を炊くことではあまり違いがない気がするのです。
お米を計量してわしわし洗って、ジャーにセットしてボタンを押す。音がなったら蓋をあけてかき混ぜてまた蓋して、食べる直前に茶碗に盛る。
小麦粉・スキムミルク・塩・砂糖・バター・水・イーストを計量して機械の中に入れてボタンを押す。音が鳴ったら蓋を開けて釜(?)を取り出してパンを出す。荒熱をとったら食べる直前に切って皿に盛る。
計量しなきゃいけない材料が多いし、時間もかかるが、もっと改良されればもっと気楽に自宅でパンが焼けるのではないかと思う。
買うより安くて美味しいし。
想像してみてほしい。もし、米炊屋があったらそこを利用するか?そこを利用する価値や値段設定によって変わるだろう。竈で炊いているとか、米を買うより安いとか。もし仮に営業するなら前者の方がイメージしやすい。パンがそうだからだ。家にない設備で作った、いろんな種類のこねこねされた小麦がこぞって買われるのは家でできない、があるからだ。たいていのビジネスはそうやって回っているのだろうが。
もし、ホームベーカリーの機械が、炊飯器のように普及したらと考えていた。
まぁそんなこねくり回したことはおいておいて僕の作品を見ていただきたい。機械がこねくり回したんだがな。
外がカリカリぱりぱりで、家ならではの味だ。
家で炊いた米、というものがあるだろう。店で買った米、というとお握りとかおこわといった加工された感が強いものばかり思い浮かぶのだが、そういう『家』と『外』という感覚と合致する。
これはあくまでも『家』のパンだ。だからお店でも買う。
さまざまなものの特徴
なんにでもメリットデメリットがある。
たとえば ))
炊飯器は、「焦げ付きなく炊ける」が「おこげが作りづらい」。
ホームベーカリーは、「殆ど手間がかからない」が「うるさい」。
紙媒体の本は、「どこまで読んだか残りの分量が質量としてわかりやすい」が「沢山の本を持ち歩くにはそれなりにかさばる」。
逆に電子書籍は、「持ち歩けないほどの冊数をコンパクトに持ち歩ける」が「水や衝撃に弱い」。
そういったメリットデメリットが存在し、人は時に妥協し、代替品を待つ。技術が進歩するのを静かに待機する。
人間もそうだ。短所を長所に言い換えるといったこともよくすることだが、基本的にはプラスがあってマイナスがある。慎重であれば思慮に時間がかかる、几帳面であれば拘りが強くて嫌われる。
正直に生きていきたいだけなのに
面接において、機械的な返答は論外だ。
教員試験で、「計算や計画することは得意ですが対人関係やコミュニケーションは苦手です」と言ったらどんなリカバーも効かない気がする。短所にそこをあげてきたか…、と言う印象を与える。教員採用試験だから、大学時代に治しておけよ…と思われる可能性もあるな。
逆なら何とかなるかもしれない。
「様々な方々と人間関係を構築するのは得意です。が、計画性の面ではほかの方々と比べ劣ることがあり、教師になったらより経験値の高い先生方にご指導いただき、精進いたします」
みたいな事を言えばむしろ向上心のある人だと思われるのではないかな。誰にでも苦手なことはあるよね、の範疇に計画性のなさは含まれる気がする。
対人関係が苦手と言うのは致命的だ。やはり、機械に取って代わられるのはそういう人たちなのかもしれない。クライアント同士をつなぐような職種は信頼も大切だし、無くならないのかもな。
建前と本音だ
つまるところ、自分自身へも他人へも「建前と本音」を駆使できる人間が強い世の中なのだ。忖度ももちろん。
そういうことも加味した上で長所と短所を構成していこう。
ではまた明日。
原稿(草稿?)を書いていくぞ。
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