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「苦労話」って実は言うほど苦労してない。それっぽく話してるだけ。

最近はジムに通うタイミングを朝(出勤前・休日に関わらず)にしています。かつては仕事帰りに行ってましたけど、自分のサイクル的には朝が良い事に気づいたので。

クッソ眠い朝方にジムに行くとなると身体と心がネガティブモードになるものの、トレーニング終えた後の爽快感とその後の行動に冴えが出るので、朝トレはオススメです。Death。

さてさて。

会社の上司や、友人が話してくる「苦労話」ってあるじゃないですか。飲み会の場とかでよく出てくるパターンですが。

『その経験があるから今があるんだ。』

『苦労した経験がないとダメだよ。』


よくよく聞いていると、そんなに苦労してきたようにも思えない。一体その経験のどこが「苦労」だったんだろうか?と我思う。だいたい本当に苦しんだ経験だったらそもそも口にも出したくないんじゃないだろうか?

それは「苦労」と言う名を借りたマウント取りでは?


『私ってこんな経験あるのよ。スゴイでしょ?』
『あなたって私のような経験してないでしょ?』

言うてしまえば無意識に相手に対してマウント取ってるだけ。そんな気がする。経験豊富な自分・そんな体験を乗り越えたスゴイ自分ってのをアピールしたいだけなのでは?

そもそも本当に苦労した人ってあまり口に出さない。

もし本当に苦労だと自分では感じていたとしても、他人からすれば苦労と思えない場合もあるでしょ?って考えたら苦労話を自慢げに話してしまう自分を想像すると布団を頭まで被ってしまうくらいに恥ずかしい。もう消え去りたくなる。

かつての自分の能力不足や恥ずかしい体験を、さも苦労と言うワードに置き換えて武勇伝のように語るのはやめていただきたい。そう強く願います。もっと生産性のある話題になるのなら良いとは思うけども。

例えばその苦労体験が、<どのような成長に寄与したのか?>を具体的に示せる話題なら聞くに値するかも。具体性があって再現性の高い話題を提供してくれるなら価値があるように思う。

効能・効果を言語化できない・相手が共有できない苦労話は聞くに値しないと感じてしまう、そんな私の心は薄汚れています。たぶん。

かたや、苦労話になってしまいそうな話題も、その苦労を感じさせずに楽しく聴ける話題にしてくれる人ってポテンシャル高いよな〜と思う。
そんな人と話すと元気になれるし、例えその話題が苦労話と感じさせなくても聞き手が『この人は苦労をしてきたんだろう』って勝手に想像するので。

言わずとも感じさせる。

これこそが極意なのではないでしょうか。

人にとって必要なのは苦労ではなく『自分の限界を乗り越えるための体験』。そうすればハードルを乗り越えるためのコツやポイント・精神面での受け止め方など、話を聞く側にとって有益&自分の成長に繋げられるハズ。

相手にとって価値提供できる話題かどうか?改めて自分が発信している内容を見直すのもアリじゃないっすか?


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この本は価値を与えてくれそう。気になるので買おうかな。


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